トランキライザー
選択的セロトニン再取り込み阻害剤 (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor)SSRIは最近開発された抗鬱薬で、世界中で幅広く使用されています。 従来の抗鬱薬が複数の脳内神経伝達物質に作用するのに対して、SSRIは鬱病の原因となるセロトニン系だけに選択的に作用して、 神経終末のセロトニンを正常に近い状態に調整することにより鬱状態を改善するといわれています。 従来の抗鬱薬に比べ、必要な受容体のみに選択的に作用するため副作用が少ないとされています。
「成程」
酷い頭痛に悩まされ医者に罹った処数種類の薬を「予防薬」として処方された。 素直に数日間服用した後多少暇が出来たので自分の服んでいる薬を調べてみた。
以前調べた処に依ると自分の頭痛はセロトニンの減少が原因であるらしい。 脳内神経伝達物質であるというセロトニンが何であるかは良く分からないしセロトニンの減少と頭痛の関係も良く分からないがとにかくそういう事らしい。 よってセロトニンに作用する薬を予防として処方されている。それがたまたま抗欝剤であると、そういう事なのだろう。
思い返してみればここ数日の心に波風の立たない穏やかな凪いだような状態はこの薬のせいであったのだろう。
怒りも無ければ悲しみも無い、悟りの境地にも似た淡々とした気持ち。何処までも平坦な、フラットな自分。 薄い皮で世界と隔てられているような何処か現実感の無い、異常な感覚を異常と受け止める事すら何処か遠く。
それきり俺は抗欝剤の服用を止めた。抗精神薬を服んでいる事が厭になった訳では無い。 自分が自分でなくなるような違和感が赦せなかったからだ。
頭が痛くて苛々する。
鎮痛剤を服もうと荷物を漁ってみれば昨日薬を買った二度と訪れるつもりの無い薬局で作らされたスタンプカードが床に落ちた。 同じ薬局で買い物をしていれば結構な数が溜まっているであろうと思われるこのちょっとしたオマケだが如何せん旅をしている身ではどうしようも無い。 捨てるのを忘れているとどの街で作ったか思い出せもしない店のカードが溜まってしまう。
ぐしゃりと握り潰して不要となったカードをゴミ箱に放り込む。
腕を上げる気力も起こらずだらりと腕を降ろした侭卓上の薬の箱を眺める。 気を紛らわしていないと脳内に居座り続ける不快な痛みにばかり気が行ってしまう為成分表に目を通すが、 頭がぼうっとして言葉の意味が良く理解出来ない。
痛い。イタイ。
考えても無駄だと分かっているのに無意味で無力な言葉が頭の中を何度もぐるぐると回る。
鎮痛剤を服んでも効かない。
胃も痛い。
きっと鎮痛剤の服み過ぎだ。服んだって効きもしない薬にひょっとしたら今回は効くかもなんて望みをかける自分が惨めだ。 だったら服まなければ良いのに気休めだと思いつつ薬物を摂取せずにいられない。 然し良い加減胃も悪くなってきたようなので鎮痛剤は控えた方が良いだろう。 胃薬も入手しておいた方が良いだろうか。これ以上薬を飲むのは面倒に思える。胃が痛いのは多分胃酸過多だ。 何故胃酸が出過ぎるのかと言うと具合が悪いのにバカ猿とクソ河童が騒ぎやがるからだ。 イヤ違うだろう。具合が悪いと気遣われる方が余程腹が立つ。朝薬を服んでいるのを見付かってから数時間おきに八戒が 「大丈夫ですか?」なんて訊いて来るのが鬱陶し・・・。
止めた。
何だか思考がおかしい。
心が傾斜して行きそうになっている。
何もかもが辛くて怠くてぐしゃりと溶けるように背骨が曲がる。
面倒に思いつつも自らを叱咤してゆるゆると背筋を伸ばすが姿勢を正した傍から稲穂が頭を垂れる姿に躰が前傾して行く。
まずい。
これは、アレだ。
唐突に訪れた久し振りの感覚。
意識すると余計に全ての事が理由も無く辛く思えて来る。
ああ、そうだ。
頭が痛かったから・・・。
きっとセロトニンが減少しているのだ。セロトニンが減少しているから頭も痛いし気鬱も起きる。 セロトニンを正常数に戻せばきっと頭痛も治まるし気分も治まる。
だがどうやって?
脳内の物質を増やすのにどうしたら良いかなど見当も付かなかった。何か食べるとか・・・ビタミンじゃあるまいしそれは違うだろう。
そう言えば以前処方された薬の飲み残しがあった筈だ。 予防薬だと言うそれを今更服んで効くのかは疑問に思えたがとりあえず荷物を漁ると、 パッケージを破られていない状態の白い錠剤が発見出来た。
さてどうするか。
テーブルの上に薬を並べて考える。
相変わらず頭は痛いしこれ以上鎮痛剤は服みたくない。
かと言って、この・・・抗欝剤を服むのは未だ抵抗がある。
沈みそうになる精神を水際で救い出すような、シーソーに突っかい棒をして無理矢理傾斜を止めるような、 心の中に明らかに人工的な何かが潜んでいるような違和感を思い出すと・・・薬を持った侭手が止まる。
「三蔵、具合どうだ?」
ノックも無しにドアが開かれ、騒々しく赤河童が部屋に入って来た。
「寝てなくて良いのか?ん?何の薬だ?」
どうだと言いつつ喧しい河童がずかずかと近く迄歩いて来て手元を覗き込む。 風邪薬だとか鎮痛剤だとか適当な事を言えば良かったのだが何故かそんな言い訳じみた事を口にするのが突然厭になった。
「飲むか?」
「あ?何の薬よ」
「性欲の無くなる薬」
にやりと笑って言ってやれば唖然とした表情で河童がマヌケ面を晒したので、少し気分が良くなった。