シャム双生児
宿の壁にかかるステンレス製の額縁に彩られた絵。それはこういった場所に飾られるには珍しくなおざりな安物ではなく、幾ばくかの値はしそうな異国の画家の作品だった。
酒を飲める店を探しにに行こうと部屋を出て何気なく廊下を横切りかけ、顔を上げた瞬間に悟浄は脚を止めた。
蛍光灯の光を受けてツルツルと輝く飾り気のない安物の額縁の中に収まった、リトグラフなどではない一点ものの本物の絵画。 細長い顔をした正面を向いた女性が二人。輪郭が重なって描かれたその二人は首から下は一人分。 外に向かうかのように伸ばされた腕は一対。
「私達二人、溶け合って一つになってしまいたい」
一見気色悪いようにも見える頼りない描線のその絵をしげしげと眺めるうちに、そんな声が聞こえた気がした。
いいな、こんな絵も。
悟浄には絵をゆっくり眺める習慣はなかった。 悟浄のみならず悟浄の過去の同居人も過去に軽く付き合った事のある女達にもそう言った習慣はなかった。 つまりゲイジュツを理解する人間は一度たりとて悟浄の身近にいた事がなかった。 絵画を眺める習性の無い悟浄ではあるが何となくその絵は気に入った。そう、何となく。
描かれているのは女性二人だが、恐らくこの絵を描いた画家は恋人とのとろけるような恋愛の最中、 愛しい人と自分をこんな風に捕らえていたのではないか。
それは勿論勝手な想像であるが悟浄は自分の思い込みを信じる事にして絵を再度眺めた。
同性同士だからだろうか、体が一つになっているのに不思議なほどその絵からは肉欲を感じない。
手を握り、買い物に出掛け、食事をし、一緒に眠る。 それだけの事で体が溶け合う事が出来る、そういった満たされた幸福感が溢れている・・・ような気がする。
例えば。
双子の姉と禁断の恋に堕ちた八戒あたりならどう思うのだろう。
それともこういった感覚は希望どころではなく既得の感覚だったのだろうか。
或いは離れていても互いの声が聞こえると言う悟空と三蔵は。
首を上に向けて悟浄は壁に掛かった絵を見上げる。
この溢れんばかりの幸福感はこの作家が女性だからだろうか。
或いは男性が描いたのであれば、どれ程体が一つになっていても心は別たれているという寂寥感溢れる絵になったりもするのだろうか。
どれ程抱き合っても薄い皮膚で隔てられ別たれる。物狂いおしい程もどかしい、一つになれない感覚。
この疎外感。
この飢えるような感覚を知っているのだろうか。
三蔵は。