合わせ鏡
焼け野原となった百眼魔王の城跡地から戻る道の途中で「お前はここまでだ」と言われた。目の前の最高僧が今や隻眼となった猪悟能を任務の為に追っていた事は知っていたが、 罪を犯した事が必ずしも咎では無いと言ったその口で悟能を罪人として連行するのだと告げられ鼻白んだ。
「行くぞ」と悟空と悟能にだけ掛けられた言葉。
振り返りぺこりとおじぎする悟能と「またなっ」手を振る悟空と一瞥もせず遠去かる法衣。 白々と辺りを照らし始める太陽を反射して輝く黄金の色。
あの金の中に俺は混じれないのだと、 奴にとっては俺の感情など気に掛ける必要すら無い只の通り掛かりの人間でしか無かったのだとその背中から知らされた。
悟浄の顔が間近に迫って来る。紅い瞳の光彩をこれだけ近くで見るのは初めてだ。
「こういう時は目、閉じてよ」
「断る」
初めて見た時から綺麗な紅だと思っていた。目を閉じたくなかった。この侭ずっと見ていては駄目だろうか。 飽きず瞳を眺めていると悟浄が笑いの形に目を細めた。
紅の瞳と髪を持って生まれる『禁忌の子』。きっとこの紅は美し過ぎるが故にこの世に存在する事を禁じられているのだと思った。
猪悟能の名を捨て新しい名を貰った八戒は大切な宝物の事を口にするような顔をして『三蔵さん』なんて呼んでいたのに何時の間にか 『三蔵』と呼び捨てるようになっていた。
八戒の為に経をあげ、八戒の為に新しい名を授け。 八戒にとって三蔵が特別であるのと同じく三蔵にとっても八戒は心を砕いてやるに値する特別な存在。
じゃあ、俺は?
先に悟浄が目を閉じてしまったので紅玉石のような色は瞼の下に隠れてしまった。
残念に思いながら遅れて俺も瞼を閉じた。
吐息に続き触れるだけの口付け。
『八戒は俺を締め殺すくらいなら舌噛んで死ぬだろうよ』
絶対の、全幅の信頼。
八戒の事を酷く羨ましいと思った。
『俺だってあんたを殺すくらいなら自分を殺す事を選ぶ』と。
飲み込んだ言葉を三蔵は見逃してくれなかった。こいつはいつもそうだ。 伝えられる筈の無かった言葉隠しておきたかった気持ち。 目を逸らさないで全てを看ている紫暗の瞳。
他人の唇に触れるのはこれが二度目だな、と思った。
一度目は名前も知らない男。 再度銃に弾込めをする余裕も無く幾人かの腹をかっ捌いた錫杖も折れ、抑え込まれた後そいつが荒い息で顔を近付けて来るのを見て、 思った。
まだ武器があると。
顔も覚えていないそいつが無防備に急所を晒け出してくるのを笑い出したい気持ちを抑えながら待った。
耳にしようか。首筋か。
着物の上から体をまさぐられるのを耐えながら仕掛けるタイミングを測っていると顎を掴まれた。
悲鳴を聞いた気がするが恐らく捏造された記憶だろう。舌を噛み切られて悲鳴など出せる筈は無い。
そいつが両手で口元を押さえて後退るのと同時に飛び起き奴の背後に居たもう一人に駆け寄った。 目の前の出来事に呆然としていたのだろう、ロクに抵抗も出来ぬ侭悲鳴を上げようとしたそいつの眼窩に指を突き入れた。
手探りで三蔵の手を探す。初心なガキのようにそっと指先を握れば三蔵の身体がぴくりと跳ね上がったので歯がぶつかった。
キスして歯がぶつかったのなんて随分久し振りだ。 そう言えば三蔵は他人に触れられるのが嫌いだったっけ、脳裏で思い出したがそれ以上の行為をしている事に気が付き苦笑しながら目を開けた。
口内に溢れる血の味も潰れた眼球の手応えも既に憶えてはいなかったが見透かされたように突然指先を握り込まれ思わず身じろぎすると歯がぶつかったので驚いて目を開けた。
目の前に再びあの紅が在った。