The World
『この世に絶対はあるって』
そう言って悟浄がひらりと掌をかざした。



その日立ち寄った街はギャンブルが盛んだった。
「へー、今日はGIか」
街中がそわそわしている。色とりどりの新聞が街角のスタンドで売られ、男達は至る処で円になってどの馬が一番強いか議論を闘わせている。
「じーわん?」
「グレードワン。競馬の大っきなレースの事だよ」
ギャンブラーの血が騒ぐねえ、と言いながら悟浄は街に入った時から何がなんだか分からないという顔をしている悟空に説明してやる。 テーブルに投げ出された新聞をがさがさと捲ってみるといつもはお堅い経済記事しか載っていない一色刷りのその新聞のスポーツ欄にも出走馬と記者の予想印が付いている。
「今日は牝馬ちゃんのレースかあ」
「ひんば?」
「女のコのコトv」
一番人気は良血ちゃんか。父サンデーサイレンス、母の父カーリアンでタイキシャトルのイトコ。 悟浄が各馬の血統を眺めていると今迄黙っていた三蔵が立ち上がり部屋を出て行こうとした。
「三蔵何処行くんだ?」
「煙草」
「さんぞーサマが自分で買いに行くなんて珍しいじゃん」
「うるせえ」
宿に着いた途端八戒がここ数日の洗濯物を洗うとかで洗い場に直行してしまった所為だとは分かっているが一応お約束としてからかってみせる。
それでも普段なら悟空か悟浄に買いに行かせるのに三蔵自ら買いに出ようとしているのは 昨日から煙草を切らしていた為使いに行かせる間も待ちきれないという事だろう。
「あ、オレも行くわ」
振り返りもせず三蔵が出て行くのに悟浄が付いて行く。
「何だよ二人してっ。オレも行く!」
慌てて悟空が立ち上がるのを
「煙草買いに行くだけだからサ」
と制する。
予想では悟浄が煙草を買いに行くと言った処で、三蔵が「じゃあ手前が買って来い」 と言う筈だったがこれまた珍しい事に三蔵は二人で買いに行く事に反対しなかった。



「あ、ちっと待って」
首尾良くカートンで目当ての物を手に入れた後宿へまっすぐ戻ろうとする三蔵を悟浄が制止した。
「何だ」
早々と煙草を口に銜えながら三蔵が尋ねる。
「そこの場外寄ってく」
「場外?」
ソコ、と示された先に視線を向けると店の斜め向かいには場外馬券売場ことWINSがあった。
「ここで馬が走るのか?」
「こんな処で走らねえって(笑)。ココは馬券売るだけ。もうじき発走時間なんだわ。見てかねえ?」
「何の時間だ」
「さっき悟空と話してたでしょ。レースの時間」
「ざけんな」
「ちょっとだけだって。あんたこーゆー処来たことねえだろ?折角だから見てこうぜ」
「・・・・・・」
見た事がないとか知らないとか、お前は経験値が低いだろ、と言われると三蔵は滅多に後には引かない。
そして、それはこの日もそうだった。



入場無料だと言う館内に脚を踏み入れた瞬間三蔵は自分が法衣姿である事を思い出したのだが。
狭い──否──人がいなければ広い筈の空間に大勢人が溢れている為狭く感じる空間に異様な熱気が渦巻いている。 これだけ大勢の人間が居るというのに、皆が皆それぞれ手にした新聞 (しかも三蔵のいつも購読するような地味な新聞ではなく見出し文字が妙にでかく寒い駄洒落コピーが一面を飾っている派手なやつだ) や、場内至る処にあるモニタを見つめるばかりで周囲の人間の事を気にしていないというのがまず異様だ。 新聞の紙面に気を取られた同士がぶつかりそうになっても滅多に言い争いは起きない。 各々がこれから買う馬券の事で頭が一杯だからだ。
三蔵の法衣姿を見咎める者も殆どおらず。
「・・・・・・」
────何だこれは。
ここで馬が走るのならともかく。目の前にいない馬をモニタで見るだけの場所に何故こんなに大勢の人間が詰めかけているのか三蔵には理解出来なかった。
「こりゃガチガチの一本被りだな」
気が付くと悟浄までもが周りの男達と同じように小さな紙片に何やら書き込みをしている。
「・・・何だそれは」
「マークカード」
「それを書くとどうなる」
「勝馬投票券が買えまス」
「見るだけじゃなかったのか。無駄金使うんじゃねえよ」
「大丈夫だって。これオレの金だし鉄板だから」
何で『勝馬投票券』が馬券の事だって分かるんだコイツ、と悟浄が内心でツッコんでいるのを知らず三蔵がぴしゃりと言い切る。
「鉄板・・・」
何だか良く分からないが『鉄の板』=固い=絶対と言う意味らしい。
「そ」
「バカバカしい。この世に絶対なんてあるか」
「ぜってー大丈夫だって!オレ牝馬のレースは得意だから」
「フン、エロ河童がついに馬にまで手を出すか」
「オンナ心のフクザツさはお馬ちゃんも一緒よv」
ウインクしながら悟浄はマークカードを券売機に突っ込んだ。


発売締切が近いとの放送が響くと慌てたように人々が券売機に走って行く。
────人間の大津波。
離れた処から眺める三蔵はそんな事をふと考える。
「三蔵も買えば良いのに」
「いらねえ。この格好で馬券なんか買えるか」
周りを気にしている者が殆どいないにしても法衣姿で馬券を購入する処など万が一誰かに目撃でもされたら面倒だ。
「それもそうだ」

競馬を知らない三蔵の為に出走時間を待つ間悟浄がぱらぱら説明する。
「サラブレッドっつーのは大体年に8,000頭位生産されてんの。その中のたった18頭だけがこのレースに出走出来んのよ。 この2歳戦ってのは2歳の馬しか出走権が取れなくて、言ってみれば一生に一度の晴れ舞台ってヤツだな」
ど?少しは興味持てた?銜え煙草でにやりと笑った後悟浄の横顔が不敵に歪んだ。
『選び抜かれたエリート』
自分達になんて程遠い言葉。
サラブレッドをサラブレッドたらしめているのはその純血性であり、異種交配で生まれた子は『サラブレッド』では無くなる。 人と妖怪の混血である自分が『半妖』と呼ばれるのと同じく。
八戒もそうだ。馬の生産界では双子は忌み嫌われるので何とか双子を受胎させないようとするし、 万が一双子が生まれたら一頭は処分されるものだ。
悟空の場合そもそも何者なのか良く分からないから問題外。

晴れがましい場が良く似合う選ばれた者。
正に由緒正しいサラブレッド。
黙っていれば100人が100人ともそう信じて疑わないであろう最高僧でさえ。
『由緒正しい』サラブレッドは5代前迄の血統を証明出来ない限り競走馬たり得ない。

旅を続ける知らないでもない仲の4人。
誰一人由緒正しい生まれではない規格外品の寄せ集め。
その時浮かんだ言葉にならない気持ちをどう言うのか悟浄には分からなかった。 ただ口元に浮かぶ笑みを止められなくて。




モニタ前に人が寄り集まって来る。出走時間が近いらしい。
ゲートが開く直前に三蔵は思い立って悟浄が買ったのはどの馬か尋ねてみた。
「3枠、5番」
悟浄が答えるのと同時にがしゃんと音がしてゲートが開かれた。
ここで歓声を上げても馬には届かないにも関わらず何故か周囲で興奮したどよめきが上がる事に三蔵は戸惑いを覚える。
モニタに先頭から順に列をなして走る馬の一群が映る。 悟浄の買った馬を探す。5番のゼッケンを付けた馬は集団の丁度真ん中辺りにいた。 3回目にコーナーを回った時周り中でどよめきのような怒声が沸き起こったので勝負所だと言う事が分かった。
悟浄は静かにモニタを見つめている。
相変わらず中段の位置にいた馬がその時動いた。

自分の前を走る馬がいる事は許さないと言わんばかりの猛然とした追い込み。
他馬も同じように四肢を動かしている筈なのに弾むように走る張り詰めた鹿毛の馬体にどの馬も追い縋れない。


ワアァァァッ



一際大きい歓声が館内に沸き起こる。


・・・数秒、モニタを見つめた侭呆然としていたらしい。

リプレイで流されるゴールシーンを見ているうちに不意に辺りの喧噪が三蔵の耳に甦った。 「やった」だの「畜生」だの反対の意味の言葉が周りから聞こえて来る。

そうだ、悟浄はどうした。
三蔵が隣に立つ長身を見上げると悟浄はニヤリと笑った。
「ね?絶対だって言ったでしょ?」
ひらりとかざしてみせた指先から覗く紙片に印字されている名前は


ピースオブワールド

出来過ぎ?参考レース:2002年阪神JF
ただの競馬小説になってしまったので慌てて二人の会話を継ぎ接ぎ。ピースちゃんの単勝は1.5倍。
3枠5番と言うのは意図した訳では無くて書き終えて随分経ってから気が付きました。吃驚。

100題