子馬
妖怪の一党を撃退した。残党が近くにいるかも知れない場所でのこのこ野宿をする訳にはいかないので少しでも安全に眠る為に一番近くにある筈の町へ向かう。
腕の傷は着物の袖を切り裂いて止血した。
まだ歩ける。
まだ先へ進める。
寺を下りる時渡された小銃をきつく握り締め歩み続ける。
再度襲撃を受ける事も無く夜半には何とか町まで辿り着いたが衣服をボロボロに切り刻まれた全身血塗れのガキが宿に泊まれる筈は無いと判断する。 事情も聞かず泊めるような怪しい宿ではうっかり眠る事も出来ないのは経験上分かっていた。 大金を出せば泊まれる安全な宿では子供が分不相応な額の金を持っていると不審がられる。
金はある。
旅を続けるには金が要ると自覚してからは殺した夜盗や妖怪から金目の物を奪うようになった。 捨て置いた妖怪達の死体近くで休まないのはそういった理由もある。
財布ごと盗むと後々足がつきやすいので中身だけ抜き出すとか、そういった知恵が付く程度には長く旅をしていた。
それだけの年数が経ってもまだ自分は子供でしかなかった。庇護されるべき子供。 庇護する者などもう居ないのに。庇護者が居ないと言っても信じてくれない堅物が多いせいでガキの一人旅は何かと不便だ。
俺は護られるべき者ではなく護るべき者であるのに。
血は明日洗い流せば良い。衣類も明日何処かで調達する。
とにかく今は体を休められる所を探さなくてはならない。宵闇に紛れて服にこびりついた血の色は今はそれ程目立たない。 見咎められる事なく町中を抜け町外れにある民家の厩に忍び入る。
繋がれていた馬は人に慣れているらしく侵入者である自分の姿を見ても嘶く事は無かった。 その事に安心して壁に積み立てられた寝藁の間に体を潜り込ませる。
瞼を閉じると気が遠くなるのを気力で堪えていた血の足りなくなった体にすぐに眠りが訪れた。
目が覚めたのは夜中だった。
暗かった筈の厩に明かりが灯っている。そして人の気配。
「・・・・・・!」
慌てて起き上がると身の上に掛けられていたらしい毛布がずり落ちた。毛布を掛けられても気付かずに熟睡していた事実にぞっとする。
厩にいる人物は馬房に入って背中を向けたきりで未だ俺が目を覚ました事に気付いていない。 どうやら勝手に厩に入り込んだ自分を追い出すつもりで明かりを点けた訳ではないらしい。 然し不法侵入に気付かれた以上この侭にしておく訳にもいくまい。
音を立てず起き上がり馬房に近付いた。声をかける前にそっと様子を伺う。男が一人、女が一人。特に武器は携えていないように見える。 外に人の気配は無い。出口には自分の方がやや遠いが、馬房から出るには馬栓棒をくぐらなければならない。
「おい」
「ああ、目が覚めたかね」
声を掛けると手前の方にいた女が振り向きにこりと笑って見せたが男は一瞥しただけですぐに馬の方に視線を戻す。 50絡みの夫婦という所か。日に焼けて年輪を重ねたごく普通の農民の顔をしている。
男の視線を追ってみると先程自分が眠る時はなんともなさそうだった馬が、今は苦しげな息を吐いている。
「・・・これは?」
死んでしまうのか。
「子供が生まれるんだ」
嬉しそうに、ほら、と示されたのを見ると邪魔にならないよう固く編んで纏められた母馬の尻尾の下から細い前脚と塗れた小さな鼻先が覗いていた。
そうか、死ぬ訳では無かったのか。
何故かほっとした。
「どうして厩舎なんかにいたんだね」
「妖怪に・・・襲われた。このナリでは宿に泊めて貰えそうになかったから貴殿の厩を拝借した」
嘘では無かった。
その、妖怪達を自分が皆殺しにした事は告げなかったが。
そうか、相変わらず自分の方を見ない侭男が呟く。 身重の牝馬の様子を見に来た時に恐らく自分に気が付いたのだろう。そして多分その時酷い有様を見て大体の事情を察した。 だから今更振り返って身なりを確認はしない。そう言う事らしい。
突然牝馬が寝藁の上にごろりと腹を横にして体を横たえた。
難産なのか。
「馬の出産を見るのは初めてか」
体を強張らせた自分に向かい漸く男が笑う。馬どころか生物の出産に立ち会うのは産まれて初めてだ。 笑っていると言う事は、母馬は体を楽にする為横たわっただけであって、驚くような事では無かったのだろう。
「見て気持ちの良いもんでもないから何だったら外に行っていると良い」
今迄じっと座っていた男が立ち上がった。これからが出産本番と言う事なのだろう。夫婦でしきりに母馬に声を掛け始める。
狭い厩にむっと立ち籠める生き物の匂い。
仔馬の体に張り付いている羊膜。
別に・・・気持ち悪くは無い。怖い訳でも無い。
ただ、驚いただけだ。
命の産まれてくる瞬間に。
それだけの事を言葉にすると言う簡単な事も出来ない位今の自分は慌てていたがそれでもその場から動きはしなかった。
「折角だから立ち会うかね」
動こうとしない俺の姿に、男は馬栓棒を外し馬房に入るよう目で伝える。恐る恐る寝藁の敷き詰められた馬房に足を踏み入れる。
「イヤになったら何時でも出て行って良いからな」
改めて眼下に横たわる馬の姿を眺める。
母馬の荒い鼻息。力無く横たわった肢体。母胎から伸びている仔馬の脚は自分の腕よりも更に細くて折れそうで怖い。
「・・・手伝う事はあるか」
「いや、正常出産のようだから何もしなくて良い。この侭見守る」
「それ、頑張れ!」
必死に掛けられる言葉は母馬に対してなのか産まれて来る仔馬に対してなのか。
正常出産だとの言葉通り程なく牝馬は誰の手も借りず子を産み落とした。無事産まれた仔馬はすぐに細い脚で立ち上がろうとした。
ゆっくりして行けと勧められたせいもある。体調が戻らなかったせいもある。 産まれたばかりでまだ名前も貰えず「チビ」としか呼ばれていない仔馬が気になったせいであるかも知れない。
数日経って俺はまだ農家に居た。
産まれたのは牝馬で、栗毛で流星のある母とはあまり似ておらず鹿毛で星一つ無かった。
五体満足で産まれた事に最初は安堵したが、数分経つと母親に似て体が小さい事を夫婦は心配した。 然し仔馬は産まれて一時間後には自分の四肢でしっかり立ち上がった。脚はまだ震えていたけれど。華奢な細い脚を地面に張り詰めて。
滞在している間農家の手伝いをしながら母馬の名前がカバティーナである事、 馬房に親子一緒にいると間違って親が子供を踏んで死なせてしまう場合もある事、 癇性持ちの馬だと子供に乳もやらず追い払う事もある事、色々聞いた。
再び旅に出れば二度と必要となる事のない知識に思われたが、少しだが馬の世話も覚えた。チビは人懐こく、 撫でれば暖かかく、旅の間に忘れていた何かを思い出させた。
チビの名前は未だ決まらず相変わらず「チビ」の侭だったがある日俺は出立を決めた。 辞退したにも関わらず夫婦が糧食を用立ててくれたので受け取る事にした。
母親の後を付いて回るチビの姿や、離れていてもチビが嘶くと声を聞きつけて飛んで来る母であるカバティーナの姿を何時までも見ていたいような気はしたが。
それでも自分は行かなくてはならない。
殺すつもりが無くても子供を殺してしまう母馬や、人が介入しないと子育ての出来ない母馬の話を聞いてもそういう事もあるだろうと何となく納得した。 良いか悪いかと言うレベルの話では無く「ああ、そうか」と思っただけだ。
それでもその母馬達も、カバティーナのように重い腹を横たえ全身で新しい命を産み出したのだ。
それで良い。
仔馬の鳴き声が遠く聞こえて来る。振り返らず、足を踏み出した。