洗濯物日和
明るさに眼を開けば窓から零れて来る陽光が既に昼近い時間だと教えてくれていた。
視界に映る見慣れない木目の天井に昨日布団に入る迄の出来事を思い出す。
此処は妖怪に襲われて無様に意識を失っていた自分を拾った叶と言う人物の家だ。
靴まで黒で揃えた全身黒づくめの、長い黒髪の男。 片方の眼は頬まで続く長い疵痕に覆われているが、残りの眼は茶とも金ともつかない色の動物のような光をしていた。
何が面白いのか口元に笑みを浮かべながら言葉を紡ぐが別段機嫌が良くてとか地顔と言う訳ではない事が分かる。 笑顔の下、油断ならない気配が常に漂っているが特に自分を害する気はないらしい、今の処は。 そのつもりがあれば自分が眠り込んでいる間にどうとでも出来た筈だ。 「外で仕事してるから」と告げられた事が事実なら家で何らかの仕事をしているらしい。と言っても店屋では無い。 そもそも堅気の仕事をしているようには見えない。
怪しい事は怪しいのだがそれが「ヤバイ」空気なのかと言うとそうでは無い。 だからと言ってちょっと変わってるだけの堅気な人間かと言えばそれは絶対に違うと言い切れる。
では何者なのかと言うと───要するにさっぱり読めない相手だ。出来る事ならあまり長居したくは無いのだが。
死に損なった自分を拾って手当してくれた所迄は良い。然し何を思ってか叶は俺の荷物を一切合切隠しやがった。 「お前の怪我が治ったら返してやるよ」と言う台詞を信じるのなら奪ってどうこうしようと言うつもりでは無いらしいが、 とにかく荷物を発見する迄は忌々しい事に出発出来ないのだ。
この地では仏教は信仰されていないらしく自分の額の印を見ても、金冠と経文を見ても叶は特に思う所は無いようだった。 その点は面倒事の種から免れて幸運だったと思う。 万が一チャクラの意味を知っていたとしても自分のようなガキとその意味を繋げて考えると言うのは難しいかも知れないが。 何しろ自分は背が低い所為もあるだろうが実際の年齢よりも幼く見えるらしい事をこの旅の間に自覚していた、 否、自覚せざるを得なかった。
戦闘に入ってしまえば幼く見られる事は敵の油断を誘う点に於いて有利ではあるが、 最初の不意打ちが終わってしまえば相手の警戒心をより強く誘うだけで不利にしか働かない。 成長しきっていない肉体では手足も短い上体力的にも劣る為肉弾戦も長引けば不利になる一方だ。 敵の数が多ければ先に体力の尽きた方の負けとなる。
それでも最後の一体を倒す迄は意識を失わないで来た、 だからこそ今もって生きている訳だが───そう言えば昨日自分の倒れていた辺りにも妖怪の死体が転がっていた筈だが、 叶はその事については何も言わなかった。自分の状態と所持していた銃を見れば自分が妖怪共を殺した事は分かったろうに。
まあ良い。ヤツが何を考えているかは後回しだ。今は荷物を取り戻す事だけ考えよう。 金冠と銃───そして魔天経文。他の物はともかくこれだけはどんな事をしてでも取り戻す。 喪われた侭の聖天経文に続き魔天経文までもが自らの手を離れている事を考えると胃が不快に痛んだ。 怪我が治ったら荷物を返すと言う叶の言葉にしたって真実であるかどうか分かったものではない。
自分で考えた事に思わず身震いし急いでベッドに上半身を起き上がらせると身体の下でスプリングが軋んだ。 昨日は叶の作った怪しげな薬を飲んだ後再度眠ってしまったので気にならなかったが布団を捲り上げてみれば、 自分はサイズの合わない叶のシャツだけしか着てはいなかった。
着替えを求め座った侭室内を見回すと凡そ飾り気などと言う物とは無縁な、 日曜大工の作品のような真っ直ぐな板の組み合わせだけで作られたテーブルの横、 同じくいっそ玩具めいて見える程に素っ気ない木の椅子の背に自分の着物は掛けられていた。 衣服まで隠されていなかった事に安心して手に取って袖を通してみようとして、それが結構な状態である事に気が付いた。
まだ治りきっていない腕の傷。 刃の勢いが布で多少殺されたと言う事もあるだろうが斬りつけられた時当然袖も破れていた訳だ。 縫って直せる破れでは無い。
「・・・・・・」
折れている右腕が多少不自由ではあったが両腕で着物を広げて点検する。 他にもくまなく破れがあるならば新調すると言う選択もあったのだが中途半端に袖だけ裂けているとなると、 面倒ではあるが自力で仕立て直すしかないだろう。 袖を解いて破れ目のある部分は裁ち落とし、もう一方の袖の長さも同じになるように布を裁てばまだ着られるだろう。 袖の部分だけ普通の着物のようになり僧衣としてはおかしな形になってしまうが仕方ない。
着物を椅子の背に戻し鋏と針と糸を・・・と思った処で裁縫道具は荷物の中だった事に気が付いた。畜生。 部屋の中を針と糸を求めて歩き回る。箪笥の抽斗の中まで一通り探してみたが求める物は見付からなかった。 室内に無いのであれば他の部屋を探さねばならない。然し流石にこんな格好で人前に出て行く訳にはいかない。 室内に代わりの服は無かった。諦めて袖の破けた着物を身に纏い隣の部屋に続くドアを開けた。
目的の物を探しながら幾つか部屋を移動したが家の中に叶の姿は無かった。
家の北側にある、4畳半程の広さの薄暗い部屋にガラクタのような物と一緒に突っ込まれている裁縫道具をやっと発見した。 洗濯した時に服が破れてるのは普通気が付く筈だろう。
裁縫道具も一緒に置いてけっ!
親切を期待出来る程親しい関係ではないにも関わらず、現在留守にしている家の主に向かい言葉には出さず罵った。
裁縫道具を持って寝室に戻った処で気が付いた。先程は気に止めずいたが、自分が寝ていた寝台のシーツが血で汚れている。 脱いで放っておいたシャツにも既に茶色く変色した血がこびり付いていた。
「・・・・・・」
寝台からシーツを剥がす。汚してしまった事に罪悪感を覚えた訳では無い。 他人の家に自分の血痕を残しておくのがイヤだったからだ。
シーツとシャツを抱え先程家の中を裁縫道具を求めて歩き回った際に見付けた洗濯機の処へ歩いて行く。 洗濯機のある家で良かった。片腕を骨折している今の状態では手洗いも出来ない事もないだろうがかなり手間取っただろう。 尤もそもそも洗濯機が無ければ如何に他人の家に自分の痕跡を残しておくのがイヤだったからと言って洗濯までする気にはならなかったろうが。
洗濯槽に洗濯物を突っ込んで洗剤を入れ、スイッチを入れた処でドアの開く音がした。叶が戻って来たらしい。
考えてみれば裁縫道具を探すより、洗濯をするよりも先に自分の荷物を探してしまえば良かったのだ、叶のいない間に。 迂闊な自分に小さく舌打ちすると洗濯機の回る音を聞きつけたのだろう、叶がやって来た。
「洗うような物なんてあったか?」
「・・・シーツとシャツ」
忌々しく思いながら振り返りもせずに答えた。
「どうせ洗い物するなら俺が戻る迄待ってりゃ他の物も一緒に洗えたのに」
「・・・・・・」
誰が貴様の分の洗濯まですると言った。
わざとゆっくり振り返って半眼で叶を睨み上げる。だが叶は自分のそんな視線に気が付かない振りをして言葉を続けた。
「この辺りは滅多に雨が降らなくてな。水は貴重品なんだ」
叶の言葉を聞くなり洗濯機の停止ボタンを押した。
「そういう事は先に言え」
そう言えば昨日眼が覚めた時、自分が丸一日寝ていたと告げた後「服はこれから洗う」と言っていたがつまり、 自分が寝ている間に衣服を洗わなかったのは洗濯物がそれなりに溜まる迄待っていたと言う事だったのだろう。
「お前ずっと寝ていただろうが」
「・・・・・・」
確かにな、全身治療されている間も目を覚まさずに、 てめえが出掛けて行った事にも気が付かない程無防備に眠りこけていたのは俺だ悪かったなあっ。
「そういう顔してるとトシ相応に見えるな」
嫌味にさえ感じる程余裕ぶった表情で告げられる。
「・・・・・・」
落ち着け。この男にはただでさえ調子を狂わせられっぱなしなのだ。これ以上見苦しい処は晒したく無かった。
「処でその服破れてるって知ってるか」
「だから何だ」
・・・何故この男はこうも一々怒鳴りたくなるような物言いをするのだろうか。 袖が裂けている事は見れば分かる。他に着るものが無いのから着ていると言うのに、 叶にかかるとまるで自分が破れに気が付きもしないで呑気に身に纏っている莫迦のように聞こえる。
「気に入らないかも知れないが当座の間これでも着とけ」
ほら、と紙袋を押し付けられた。どうやら先程まで姿が見えなかったのはわざわざこれを買いに行っていたらしい。
「いらん。繕えばまだ着られる」
先程目が覚めた時、着替えが無いものかと目で探した事は置いておき中身を確認もせず答えると叶は面白そうに目を細めた。
「言っとくがヘンな柄じゃないぜ?クマちゃん柄とか」
俺の警戒を読み取っているクセにわざと、そんな軽口を叩いてみせる。
・・・もしかして、もしかして、だが。この男は油断ならない人物である事は間違いないが、 俺が警戒しているような下心は持っていないのではないかと言う気がちらりとした。
それは荷物を見付けるまでこの家を出ていけない自分が長逗留しなくてはならない場合に備えて都合良く抱いた幻想に過ぎないのかも知れないが。
「お前が着てくれなきゃ服が無駄になる。俺にはお前サイズの服なんて到底着られそうにないし」
「知るか」
「物は大切に、って寺で教わらなかったか?」
「・・・・・・」
それは勿論教わってはいるが。だからと言って今更喜んで手を差し出す事は出来なかった。
だが叶は返事に詰まった事を了承の意と受け取ったらしい。
「よし、じゃあこの服をお前にやる代わりにお前は洗濯をする。これで良いな?」
「・・・ああ」
そうだ、交換条件があるのなら受け取ってやっても良い。
「着てやるからさっさと洗い物を持って来い」
「何処の寺で育つとそんな口の利き方になるんだ」
宣言し、呆れたように口を開く叶の手から紙袋を受け取ると叶は洗い物を取りに部屋に戻って行った。
「ほら、こいつも頼むな」
「・・・・・・」
ここぞとばかりに大量の洗濯物を押し付けて来る叶の口元が面白そうに少し上がっているのが気に喰わない。 片腕が使えないので洗うのはともかく干すのは一仕事なのだと。 先程から時折椅子に腰掛けてはにやにや笑いながら眺めているだけの叶に死んでもそんな弱音を吐くつもりは無かったが。
「色物は一緒に洗うなよ」
「分かってる」
ばさりと更に放り投げられる洗い物の山に。
・・・一日でも早く荷物を見つけ出してこんな処出て行ってやる・・・!
そう、固く決意した晴天のその日。