誘蛾灯
湿気が肌に張り付くようなじっとりと暑い日だった。 悟空はマントを外し、悟浄は上着を脱ぎ、三蔵は法衣をはだけ、八戒も衣類の喉元を弛めていた。
宿の食堂で食事の後供された良く冷やされた汁気の多い果実を皆が貪り食う勢いで腹に収めた。 暑くても食欲の変わらない悟空はともかく暑いのが苦手な三蔵は一日食事がまともに咽を通らなかったのだが、 やっと人並みに食べられる物にありつけてほっとしていた。


食事を終え籤で割り振りを決めた部屋に戻ると扉を背後で閉めるなり悟浄が三蔵の腕を掴みその体を引き寄せたかと思うと唇を塞いだ。 いきなり何を、抗議の声を上げようと口を開けばそこから舌が口内に入り込んで来る。
「・・・っ、・・・ふ・・・」
深く口付けられ、滅茶苦茶に舌を吸い上げられる。
涼を求めて悟浄は結構な量のビールを飲んでいた、そう思い出したのは自分を抱きかかえる悟浄の体温の高さに気が付いてからだった。
「はな・・・、んんっ」
離せと、短いたった一言を言う暇さえ与えられず角度を変えて更に深く貪られる。 この暑いのに酔って体温が上がった男に抱き付かれていると本気で暑苦しい。 引っ付いてくる躰を両腕を突っ張って退けようとすれば手首を掴まれて抵抗を封じられてしまった。
「ん・・・っ、やめ、」
くぐもった声で必死に抗議し押さえ込まれた両手首に力を込めて抗ううちに一瞬悟浄の唇が離れたので急いで顔を背けて荒く息を吐いた。
「あんまり無茶苦茶するな。・・・口から西瓜が出る」
抗議の言葉は息が上がってしまっていて我ながら弱々しい声にしかならなかった。 呼吸も満足に出来ない程舌を吸われていたので気持ち悪い。
「出る訳ないっしょ・・・」
苦し気な三蔵の声に悟浄が答える。この博識な最高僧様は時々えらく天然だ。
「あ、そう言えば今のキスは西瓜の味だった」
気が付いたようにけろりと言われて三蔵は羞恥の余り悟浄の頭を拳でがつんと殴った。
「うおっ、殴る事ないじゃん!」
しかも拳骨だし!殴られた部位を両腕で抱えて悟浄が盛大に文句を言った。
「うるせえこのエロ河童!」
「そのエロ河童にキスされて色っぽい声出してたのは誰だっけ?」
「・・・このっ・・・!」
羞恥で顔を赤く染めた三蔵が今度こそハリセンを取り出して柄をきつく握り締めた。
「照れ隠しに殴っちゃ駄目だって」
言うと悟浄はハリセンを握り締めた方の三蔵の手を軽く抑え込み素早く三蔵の唇をぺろりと舐めた。
「な・・・っ、何しやがるっ!」
一層顔を赤くしハリセンを持っていない方の手の甲で乱暴に唇をごしごし擦りながら自分を怒鳴りつける三蔵を、 悟浄は不可思議な物を見たと言う目で眺める。
「そこまでしなくても・・・」
キス、どころかそれ以上の事まで何度もした仲だと言うのに。今更キス位で真っ赤になって唇を拭う事はないだろう。
「死ね、この赤ゴキブリ!」
河童の次はゴキブリかよ!
「あー、ハイハイ。どうせ俺なんか尊い三蔵法師様から見たらゴキブリ如きですよ」
わざと三蔵の嫌いな言い方をして悟浄は抑え込んでいた手を放すと同時に横を向く。
「・・・っ」
案の定。ハリセンを持つ手を解放されてもそれを悟浄に振り下ろす事なく三蔵が息を飲んだ。 目を見開いて自分に視線を投げている筈の三蔵に気が付かない振りをして言葉を続ける。
「地べたを這いずり回ってるだけなのに見付かったら即新聞で叩き殺されちゃうような、」
「そういうつもりで言った訳じゃねえ」
気まずげに視線を泳がせながら三蔵が口を開いた。 街でゴロツキに絡まれた時や刺客相手以外で相手の言葉を途中で遮るのは三蔵にしては珍しい事だ。
普段はどんな時でも、 どういう訳だかいつも高い処から現れる紅孩児相手でさえ傲然と頭を擡げて視線を逸らさないクセに、 こんな時だけどうして良いか分からないかのようにこちらを真っ直ぐ見据えて来ない。
「分かってる」
言いながら悟浄は屈み込んで小さく音を立てて三蔵の唇に自分のそれを合わせた。
「ごめん、言い過ぎた」
「何でお前が謝る」
あんたがそういう反応するだろうって思いながらわざと口にした言葉だったから。 そう言えばまたハリセンをお見舞いされるか悪くしたら今度は銃を向けられるかも知れない。
だから悟浄は三蔵の言葉には返事しないで再び口付けた。 部屋に入った時の激しく貪るような口付けではなく相手の出方を伺うような、 イヤだったら自分から離れても良いと逃げ道を残した口付けを落とされおずおずと三蔵が舌を絡めて来た。
三蔵の舌に応えながら悟浄は薄く眼を開いて三蔵の表情を覗き見る。 拙いながらも自分から舌を差し出して来ている三蔵は慣れない行為への羞じらいからかきつく眼を閉じている。 時折震える瞼に長い睫毛。大して明るくもない蛍光灯の光を受けてそんな微細な一本一本までもが輝いている。
互いの口内に専念している三蔵の無防備な表情を見る事も、 甘やかな吐息を絡め取る事も自分だけの特権だ。


ゴキブリとまでは言わないが、悟浄は思う。
拳にも蹴りにもハリセンにも銃の乱射にもめげずあんたに手を出してしまう俺は、 身を焼かれると知っているのに灯りに近付かずにいられない虫ケラと本当は一緒なんだ。

西瓜を食べて思い付いた話。

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