サイレン
安物のカミソリ、安物の歯ブラシ、安物のティーバッグ。
出発の時ホテルのアメニティをごっそり持ち去るのが好きだった。
実の処特に必要な訳じゃあ無い。旅をしている身として身繕いの品一式は常に持ち歩いているし。 節約の為にと言う訳でも無い。こんなもん買ったって大した金額じゃ無い。
然しカミソリや歯ブラシと言う物は早いペースで消耗するモンでもない。 そのうち鞄の中がホテルグッズだらけになったのでアメニティのお持ち帰りは止めた。
ただ一つ、マッチを除いては。





その日取った宿は安いだけあってアメニティはロクに揃ってはいなかった。
まず石鹸が無い。風呂の壁にがっちり取り付けてあるシャンプー入れに入ってるのはボディソープとリンスインシャンプー。 まあ良い。石鹸だってこんな時に備えてちゃんと荷物の中に入っている。
定番のカミソリも無い。これも自分で持っているので無くても困らない。
プラスチックの安物の櫛も無い。そんな安物櫛手ぶらで入った宿でしか使った事無いしこれも自分のがあるので構わない。
本当の処色っぽいおネエさん達の処に行く時を除けば身だしなみを整える事をそれ程重要視している訳では無い。 あればある、無ければ無いでそれなりで済ませる事に不満は無い。 命掛けてでもいつもかっちょいい俺様でいないといけねえの!なんて酔狂も持ち合わせていない。
じゃあコレは何かと言うと、まあ言ってしまえば日常の確認と言うヤツだろうか。
タイクツで平凡で非凡な毎日の中。
昨日と同じこと昨日と違うことを一つ一つ拾い上げ確かめるのだ。


悟空は俺のこの癖を見る度未だ「ヘンなの」と一々口にするが既に八戒と今日の同室者である三蔵は慣れたのか単に諦めたのか、 チェックイン後室内を一通り見て回る俺の姿を見ても何も言わない。
洗面所を出て、ベッドに腰を下ろす三蔵の背中を見るとはなしに見ながら部屋の備品をチェックする。
メモ用紙が切れている。使う予定が無いのでこれも別に構わない。
未使用の灰皿の中に置かれている箱マッチ。これはいただけない。使いかけだ。 開けてみると何時から置いてあるんだか分からないようなそのマッチの軸は白いような黄色いような湿ったようなだらしない色に変色していた。
試しに煙草を銜えてマッチを取り出し箱の側面で擦ってみると意外な事にちゃんと火が点った。 独特のイオウ臭を鼻孔に感じながらフィルタを強く吸い込み用の済んだマッチを灰皿に投げ込んだ。 よくよく見てみれば箱は古びてはいるものの塗布されている赤燐は乾燥している。
ざらりとする箱の側面を指で撫で上げた時、空を震わす不気味な振動と共にくぐもった音が響いた。 獣の鳴き声にも似た幾重にも震えながら重なる、低音。
「気色悪ィ音・・・。なあ、さんぞー様」
「俺が知るか」
何の音か尋ねようとした俺の言葉を先回りして三蔵が吐き出すように告げる。それもそうだ。 その侭廊下に出て隣の部屋のドアを開けた。
「八戒、この音ナニよ」
「あ、悟浄。今洗い物の回収に行こうと思ってた処だったんですよ」
「洗い物は良いけどさ」
「僕だって知りませんよ」
再度問いを重ねようとしたのを先程の三蔵のように機先を制しそう八戒が答えた時唐突にサイレンが鳴り止んだ。 残響に大気を震わせながら。
「何だったんだ一体・・・」
「だから僕は知りませんって」
それより、と八戒は続ける。
「早く洗濯物を出して下さい」
「何だよ張り切っちゃって?」
急かす八戒に部屋に押し戻され洗い物を手渡しながら尋ねてみる。
「この街は風が強いから洗濯物が良く乾くんですよ」
「なるほど・・・」
返答は背中を向け足音高く張り切って歩き出した八戒には聞こえなかった事だろう。





昼を回ってからチェックインしたと言うのに八戒の言う通り、洗濯物は夕方には乾いていた。
「いつもこんなんだと楽チンで良いな」
手伝いをした訳でもない悟空が何やら嬉しそうに言う。
「そうでも無いんですよ。昼のサイレンの事、宿の方に伺ったんですが」
料理の皿をテーブルに置きながら神妙そうに八戒が声を顰める。 因みにキッチン造り付けの自炊タイプの宿なので今日の食事は八戒の手作りだ。
「あれ、火事のお知らせだそうです」
「じゃあ昼のは・・・」
「ええ。この街は風が強いじゃないですか。火事になるとすぐ燃え広がってしまって大変らしいです」
八戒の台詞に、数時間前に聞いた胃の腑にまで響く不吉な音を思い出す。 だからあの音はあんなにもおどろおどろしい音をしていたのかと納得する。
家も、財産も、何もかも炎の中に喪う者の為に永く鳴り響く葬送曲。
「大丈夫だったのかな」
蝦マヨの皿に箸を向けながら見も知らぬ誰かの事を悟空は心配する。
「全焼だそうです。最近放火が多いらしくて街の方達は自警団を組んで夜は見回りしてるらしいですが・・・」
「その裏をかいた訳か」
明るい時間だったからか、窓の外に火の手も煙も見た記憶は無かったが。或いは宿から遠い処だったのかも知れない。
「そうらしいです。幸い死傷者は出なかったそうですが」
風が強い事を喜んでいた八戒はまるで自分が火を点けたかのように落ち込んでいる。
「ひでえヤツがいるんだなっ!早く犯人が掴まれば良いな!」
憤慨しながらも悟空は鶏肉と白菜の和え物を物凄い勢いで自分の取り皿に載せている。
「お前取り過ぎだっつーの!一人で喰う気か!」
「だって美味いんだもん・・・ふごふご」
「喰いながら喋るんじゃねえっ!」
スパーン!
「いてーよ何すんだよさんぞー!」
「そう言えばコレ初めて見る料理じゃねえ?」
「あ、ええ。八百屋のおばさんにレシピを教えて貰ったんですよ」
いつも通りの騒ぎが始まると八戒も少しは気が紛れて来たらしい。三蔵はああやって怒るがお猿ちゃんの存在と言う物は結構侮れない。





部屋に戻り煙草に火を点けるのに先程のマッチをまた使ってみた。
変色しかけたマッチ棒で箱の側面をこすると湿気っていそうな外見とは裏腹に再びきちんとマッチ棒の先には火が灯る。
「三蔵も100円ライターなんかじゃなく偶にはマッチでも使ってみる?」
「いらん」
そう答えて煙草を銜えるのに火を差し出してやると三蔵は文句も言わずマッチから火を灯した。 煙草に火を灯し終えたちろちろと炎の上がっているマッチの軸を尚も指先で挟んだ侭眺める。 例えばこの火を紙か何かに移してしまえばいとも容易く大きく燃え上がるのだ。
ああ、だからこの部屋はメモ用紙が切れているのかと皮肉に思ってみる。
これは、凶器だ。
「うぉっ!あっちぃ!?」
長くもないマッチの軸はあっと言う間に燃え尽きそうになりつい手を離すのが遅れて指先がチリチリと痛む。
驚いた。
指先で摘み上げる程の小さな棒の先に宿ったオレンジ色の炎の勢いに。
「何やってる、バカが」
「火傷したかも・・・舐めてよ」
「てめえで舐めろ」
「俺のココはハイライトと三蔵専用v」
唇を尖らせて言うと聞くが早いか無言で三蔵は距離を詰めたかと思うと自らの唇に挟んでいた煙草を抜き取りおもむろに俺の指先に押し付けようとした。
「おおっ!?何すんだこの坊主!根性焼き反対!」
慌てて退き叫ぶのに三蔵は何もかも見透かしたような顔をして。
「ばぁか」
告げたのはただの一言。
弱きを切って捨てる相変わらずのその態度に情けない程俺は安堵した。


燃えること
燃やされること
燃えて消え去ること
燃して消し去りたいと思うこと
消えて無くなってしまったら良いと思うこと
跡形も無く


衝動も凶器も抱えそれでいて狂気に身を委ねる事などありはしないのだこの紫の瞳は。
そしてその瞳に見守られている限り俺も大丈夫なのだと思う。
その人は多くを語らないけれど瞳は雄弁だから。

ゆらゆらと自らを不安に揺さぶる不気味なサイレンに揺らされる事の無い彼の人が嬉しくなったので。
その唇から煙草を取り上げてキスをしたらいつものようにしかめッ面を返された。

ホテルの部屋に入ると一通りチェックします。 洗面所のコップが剥き出しかビニル包装済みか、ポットあるのに湯呑み置いてないって事はお茶呑む時はガラスコップ使うのかよ! とかゴミ箱が部屋にしか無い(洗面所にもあると良いですよね)とかティッシュが無いよとか (二人部屋でトイレットペーパーしか無いと相手が風呂入ってる時にティッシュ使えないので不便)とかTV壊れてるとか。

100題