Stand by me
生きていく為に何が必要かなんて、知らない。
廃墟と化した吠登城を後にした時彼の人が固く唇を引き結んでいるのが気になった。
「桃源郷に於ける妖怪達の自我の崩壊の大元を突き止め阻止する事」と言う三仏神から賜った指令を無事達成し、 永年探し求めて来たのだと言う天地開元経文の一つ、師匠の形見であると言う「聖天経文」 をその掌中に取り戻した人間のするにおよそ相応しくない表情。
三蔵と言う奴がどんな奴かは充分承知しているのでこんな時だからと言って「やったあ」だの「ひゃっほう」 だの言い出したら吠登城崩壊のドサクサで何か悪いモノに取り憑かれたか、 さもなければ一気に重荷が無くなった衝撃に精神の均衡を欠いてしまったのだと思う所だが、 それにしてもその表情は無いだろう。
少し血の気の引いた青白い横顔。
「三蔵、大丈夫ですか?」
八戒も気が付いたらしく心配そうに声をかけるがその声にノロノロと視線を向ける三蔵も、 視線を向けられた八戒も満身創痍の酷い有様だった。勿論悟空と俺も。 嘗て「カミサマの城」の崩壊に立ち会った時以上に傷だらけだった。 特に三蔵は「三蔵法師の肉」を喰らいたい妖怪達に大量に飛び掛かられ、 「他のヤツはどうでも良いから三蔵法師だけを狙え」との敵の首魁の言葉の下集中砲火に晒され、 肩口を抉られた怪我は八戒が傷口を塞ぐまで出血が止まらなかった為顔色が悪いのは血が足りない所為でもあるのだろう。
それでも気丈に誰の手も借りず一人で立っている。
いつも揺るがない背中はこんな時でさえ凛と伸びている。
「もっとさ、簡単に生きて超ハッピーになったって良いじゃん」
「何がだ」
長安に急いで戻る必要はないだろうと体調を整える為取った宿の寝台で心地良い微睡みに身を委ねながら三蔵を抱きすくめる。 未だに血が足りないらしい三蔵は手足だけでなく躰までもが冷たい。 きちんと洗われた清潔な寝間着の背に頬を押し付け後ろから完全に包み込むように両腕を巻き付けるのに三蔵は身じろぎもしない。
怪我が治るまでは抱かないでおいてやろうと思う。ただこうして抱き締めているだけで充分温かい。
いつも気功で俺達の、特に井の一番で三蔵の怪我を治療する八戒も、 自らが深い傷を負っているだけに碌に『気』が溜められない状態らしい。 あの日三蔵の怪我を表面的に塞いだ後は「もう大丈夫ですから」と言い張るのを押し留めて気功を使わせないようにしている。 人間だけあって治癒力のそんなに高く無い三蔵の怪我はまだ治りきってはいないのだが多少の事は仕方あるまい。
何と言ってもこうして生きていることだし良しとしよう。
眼を閉じて更に強く三蔵の背中に頬を押し付ける。・・・細っせぇ躯。
この躯から大量に流れ出した血が白い法衣を真っ赤に染めていた姿を思い出す。
・・・生きてることだし。
喰って寝て日がな最小限の動きしかしないで自力で怪我を癒す野生の獣。
・・・うん、生きてるし。
「三蔵はまだ怪我が治りきってねえから煩いお猿ちゃんと一緒の部屋にする訳にはいかないの」
そう言って三蔵と一緒の部屋になりたがった悟空を退けた。
「ぜってー騒がしくしねえから!」
「言ってる側から声でけえよお前!」
「悟浄の方こそ煩えよ!なあ、三蔵」
食い下がる悟空を制したのは三蔵だった。
「八戒を看てろ」
放っておくと三蔵程では無いにしろ自分の身体を二の次にするのは八戒も同じ事だった。 恐らく三蔵と同室になったら八戒は自分の身体を顧みず折を、或いは隙を見ては三蔵に気を当てるだろう事は想像に難く無い。 其処で何故悟空を指名したのかは三蔵にしか分からないが、 並外れた回復力の悟空にだったら八戒が気を当てようとはしないだろうと踏んだのかも知れない。
「・・・うん」
三蔵に部屋を指定された悟空はそれ以上言い募る事はせず素直に返事をした。そして
「悟浄。三蔵を頼むな」
真正面から俺の目を見据えて言った。思わず息を呑む程真っ直ぐな瞳で。
三蔵と一緒に居たいのだとごねる事無く。
俺が三蔵と同室を買って出たのは悟空への嫌がらせでは無く三蔵の為だと疑いもしない強い瞳で。
・・・もう誤魔化せねえのかも知れねえな。
悟空の瞳を見て俺はそう思った。
「さて、どうしようか」
悟空の顔を思い出しながら三蔵の背中に向かい独りごちる。 あの意思の強い迷いの無い瞳は今俺の腕の中に居る人物のものと良く似ている。 三蔵と悟空は全然似ていないようで実の処とても良く似ている。 互いを互いで満たしあうように深い処で分かち難く結びついている。 その悟空に、薄々感付いているにしろ三蔵はもうお前だけの三蔵ではないのだとどう説明したら良いものか。
『お嬢さんを僕に下さい』
イヤ、そりゃ花嫁の父親に言う台詞だ。くく、と三蔵の背中に向かい息を零す。
「先刻っから何だ」
「んー?ヒミツ」
「死ね」
惚けると捨て台詞を吐いて三蔵はもぞもぞと身を捩った。
「ナイショにしてると気になる?」
「暑っ苦しいから離れたいだけだ」
「暑い訳ないっしょ。あんたこんな冷えてるし」
俺の腕を解こうと後ろ手に回された三蔵の手を逆に掴み取る。
「てめえは熱いな」
そう言うと三蔵は諦めたように起こしかけていた上半身を再び布団の上に沈めた。
「あんたが冷た過ぎるだけだって」
腕の中で三蔵の身体を転がし今度は向かい合いになる。 無理に動いた為ずれてしまった毛布を寝転がった侭何とか腕だけで直そうと試みる。
「てめえは、熱い・・・」
ぱさぱさと何度か毛布を引っ張って掛け直してやると先程と同じ言葉を繰り返し三蔵は瞳を閉じた。 失血の為貧血気味の三蔵はあれ以来良く眠る。
「あんたも口唇は熱いよ」
言葉を返しながらゆったりと三蔵の唇を貪る。 いつも自分のものとは違う銘柄の煙草の味のする唇もここ数日は煙草の味が絶えて久しい。
「長安に帰ったらさ」
呟くと三蔵が眼を開けた。ここの所何の感情も表す事も無く、 いつも眉間に刻まれていた深い皺さえ消え失せ、 代わりに完全な無表情を保っている腕の中のその人は今も何の感情を抱いているとも伺い知れない。
「もっと寺に近い所に引っ越すよ」
あ、久し振りに見るなその眉間の皺。美人が台無しじゃん。
「長安に越しても良いし」
「てめえの稼ぎじゃ長安の地代は払えやしねえよ」
バカにしたように即答された。でもそうやって憎まれ口叩いてる方があんたらしくて、 悪口雑言を吐きもしない代わり丸きり表情を消してお綺麗な人形みたいなツラしてるよりもずっと良い。
三蔵があれ以来何を悩んでいるのか気にならないと言えば嘘になる。 けれど口に出せる事ならそのうち言ってくれるだろうし何しろ三蔵は尊い三蔵法師様だ。 市井の住民である俺らなんか及びも付かない事を想い悩んでいるのかも知れない。
「三蔵が地代なんて下世話な事知ってたなんて驚き」
「何年長安に暮らしてると思ってる」
「あんた寺に住んでるから関係ないじゃん・・・」
もっと話して。
もっとあんたの声を聞かせて。
重責を果たして尚笑う事さえ出来ないのならあんたの代わりに俺がバカな事を沢山言ってやるから。
「なー、ヤメロって言わないって事はOKって思ってて良い?」
「・・・バカが」
笑いながら問い掛けると三蔵は疲れたようにそれはそれは深い溜息を吐いて眼を閉じた。
「あ、何だよ照れ隠しにしちゃ疲れてるっぽいじゃん」
「世の中はてめえのめでたい頭程簡単じゃねえんだよ」
「何かそれ障害さえ片付けば三蔵はオッケーって言ってるみたいに聞こえるんだけど」
「んな訳ねえだろ。そんなに一遍に、色々・・・」
言ってるうちに声が小さくなり、言葉が途切れた侭三蔵は眠ってしまった。
「・・・三蔵?」
三蔵が話の途中で一方的に眠ってしまった事に少し吃驚したが起こすのも悪いと思ったのでそれきり口を噤んだ。
一年以上も旅を続けて来て、こんな怪我だらけで、そして言い掛けて眠ってしまったが「色々」、 そう、三蔵は色々考える事も片付けなくてはならない事もこれから先背負う物も抱えている。
一人で抱えている。
もっと、簡単に生きさせてやりたいだけなんだけどな。
正面からこの気持ちをぶつけてみたらどうなるのだろう。
どうにかなるのだろうか。
どうにかなる事があるのだろうか。
そんなぬるい熱は要らないと、言われるだろうか。
だが三蔵が弱い人間の身でありながら誰の手も借りず一人で立つ為に傷だらけになりながらも俺達に揺るぎない背中を見せる事を希むのを知っている。
その背中に導かれる人々の為でなく他でも無い自分の為だけに。
彼は、そうして立っているのだ。