越境
天竺に近付くにつれ険しくなって来る地形。実際、地図を見た限りだと天竺と言う処は相当な山地のようだった。
ジープでは進めないような剥き出しの岩肌を幾つもよじ登って、先人達の拵えた、 切り立った崖の横っ腹の固い岩盤を少しだけ堀り崩して木を突っ込んで作った足場とも言えないような足場にお目に掛かる事も既に数度目だった。 絶壁の下に幾つもの白骨が見受けられるその足場。つまり、 難に遭う事を覚悟の上でこの辺りの人間はこの足場を道として利用していると言う事、 どんなに危険であろうともその古木を足がかりに岩肌に張り付いて進むしか道はない事を、 動物のものと人間のものとが入り交じったその白骨は語っていた。
事実その道筋が作られているのは多少なりとも気候の穏やかな地域で、 もしその足場を避けて通るのなら地元の民から「雪山人」とも呼ばれる、冬と言わず夏と言わず積雪の溶ける事のないその山の、 「毒竜」と呼ばれる気まぐれに吹いては砂礫も雪をも吹き飛ばす強風の吹き付ける山頂付近を通過して山越えをするか、 或いは人里もない逆方向に大きく迂回して行くしかなかった。 人通りの少ない、しかも今のルートの3倍は大回りになる迂回路を、 持てる荷物も少ない少人数で進む事の危険さは、誰に教えられずとも分かる。
過去の多くの犠牲の末に、考え抜いて選ばれたルートに違いなかった。
どの道、飛竜も持たぬ者には楽をして進む事が出来ない事に変わりはなかった。
しかも、冬ともなれば絶える事のない吹雪に道が閉ざされ集落と集落の間の交流も途絶えるのだと言う。 道が閉鎖される訳ではなく、止む事のない降雪に僅かばかりの道は失われ、極限まで下がった外気と強い風と雪とで、 野生の獣のように暖かな毛皮を持つ訳でもない人間の身ではあっと言う間に体温を奪われ身動きが出来なくなる、 そして風から身を守れるような場所もないともなれば閉鎖などしなくとも誰も山越えを強行したりはしない。
この地域に着いたのが冬であったなら、春の到来まで数ヶ月足止めを喰らう処だった。
「でもさ、紅孩児達って皆すげー薄着じゃん。あれって天竺が暑いからなのかと思ってたけど、 その逆で山のこっち側ってアイツらにとってはあったけえって事なのかな」
「ちげーねえ!紅孩児も李厘も腹出してるしな・・・っと!」
ゲラゲラと笑った悟浄が拍子に脚を滑らせかける。
「気を付けて下さいよ。谷底に落ちたら骨を拾いに行ってあげる事は出来ませんからね」
恐ろしい事をさらりと言ってのける八戒は、それでもへらりとした笑顔を絶やさない。
「・・・気を付けます」
そんな訳で今日もどうにか山を越え人里に辿り着いた。
西方に住む人間はそこが山岳地帯である事をさして気にもしていないようで山と山の間の不便な谷間を超える間に幾つも集落を見掛けたが、 旅を続けるのに必要なもの──例えば銃弾や煙草だ──を入手するには矢張りもっと交通の便の良い、 つまり人の行き来の活発な街まで赴く必要があった。食い物は山中にあっても自給自足で何とかなる事も、 山で生活している限りは手に入らないものがある事も、何と言っても山育ちの身だ、良く知っていた。
いっそ、金山寺がアスレチックじみたもっと険しい山中に在ったなら、こんな山にでも楽に対処出来ていただろう。 考えてもしようのない事だが。そんなくだらない事を考えたくなる程度には、今回の厳しい旅程に疲労しきっていた。
一つ息を吐いて大きく背中を伸ばすとぼきりと嫌な風に骨が鳴る。
山越えで筋肉のあちこちに無理な負担が掛かっていたようで、次いで頚を回すとめきょめきょと気持ち悪い程の音がした。
「・・・・・・」
同室の悟浄が風呂に入っていた処で良かった。もしヤツがいたならば「年寄りくさい」だの何だの散々からかわれていた処だ。
疲れている所為だ、そう思いながら寝台に横になる。
まだ深夜でもないのに眠っていたらまた悟浄のヤツに「じじいかてめえは」とか何とかムカつく事を言われる事になる、 そう脳裏でちらと考え、横になるだけだと言い訳する。
ああ畜生、何で俺がこんなにもあのアホ河童の言動を一々気にしなきゃならねえんだ、 毛布を引き上げると急激に襲って来る睡魔に、少しだけだと、そう思いながら耐えきれず瞼を閉じる。