きらいなひと
「・・・っ!」突如横合いから伸びてきた箒の柄に脚を取られてうっかり転んでしまった。
別段ぼんやり歩いていた所為ではなく俺が脚を踏み出した時にはその場所には勿論箒の柄などにょきりと生えてはいなかった。 にやにやと笑いながら先程俺の脚を引っかけた箒を肩に担ぎながらムカツク坊主どもがこちらを見ているので四つん這いのみっともない格好をしながらも畳に手をついた姿勢で奥歯をぎりと噛み締めて悲鳴の一つも零さなかったが。
つるつるの木の床板と違い畳は目が細かい為本来だったら滑りにくい、 つまり摩擦係数が大きい訳だ。
そんな所ですっ転べば勿論膝を起点として起こる摩擦に薄い皮膚が耐えられる筈も無く。
・・・クソ。血ぃ出たぞ。死ね。死にくされこのクソハゲども。
3分間しか戦えないでかいアルミ色の生物のように目からビームが出たらてめえらなんざ瞬殺だ、 そう思うが睨むだけでは勿論ビーム光線が視線の先へと飛び出して行く事はなく心の中でだけ罵ってその場を立ち去った。
忌々しいクソ坊主どもの姿を見掛ける事の無い廊下で腰を降ろして先程擦り剥いた膝頭を確かめる。 べろりと大袈裟に皮が剥けている割には大して血が出てはいない事に僅かに安堵する。
生傷の絶えない生っちろい皮膚。傷を拵えると否が応でも目立ってしまう、色の白い膚。 怪我などはどうと言う事はない。こんなものすぐ治る。 坊主どもにつまらないちょっかいを出されたとすぐお師匠様にバレてしまう事だけがイヤだった。
これだけの数の人間が集まって暮らしていて、年齢だとか位階だとかによる順列がある中ではちょっとした鬱憤を吐き出す為の対象、 「贄」が必要だ、それ位の事は分かっている。 何処の馬の骨とも知れぬガキが三蔵法師様のお側近くに仕えている事は、 その鬱憤の向かう先となるには調度良いぐらいの事は、当の馬の骨である俺にだって分かる。
自分が捨て子だと言う事は坊主共の陰口を聞く迄もなく知っていた。お師匠様が朱色の数珠を両掌に載せて渡しながら教えてくれた。
「これからは貴方が自分で持っていて下さい」
と告げて。ただのガラス玉を染料で染めた粗悪品ではなく本物の紅い石でのみ作られた一繋ぎの数珠。
あんな坊主共の誹りなんか、全然平気だ。
血の滲む膝を抱えて片膝を立てる。
何時までもこんな所でサボっている訳にもいかない、そう思った時その声が聞こえた。
「ヨ、江流。そんな所で何してんだ?ぱんつ見えてるぞ」
「!!!」
乾いた土を踏み締め庭から現れた朱泱の姿に慌てて足を揃えて衣を正す。
「しゅっ、朱泱のえろ」
「何だと〜お前がぱんつ丸見えで座ってるからだろうが」
ふざけたように言いながら朱泱が拳で俺の頭をぐりぐりと押さえ付ける。朱泱の手の骨が頭に当たって痛い。
「何すんだ離せッ」
べしべしとその大きな手を殴り付け目の前に在る腹に蹴りを入れる。
「本気で蹴るなよ痛えだろ」
俺の足が腹にめり込む前に体を離したクセにそう言ってわざと大袈裟に痛がって見せる朱泱の視線が俺の足の上で止まる。
「血が出てんぞ。転んだか」
どうして怪我なんかしたのかと訊ねる事無く袂をごそごそと探っていた手から絆創膏が現れる。 痛いとも手当してくれとも言っていないのに当たり前のように大きな手が器用に剥離紙をはがして膝の上にぺたんと絆創膏を貼り終えるまで俺は黙って身じろぎもしないでいる。
「おし。もうケガすんなよ」
仕上げとばかりににやりと笑った朱泱が頭をてのひらで撫でる。
こんな風に甘やかされて甘ったれて。
お師匠様に心配をかけないような、何でも一人で出来て泣き言も言わない強い大人になりたかったのに、俺の心積もりは台無しだ。
「余計な事すんな」
朱泱のバーカ、と内心で罵りながらくるりと背中を向けて廊下を歩き出す。
もう膝は痛まなかった。