love is not enough
ビールを飲みながら或いは煙草をふかしながらがさと音を立てて新聞を広げ、
何かしら自分の気を引くような記事が載っていないかと薄っぺらい紙面にゆっくりと視線を走らせる。そんな時三蔵は大抵眼鏡を掛けているので普段険しく眉間に刻まれている皺の1、2本は少なくなっていて、 成る程いつも三蔵が顰めっ面なのは視力が弱い所為でもあるのかとふと気付く。 勿論面白い事があろうがなかろうが何時だってキリキリ眉間に皺を寄せているヤツの顰めっ面の理由が視力の所為だけでないのは分かってはいるが。 理由と言うか本当の処理由なんかないのだ。理由などに関係なく三蔵は何時だって仏頂面だ。
そして視力矯正器具の力を借りて普段より目聡くなった三蔵は、俺が三蔵の事を見ている事に気付き不機嫌な声で「何だ」と言う。
そんな時俺はへらと笑って「ビール、もう一本出した方が良いか考えてた」なんて適当な事を言う。
「飲む?」
自分の口に出した言葉を本当にする為にそう訊ねるのに三蔵は日によって「そうだな」とか「いや、いい」とか言うが今日は前者だった。
「はい」
「ああ」
冷蔵庫から取り出した心地良く冷えた缶ビールを有難うとも言わず受け取り再び新聞紙面に視線を戻した三蔵を、 再び俺はこっそりと盗み見る。
「眼鏡を外したら美人」と言う言葉があるがこないだ泊まった宿のフロントのオネエチャンは、 眼鏡を掛けている時は知的美人だったのに、翌日廊下で擦れ違った時は眼鏡を外していて、 「誰?」と思う程ではなかったが、あんまり素顔は魅力的ではなかった。 何と言うか、顔立ちも10人並、睫毛も取り立てて長くはないし鼻筋がきりりと通っている訳でもなし、 唇も厚くもなく薄くもなく、特長と言うものが感じられなかったのだ、彼女からは。 何処か誉めてみろと言われたならば、ニキビの一つもない綺麗な膚は賞賛に値すると誉め千切る事に躊躇はしない、 シャンプーのCMで見るようなサラサラの髪は思わず手を伸ばして触れてみたくなる程だった、 それは確かだったが「眼鏡を外したら美人」の逆で「眼鏡を掛けていると美人」 と言うパターンもあるんだな、と妙に感心したのを覚えている。 目の前の最高僧様は、眼鏡を掛けている時も美人だが眼鏡を外している時も美人と言う非常におトクな顔立ちをしている。 勿論眼鏡だけでなくサングラスも似合う。
つまり、眼鏡がどうこうではなく美人は何を身に付けていても何を身に付けていなくとも美人、と言うヤツだ。
・・・待てよ、だったら色男な俺も眼鏡が似合う筈だ。 生憎、と言うか幸いな事に俺は視力は良い方なので眼鏡なんぞの厄介になる必要はないのだが。
だから、ホンの出来心だった。
三蔵が風呂場に姿を消した時にテーブルの上に置きっ放しになっていた三蔵の眼鏡を手に取ってみて、 あまつさえちょこっと目に当ててみたりしたのは。
「うおっ!?」
何だこりゃ。
目が、目が回る。
視界がぐらぐらして気持ち悪い。
廻る視界に思わず顔を動かしてしまい、歪んだ視界の侭頼りなく映る景色に更に目が回る。
似合うかな、なんて鏡の前まで行ってみようとしたのだが視界が安定しなくて歩けない。
折角のビールが胃の中でたぷたぷと揺れているのを感じる。
つうか食道に逆流しそうだ。
もうほんの一秒も我慢出来なかった。
目を閉じて乱暴に眼鏡をむしり取る。
「・・・うげえ・・・」
よくこんなもんかけてられるな、三蔵のヤツ。
そうだ、もしかしてコレは老眼鏡と言うヤツではないだろうか。
だから、まだ若くてピチピチの俺がかけるには早過ぎると、そう言う事ではないだろうか。
ことりと僅かな音を立てて眼鏡を元に戻しながら、俺はそう思ったのだった。