Les Clefs d´Or
必死に俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。あまりにしつこいその声が頭蓋の中をばかでかい音量でがんがんと響き渡る所為で頭痛さえ起きてそれでも他の者にはその声は聞こえなくて、 逆に俺の頭がおかしくなったのかと思われムカついて出所を探しに旅に出た。
頭の中で他人の声が響く事を不思議だとか不条理だとか思う人がましい感情は疾うに消え失せていた。 頭の中でわんわん鳴り響く声の事を主治医に「頭が痛い」と訴えたら 「法師様は激務でお心を病んでおられるようです」とまるで俺の頭がイカれているかのようにこっそり寺の坊主共に告げられていた。 だが俺はそれで仕事の量が減ったのを良い事に休みを取って五行山に上り、そして声の主を見付けた。
「500年もの間生きている化け物」
その話を聞いた時は即座に「バカらしい」と思った。 五行山の麓に住まう僅かな住人達がその化け物の為に食い物、或いは「贄」を差し出している素振りはなかった。 そう言った、裏のありそうな昏い翳りは感じられなかった。よしんば化け物が封印されている事が本当であったとしても、 500年もの間何も喰わずに生きていられる筈がない。
聖なる空気を纏った霊山である五行山。
結界らしきものが張り巡らされている空気は感じたが、山全体が封印されてる訳ではない。 妖気を押し隠す為の結界も張り巡らされていない。つまり、その妖怪が暮らせるのは本当に山頂の、 岩肌が剥き出しになった荒れたエリア内だけだ。そんな処に食い物があるようには見えなかった。 小川の一本すら流れている気配もなかった。
殊更に温暖な訳でも、食い物が豊潤な訳でもないそんな処で500年もの永きに亘り生き永らえる事が出来るのであれば、 それは寧ろ化け物と言うよりも神仙に近い。
何となく浮かんだ自分の考えが間違っていなかった事を知るのは、当の「化け物」を伴い下山し、三仏神に拝謁した後の事になる。
「腹が減る事が嬉しい」
と、涙のみならずハナミズまで垂らしてみっともねえツラを晒してみせたチビガキ。
何だか分からんが妙に懐かれて「声を出して呼ぶから名前を教えろ」と言われ、次いで名前を教えられた(と言うか無理矢理聞かされた)。 何となく追い払う気も失せて、小腹が減った事もありガキを連れてそこらの飯屋に入った。
「いったっだっきまーす」
声こそ無駄にバカでかかったがきちんと両手を会わせて挨拶するのにおや、と思った。案外まともじゃねえか、と。
然し俺の認識は即座に訂正された。
「がっごっごっごっ、ふがっ」
「音を立てて飯を喰うな!」
「うんめー!・・・ん?何か言った?」
「食いながらしゃべんな!」
「なあっ、さんぞー、このメシ美味いな!」
人の話を丸っきり聞いた様子もない侭そう言うとサルはメニューに手を伸ばす。
「なあっ、これ何て読むの?」
「・・・・・・エビ玉」
呆れながら答えてやる。何にしろ向学心があるのは良い事だと無理矢理自分を納得させて。
「じゃあコレは?」
「翡翠餃子」
「コレは?」
「塩鶏麺」
「ふーん・・・おっちゃーん!エビ玉と翡翠餃子と塩鶏麺追加!」
サルが勢い良く言う台詞に危うく食いかけの米粉を吹き出しそうになる。
「おい、そんなに食える訳ねえだろ」
「だって俺すっげー腹減ってんだもん」
確かに、既にサルの皿は殆ど空になっている。 料理を勝手に追加で頼んだとは言ってもどっからどう見ても金を持ってなさそうなこいつに自分で払う気があるのかはアヤシイ。 と言うか金を払うものだと言う概念があるのかすらアヤシイ。
「頼んだもんは全部てめえで食えよ。残したら承知しねえからな」
呆れて告げるとぐぎゅう、と返事代わりにサルの腹が鳴った。 確かに、目の前のサルの話が本当であるならば、コイツは500年もの間何も喰っていない事になる。腹も減るだろう。 何も喰わないでも生きられる存在、と言う訳ではないようだ。
・・・・・・まあ良い。残したら食事と言うのは必要な分だけ頼むものであり、 欲しいもんを好きなだけ頼むものではないと叱れば懲りるだろう。・・・待て、なんで俺がこんなバカザルの躾をしなくてはならんのだ。
「お待ちどうさま!」
店員が湯気の立つ料理を卓に載せ、空になっているサルの前の皿を下げる。
「わー、美味そー」
再び大喜びで忙しなく箸を動かして行く、サル。
一口、二口、三口・・・。
「・・・・・・」
「あれ、三蔵食わねーの?コレ美味いぞ」
「・・・だから食いながら喋るなと・・・」
叱りつける側から皿の上の料理がサルの口の中へと消えて行く。 何と言うか、「種も仕掛けもございません」とか言う手品の類を見ているようだった。
大の大人ならともかくこんなチビがありえねえ程の量を一人で次から次へと平らげて行く様を見るのは、はっきり言ってとても気味が悪い。
「・・・・・・」
無言で食いかけの皿をサルの方へと押し遣る。
「あれっ、どうしたの」
「やる」
「えっ」
きょとんとしたツラを返され、初対面の人間の食いかけなんぞ押し付けられて喜ぶヤツはいない、と我に返る。
「あ・・・」
気まずく皿の淵に掛けた侭の手で皿を引き戻そうかと暫し惑うが、サルのヤツはぱあっと顔を輝かせた。
「ホントに俺が食っちゃって良いの?」
「あ、ああ・・・」
「さんきゅな!」
満面の笑みを浮かべた後、サルは再び物凄い勢いで食い物に没頭して行った。 そう、没頭と言う言葉が相応しいような食らい付きぶりだった。見ているだけで胃がむかついて来る。 コップの水で唇を湿らせてから懐の煙草を取り出す。
そして、密かに俺は考える。
この大食らい猿が寺まで附いて来ちまったらどうしたら良いのだろうか、と。