10月の詩
「なー、三蔵サマ。こんな山の中闇雲に歩くの危ないって」
ざくざくと枯葉の山を踏み越えながら悟浄はその日宿泊する事になった寺を飛び出して乱暴に脚を進める三蔵に声を掛ける。
「うるさいっついてくんな!」
「あーもー・・・身軽だなクソ坊主は」
ひらりと。法衣の白い布を翻らせ足場の不安定な岩場を物ともせず三蔵はみるみる遠ざかって行く。
「ついて来んじゃねーよ!」
それでも三蔵は一応立ち止まり、岩場の上から悟浄を見下ろし宣言した。
「そうもいかないでショ日も暮れてきたし・・・っ!?」
傲然と自分を見下ろす三蔵の姿を目で追いながら脚を踏み出した悟浄だったが、 薄暗くなって来た山中とは言え人間より目が利く筈の半妖の身でどうした訳か脚を滑らせて勢い良く後ろ向きに倒れ込んだ。
「ザマみろクソ河童」
「・・・・・・」
「オイ。死んだフリなんかしてんじゃねえよ・・・・・・おい、悟浄・・・?」
返事が無いどころか悟浄は指先さえぴくりともさせない。 呼び掛ける声が我知らず不安げな小声になると三蔵はそれ以上声を掛ける事を止めて恐る恐る悟浄の処まで戻って来た。
「・・・・・・」
三蔵は横たわった侭の悟浄に無言で近付く。本当に意識が無いのか確認しなくてはならないが頭を打っているのなら動かしてはまずい。 ざっと眺めた処外傷は無いように見えるのだが。
「・・・お星様が見えた・・・」
三蔵が傍らに屈み込むタイミングを見計らったかのように悟浄が口を開いた。
「狸寝入りかよ」
一瞬でも本気で心配してしまった自分が悔しいとばかりに吐き出すように三蔵が言い捨てる。
「あー?違う違う。マジ動けなかったって」
そう言いながらゆっくり上体を起こしてから悟浄はイタタ、と後ろ頭をさすった。それからやっと気が付いたように三蔵と視線を合わせた。
「三蔵酷い顔してる」
「ああ?」
「あー、そーゆー意味じゃなくて。心配した?」
「そんな訳あるか」
速攻で返って来る憎まれ口だが横を向いた三蔵が唇の震えを隠そうとぐ、と歯を食いしばったのを本人の意図に反して気付いてしまったのでそれ以上何も言わず悟浄はゆっくりと立ち上がった。

悟浄が起き上がっても先程のように三蔵は一人で先へ歩いては行かなかった。 特に心配するような台詞を口にする訳では無かったがふらつくような事があれば何時でも支える事の出来る位置で悟浄が立ち上がるのを殊更に興味なさそうな顔で見ていた。
「おし。じゃあ行こか」
「ああ?」
「桜。見に行くつもりだったんでしょ?」




山中に十月桜の木があるのだと住職が一行に茶を勧めながら告げたのは、三蔵が寺を飛び出す少し前の事だった。
「後でさ、二人で抜け出して桜見に行こうよ」
「冗談じゃねえ。俺は疲れてんだ。サルでも連れてけ」
大体宿で個室でも取れていたならともかくこんな山寺でザコ寝の夜に二人で抜け出したりしたらおおっぴらに自分達の関係を周りの者に告げて回っているも同然ではないか。 忌々しげに三蔵は即答する。
「小猿ちゃんと花見したってしょうがないでしょ」
「じゃあ八戒と行け」
「何でそーゆーこと言うかなこの坊主は。人が折角誘ってんのに」
俺は三蔵と行きたいの、そう言いながら悟浄が顔を寄せた時、廊下の角を住職が曲がって姿を現した。
悟浄と三蔵は部屋へ戻らずに二人きりで廊下で立ち話をしていたのだ。
「おや三蔵様。斯様な処で如何なされましたかな」
住職は何事も無かったかの如く淡々と問い掛けたが二人が普通ではない様子なのはきっと分かってしまったに違いない。
「何でもない」
良くてハリセンか、矢張り銃の乱射は避けられないかと肩を竦めた悟浄だったが予想に反し三蔵は無表情に言い捨てると住職に背を向け廊下をすたすたと歩き出した。




その侭寺を飛び出したは良いが何故か背後に悟浄までもがくっついて来ており。
「待てってば」
銃の的にされなかったからと言って三蔵が怒っていない訳では無いのだと言う事はその早足から伺い知れた。
「何でてめえがついて来る」
「だって山ん中入って行ったって事は・・・」
桜を見に行くんでしょ、続けようとした言葉は銃声で遮られた。
「黙れっ!」
路筋もロクに確認せず三蔵は歩くペースを早める。
「なー、三蔵サマ。こんな山の中闇雲に歩くの危ないって」
「うるさいっついてくんな!」
そしてその直後、悟浄は脚を滑らせて倒れたのだった。






「本当に桜だな」
見上げた視界の先、暮れかかる夕方の陽の名残を受けて薄淡い桃色の花弁が開いていた。
「何だと思ってたんだてめえは」
そう言う三蔵の視線も上を向いたきり十月桜の枝葉から離れる事は無い。 三蔵の言葉には答えず悟浄は小さく肩を揺らして笑った。
「なんなんだてめえは。気色悪い」
「春にさ、皆で花見したでしょ」
「・・・ああ」
その日宿泊した街で花見の祭りがあるとかで八戒のこさえた弁当を持って4人で夜桜を見に行った。 遠くからこの街の花を見る為に来る者も多いのだと宿の者が自慢げに言っていた通りうんざりする程の人混みだったが何とかライトアップされた大木の枝の下に場所を取り車座になって座り宵闇にも色の消える事の無い薄桃色の花を見上げて酒を飲んだ。 出店が此処其処に出ていたにも関わらず珍しくも悟空は花に見惚れたかのようにぽかんと口を開けて微風にはらはらと降りかかる花びらを眼で追っているだけだった。
だがあの枝を埋め尽くす程の大量の花弁を付ける桜とは違い、目の前の桜は黒い木肌を埋め尽くす事無くぽつりぽつりと花を咲かせているだけだ。
「イベントごとっていつも4人一緒だからさ、たまには三蔵様と二人で見たかった」
「・・・バカじゃねえのか」
・・・まるで長安に居た頃の悟空だ。
『裏の山の桃の木が実を付けたんだ。すげー美味かったから三蔵の分も取って来た』
『すげー花畑があったんだ。一面紫色で』
そうして悟空はいつも続けて言った。
『今度三蔵も一緒に行こう』、と。

「いいじゃん」
言いながら悟浄がそっと三蔵の唇に自分のそれで触れて来たので思考を目の前の男に戻す。
「桜を見るんじゃなかったのか」
「じゃ三蔵は眼開けてて良いから」
「・・・バ河童の顔しか見えねえよ」
「あ、ほんとに眼え開けたんだ」
そう言いながら悟浄も眼を開く。至近距離で視線が絡み合った事に驚いて三蔵が思わず身を引こうとする。
「ダーメ」
逃げられないよう頭を掌で抱え込んで歯列を割りわざと音を立てて口内を貪ると羞恥に耐えかねた三蔵は自分から眼を閉じた。
「あれ?桜見ないの?」
「こ・・・のエロ河童・・・んうっ」
法衣の袷から悟浄の手がするりと入り込んで来て胸元を弄るのに合わせ三蔵の躯が跳ね上がった。





「すっかり暗くなっちまったな。夕飯残ってると良いケド」
「・・・誰のせいだ」
「共同責任v・・・嘘ですごめんなさい」
「フン」
短く鼻を鳴らし三蔵は発砲する事の無かった銃を仕舞った。
「足下気ぃ付けてな」
「お前じゃあるまいし、誰がっ」
怒ったように大声を出すのは照れ隠しで、その実三蔵の足下は先程からややおぼつかない。 暗くなってしまえば人間である三蔵はさして夜目が利かないし、そもそも三蔵は視力があまり良くない。 足に力が入らないのは大して太い訳でもない十月桜の木の幹に背中を預けて悟浄を受け入れさせられた所為でもあるのだが。
「俺結構夜目が利くのよ」
そう言って悟浄がライターを取り出し煙草に火を点けた。
「明るい時にすっ転ぶヤツが多少夜目が利いたからってなんだってんだ」
「あれはッ」
三蔵の金髪が夕陽を受けてオレンジ色に染まりながらきらきら輝いていたのがあまりに綺麗で。 眼を奪われた侭足を踏み出したからだとは、我ながら格好悪くて言いかけて悟浄は口を噤んだ。
その侭悟浄が黙ったのを「ザマミロ」とでも思ったのか三蔵はそれ以上追い打ちを掛ける事は無く黙々と二人足を進めた。




短い逢瀬は木々の間を縫って寺の灯りが見えて来た事で終わりを告げた。
「何処行ってたんだよ三蔵!」
宛われた部屋に戻るより早く、物音を聞き付けた悟空が廊下の奥から走って来た。
「廊下を走るんじゃない!」
スパーン!
「何すんだよ!三蔵が黙っていなくなるから悪いんだろ!」
「それとこれとは話が別だ」
「何だよ三蔵のおーぼー!」
「横暴位漢字で言えねえのかこのバカ猿」
「お帰りなさい。ご飯取ってありますからね」
戻って来るなりいつもの過激なコミュニケーションを展開する親子の横をすり抜けて部屋に戻ろうとした悟浄に悟空の後をついて(勿論走らずに)来ていた八戒が声を掛けた。
「お、サンキュ」
「二人の分まで食べちゃおうとする悟空を止めるのは大変だったんですよ」
にっこりと笑う八戒の優しげな表情が『何処に行ってたか言え』とどす黒いプレッシャーをかけてきていたのであっさり悟浄は白状した。
「先刻聞いた山の桜を見に行ってた」
「えー?本当にこんな時期に咲くんだ」
耳敏く聞き付けた悟空が顔を悟浄の方に向ける。
「おう。ばっちり咲いてたぜ」
「ずるいっ二人だけ!俺も見たかったのにっ」
「お猿ちゃんは花より団子でショ?」
からかうように言う悟浄は悟空には気付かれないように「ほらね」とばかりに三蔵にこっそり視線を向けた。
「サルじゃないって言ってんだろー!」


三蔵は悟浄の視線に気が付かなかったフリをして騒々しい悟浄と悟空に背を向けてその場から離れ、煙草を取り出した。
別に悟浄と二人きりで出掛けるのは構わない。が、人気の無い処で二人きりになると屋外だろうと構わず手を出して来るのはなんとかならないものだろうか。 流される自分も自分だが。
「三蔵。食事は厨房にありますから」
煙草に火を点けようとした処で隣から声を掛けられた。
「・・・ああ」
躯を洗ってもいない状態でこの、八戒や悟空の視線に晒されるのも何処となくいたたまれない。 屋外で悟浄に抱かれた後悟空にきつく当たってしまうのもそのせいだ。
まだ悟空と言い合いをしている悟浄の様子はまるきりいつもと同じで、この違和感を感じているのは自分だけのような気がして非常にムカついた。


・・・矢張りこれからはなるべく悟浄と二人で出掛けないようにしよう。


幸福感を噛み締めた悟浄が悟空に一歩リードした気分で余裕の対応をしているのだと知らない三蔵は、一人、そう決意したのだった。

タイトルは田村隆一氏の詩より。
机の上に小型ジャックオランタンとサトちゃん(のキーホルダ。薬局で貰った)を並べて置いておき、 ジャックオランタンを高い処に移動させた時サトちゃんも追って移動させたら倒れてしまい、 それが慌てて追いかけるあまり勢い込み過ぎて倒れたかのように見えて可愛かった・・・のが元ネタ。だから十月。

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