橙いろの場所からの挿話
休日に相応しい予想通りの人混みの中、約束の時間に約束の場所で待っていた三蔵を一目見て、「あれ」と思った。
「顔色悪いな。具合悪いのか?」
「いや」
一言で否定する三蔵は然し、顔色は悪いのに頬だけが紅潮している。
「熱は?」
「ない」
「腹イタイとかは?」
「別に」
「頭痛かったりしない?」
「いや」
「食欲ある?」
「いや」
「気持ち悪かったりしない?」
「ああ」
「身体がふらつくな、とか」
「ああ」
「風邪だろ」
「そんな事ねえ」
「そっかあ?」
そう言いながらすいと手を伸ばして三蔵の額に触れてみる。す、と不機嫌そうに片目を眇めてはみたものの三蔵は逃げなかった。
「熱があんじゃねえの?熱いぜ」
「気のせいだ」
三蔵は尚も否定するが瞼が心なしか重たげだ。
「帰るか?」
「何でだ」
「いや、いい。今日はもう帰ろうぜ。映画なんかまた今度で良いし」
「お前が観たいって言ったんじゃねえか」
古い映画のリメイク版と、その映画のそもそもの原作のパロディ作品リバイバルの二本立て。
確かに俺が「観に行こうぜ」と誘い三蔵も「そうだな」と答えたが、
「死んでも良いからぜってー、何が何でも来いよ」とまでは言った覚えがない。
「いいって」
「良くねえ。リバイバルの方は今週までだろうが」
映画が嫌いな訳ではないだろうが三蔵からは「この映画が観たいから付き合え」なんて言われた事はない。
然しその三蔵がちゃんと上映日をチェックしてくれてた事を正直意外だと思った。
「いいよ。新作公開で多分レンタルショップに出てるんじゃねえかな。ビデオじゃなくDVDでリマスター版とかさ。
それを一緒に観ようぜ」
「・・・・・・」
「三蔵ん家の近く、レンタル屋あったじゃん。何か借りてこーぜ。何が良い?」
そう言って、先程通ったばかりの改札に向かい軽く三蔵の手を引いてから脚を進める。
さりげなさを装って直ぐ様その手は振り解かれたが三蔵は黙って俺に続く。
「何でも良い」
「んじゃ、新作にしよう」
結局新作ではなく、
以前はカルト扱いされてたものの紆余曲折の末現在は超メジャーとなった監督の昔の作品のDVDを一本借りて、
それからレンタルショップの1階にある店でポップコーンを一袋買った。
三蔵の家は駄菓子の類の買い置きって滅多にないし、三蔵も「喰うもんならある」とも言わなかったし、
それにポップコーンって時々無性に喰いたくなるし。
ビールの缶を傾けつつポップコーンを喰いながら、本国で公開された頃は日本では「知る人ぞ知る」
扱いだったのが分かるような分からないような、然し雑然としたキッチュでポップでバカバカしくて、
つまり割と俺好みだった映画を観終わってから思い出したように三蔵の額に手を当てる。
矢張りまだ熱い。ポップコーンも三蔵は殆ど喰わなかったので結局一人でほぼ一袋喰った。
「三蔵。もう寝ちまえよ」
DVDをデッキから取り出しながらそう言うと、
駅前で帰るの帰らないのと揉めた時と違って今度は素直に三蔵は「そうだな」と返事する。
「そこじゃなくて、ベッドに行けって」
然し三蔵は早々にソファで横になろうとする。
「面倒くせえ」
「面倒でもこんなトコで寝たらこじらせるって」
ほら、と無理矢理脇の下に腕を突っ込んで身体を起こさせる。全く世話の焼ける。
「ちょっと買い物行って来る」
三蔵が寝室に向かうのを見届けてから声を掛け、返事はなかったが勝手に鍵を借りてドアを開けた。
何度か脚を運んだ事のあるマンション近くのコンビニ迄てくてくと歩いて行き、
さて何を買うかと考え手始めにインスタントの粥を幾つか鷲掴む。
次にペットボトルを2本ばかり手に取ろうとした処で気が付いて、通路に積んであるカゴを取って来る。
以前三蔵が風邪を引いた時に見舞いに満願堂の芋金を買って来いと言われた事があるが、
流石にそんなもんはコンビニでは買えないのでパス。
三蔵は甘いモンが好きだから大福でも買おうか、然し普通は具合の悪い時に大福は喰わないだろう。
俺が風邪を引いた時三蔵は見舞いにゼリーを持って来た。つまり三蔵にとっての病人食はゼリーなんだろう。
ゼリーやプリンの並んでいる棚の前で立ち止まる。
蜜柑だの葡萄だのミックスだの色々種類があるが三蔵がどんなのが好きなのかが良く分からない。
外でメシを喰う時にも三蔵が頼むデザートの類はゼリーなんかではなくあんみつだの白玉だのの甘いモンだ、
つうかゼリーなんて出してる店ってあんまないよな。
風邪っつったらやっぱ蜜柑かな、と果実のごろごろ入ってるのが透けて見えている蜜柑ゼリーを手に取ってみる。
「・・・・・・」
きっと三蔵は、今日逢う約束をしていなかったら風邪を引いた事は俺には黙っているつもりだったのだ。
多少具合が悪くとも熱を計る事もしないで気の所為だと言う事にしてやり過ごして、
いよいよ体が動かなくなった頃に漸く諦めて布団に入る。
そして治ってしまえば勿論逢わないでいた間に体調を崩していたとも告げはしない。
俺もそーゆータイプだからよく分かる。
自分とは違う人間だから、自分と違う部分を持っているからこそ三蔵に惹かれたのだと思っていたけれど、
似ていないようでいて案外俺と三蔵とは似た部分がある。
けれど子供の頃の話を聞いて過去を共有したつもりになる事は出来ても、結局の処俺達は他人で、同じ感傷を共有する事は出来ない。
寝込んだ時に兄貴やオフクロが俺にゼリーを買って来た事はないし、俺もまた寝込んだ時にゼリーを喰いたくなった事はない。
三蔵に、ゼリーを買い与えた人も矢張り子供の頃には具合が悪くなるとゼリーを食べたいと言っていたのだろうか。
そんな事、当たり前だが俺は知らない。
兄貴やオフクロやクソ親父が具合の悪い時に何を食べたがるのかさえ知らない。
蜜柑に続いて桃と葡萄とホワイトグレープとパインとフルーツミックスのゼリーを、つまり全種類を一つずつ順番にカゴに入れる。
それから橙色のゼリーを一つだけ自分の為に。