あめのふるよるは
朱泱、と三蔵はその男の名を呼んだ。眼の前にいる呪符で狂った男、「六道」を六道であると認めない頑なさで知らない人間のような少し遠い眼をした。
三蔵の腹の傷が塞がった頃を見計らって夜の街に呑みに誘い出した。 腹の傷に響くからと長いこと八戒に酒を禁止されていた三蔵だが落ち込みたい時は酒でも呑むに限る。 呑んでも酔えない八戒には恐らく分からない心理だろうが(それはそれで気の毒だとも思うが) 体調次第でどっちが潰れるかの後先はあっても酒量についてはほぼ互角、 呑み仲間でもある俺はここは暗く一人で宿の部屋で呑ませるよりは外に連れ出してやった方が良いだろうと判断した。
とは言え俺が付きっきりでいたんじゃ三蔵の気も晴れないだろうと思ったので賭場に連れ込んだ。 カウンタ席があって賭事を一休みしたいヤツラがそこで酒を飲むタイプの店だ。 カウンタに三蔵を座らせて酒のグラスを手にしてからポーカーテーブルに体を割り込ませた。
博打で喰ってた俺にとってこんな田舎町のおっさん達なんてただの良いカモだ。 ちょっと調子が良くなって来たな、っつう処で引くだけの潔さもカンの良さも無い事は俺にとっては有り難い。 時々負けてやって相手が乗り気になった処で大きくかっ攫う。 とは言え勝ち過ぎて恨みを買っても面倒なので適当な処で切り上げて席を立った。
カウンタの端っこに腰掛けた三蔵は腹の傷から酒が零れる事も無く、一人静かに酒を呑んでいた。 空いている三蔵の隣の席に腰を降ろそうとした時目の前に飲みかけのグラスがある事に気が付いた。 ポーカーの最中時折様子を伺っていたが三蔵の隣に誰かが座っていた気配は無かった筈だが。
隣に見知らぬヤツに座られるのを避ける為グラスを二つ頼んで代わりばんこに呑んでいたのだろうか。 それともコレは俺の席をキープしてたっつう事だろうか。 可愛い処あるじゃねえの、と思いながらスツールに腰を降ろそうとすると三蔵が手で制した。
「座ってるヤツがいる」
いや、いねえだろ。空いてんじゃねえのその席。
「もう連れが居るフリしなくても良いんだって。俺だよ俺」
制止の言葉を気にも止めず笑いながら再度三蔵の隣に腰を降ろそうとしたがくるりとこちらを振り返った三蔵は突如俺の向こう臑にげしっと蹴りを入れた。
「何すんだてめえ!」
脚を払われたワケではないので倒れはしなかったが結構情け容赦ない蹴りだったので腹が立った。
クソ、博打で勝った金で奢ってやろうと思ってたけどヤメだ。
このワガママ坊主が!
そう、内心で罵っている俺の目の前で不意に、・・・飲みかけのグラスが宙に浮いた。
「・・・・・・っ!!?」
そしてそのグラスが僅かに傾いたかと思うと、中身は床に零れ落ちる事もなくいずこともなく消えて行った。
「あ?え??」
手品か?手品だよな?
つうとこれを行ってんのは三蔵か?それとも店の演し物か?
未だ宙に浮いた侭のグラスの前後を手で触ってみるが何の手応えも無い。
「おい、呑んでる時にべたべた触んなっつってるぞ」
呆れたような顔で三蔵が言うが、俺の手は断じて何にも触れちゃいない。
触るなと言う事は俺の手が動いた辺りに仕掛けか何かがあると言う事だとムキになって手をぶんぶん振り回すが、 矢張り何物にも指が引っかかる気配もない。
まあそんな簡単に分かる処に仕掛けがある筈ねえよな、とカウンタの中のマスターに視線を向ける。 が、マスターはこちらに視線を合わそうとしない侭必死にカウンタの隅っこの方に体を寄せている。
その様子にははあ、マスターが何かやってんだな、と見当を付けた。客を楽しませる為の見せ物っつうワケだ。
なかなか気の利いた店じゃねえの、と思っていると三蔵が新たな酒を注文した。
「酔鯨お湯割り。梅干しなんか入れんなよ」
三蔵が告げるとマスターは引きつった顔で無言の侭こくこくと何度も頷いた。
仕掛けを操ってる時に酒なんか頼まれたらそりゃあ無言にもなるだろう。三蔵サマも意地が悪い。 小さく笑いながら煙草を銜える。
「焼酎なんて相変わらずじじくせーな、 」
そう言いながら三蔵が誰もいない筈の空間に向けて笑った。俺や八戒には見せた事のないような顔で。
最後に小さく聞こえたのは何だかつい最近聞いた事があるような名前で。
ひきつった笑顔でロングサイズのグラスを差し出して来たマスターの手は、両手共カウンタの上に出ていて、 勿論何だかアヤシイ仕掛けなんかを弄くってはいなかった。
イヤだ。
こんなのは怖い、怖過ぎる。
俺は実はオカルトとか怪奇現象とかが大っ嫌いだ。コワイから。
マスターの方を見ると再びカウンタの隅っこで方を縮こまらせていた。何かに怯えるような顔をして。
「・・・・・・」
煙草に火を点ける事も忘れて空間をじっと見る。
この最高僧様との旅が続く限りこんな事がこれからも起こり得るのだろうか。
こんな旅から早く逃げ出したいと、焼酎のグラスが再び宙に浮くのを見て、俺は切にそう思った。