restless




その時住んでいた家は古く、そして手狭だった。 それだけでなく、何が起こっているのかはっきりと把握していた訳でもない子供一人が取り残された家で充分な準備も出来る筈もなく、 結果、親の葬儀は何とか会館、と言う処で行われた。
それ迄一度も会った事の無かった親戚連中がひそひそと、誰が俺を家まで送り届けるかで揉めていた。 自称「親戚」が幾人かで押し掛け口々に勝手な事を言いながら俺を車に同乗させ厭も応もなく式場に運ばれた。 控え室で葬儀に出席する為に用意されたお仕着せの喪服に着替えている時不意にドアが開き支度は済んだのか、 と言いながらこちらに近付いて来ようとした黒の和服に身を包んだ親戚が顔を強張らせて黙り込み、 支度が済んだら来いと言わずもがなの事を言ってそそくさと踵を返したのは恐らくこの腕の火傷の痕の所為だろう。
大したお喋り婆あだったようでそれからずっと、こうして遠巻きに眺められている。
一人で帰れると、今だったら言う処だが当時俺はまだほんの子供で自分の財布すら持っていなかった。
「私はタクシーで帰るので、宜しければ私がこの子を送って行きますが」
声のした方に視線を向ければこれもまた親戚だと言う坊さんが、 葬儀の時に着用していた綺羅綺羅しい袈裟は既に脱いでいたが、そこに居た。
「あ、ああ。光明さんならねえ」
「そうねえ。じゃあお願いしても良いかしら」
先程迄自分に向けていた困惑したような警戒する瞳とは全然色の違うそれを向けられその人は自然に微笑んだ。 にこやかに短く世間話などをしてから「今度はこんなご不幸の席で無い処でお会いしましょうね」と暇乞いを告げた。 親戚連中が一人去り二人去り、葬儀会社の者と自分達だけが最後に残される。 事務的な話を葬儀会社の者とその坊さんは時折笑顔を交えながら話す。
矢張り笑うべき事だったのかと一歩引いた場所から大人達を眺めてそう思った。
もう殴られる事もないし皮膚に押し付けられた煙草の熱に悲鳴を噛み殺しながら息を呑み込む事も、しなくて良いのだから。
哀しくもない代わり別段嬉しいとも思わなかったが本当は笑うべきだったのかと。
そう思ったが矢張り自分は笑う事は出来なかった。





「お腹空いてませんか」
道路に出て並んでタクシーを待っている時そう言われた。 そう言えばこの坊さん(確か光明さん、と呼ばれていた)はあの家にやって来て事故の事を説明した後もそう言ったのだ。
「処でお腹空いてませんか」
と。黙って首を振ったら
「実は連絡を受けてこちらへ直行したので何も食べてないんですが・・・何処か良いお店知ってますか?」
と重ねて問われた。それにも矢張り首を振る事で答えたら
「ではお店を探しに行くので教えてくれませんか?」
とコンビニまで案内させられて、食べ物と飲み物を帰り際に持たされた。
事故の事を俺に教えてくれたのはこの人が最初だった。 良く考えてみれば親戚連中に連絡が行くより前に俺の処に連絡が入りそうなものだが、 恐らく電話線は母親が癇癪を起こした時勢いに任せて引っこ抜いたきり放っておかれたに違いない。
電話の掛かってくるアテもない俺はてんで気が付かなかったが。


「会食の席でも何も食べていなかったでしょう」
よく見ているものだと思う。確かに誰にも構われないのを良い事に自分は一人前に用意されていた膳を前にして席を立っていた。 不躾な親戚連中の視線の中で見せ物になりながら飯を食う気は無かった。 入れ替わり立ち替わり親戚連中がやって来ては周りを取り囲み話し掛けられていたこの人がそんな事まで見ていた事を訝しく思う。
「実は私もなんですよ。だからあなたがお腹空いた顔をしているのが分かるんです」
電話で呼んだタクシーがやって来て路肩にすうっと止まった。 地面に置くこともなく大切に抱えていた荷物と一緒にその人は車に乗り込んだ。
「ほら、私はこの通りの大荷物でしょう。何か忘れてないか、何か忘れていったりしないかと心配でお食事が喉を通らなくて」
その言葉にその人の荷物にちらと目を遣る。確かに宿泊用の荷物だけでは無い大きさだった。
「普段だったら足りないものは知り合いのお寺さんから借りられるんですがこの辺りは宗派が違うらしくて一揃い持って来たんですよ」
そう言うとその人は運転手に向かい何事か話し掛けた。自分に話掛けた時と、親戚連中と話していた時と同じ綺麗な笑顔で。



車が止まったのはまだ街中の、家から離れた場所だった。 何故こんな処で、車から降りて戸惑っていると
「お蕎麦で良いですか?」
と問われた。
「ここのお蕎麦が美味しいってさっきの運転手さんに教えてもらったんですよ」
言われて視線を巡らせてみれば、同じ市内にあるにも関わらずその存在を知らなかった一軒の蕎麦屋の前だった。 紺色の暖簾を片手です、と掻き分けて店の中に脚を踏み入れるその背中を見て、一瞬脚を止めた後続いて店内に入った。


茶色のテーブルに向かい合わせで座っていると横に並んで座っていた先程迄と違い否が応でも正面から顔を合わせなくてはいけなくなる。 その人は何を言うでもなくただにこにこと笑って俺を見ているので居心地が悪くてコップを両手で抱えて水面だけを見るようにする。 他の親戚から俺の火傷の痕は聞いているだろうに哀れみの瞳を向ける事もしなければ腫れ物を扱うようにびくびくした態度を取る事もなく。 いや、もしかして忙しくてそんな噂話を耳にする暇が無かっただけなのかも知れない。
そう決め付けてコップの水を一気に飲み干した。
知ったらこの人もこんな笑顔を俺に見せる事は無くなるんだろうな、そう思ってしまったのは何故だか分からなかったが。
「この七味は柚入りですね」
頼んだ蕎麦が来るとその人は傍らに置いてあった小さな容器に手を伸ばした。 さかさかと幾度か振った後どうやら中身がなかなか出なかったのだろう、 容器を色々といじくっていたら突然出が良くなったらしくざら、と中身が蕎麦の上に降り掛かった。
いい大人が何をやってるんだ。
「あー・・・・・・」
呆然と七味の容器を片手に持った侭口をぽかんと開いていたその人が不意に顔を上げる。
「こぼれちゃいましたねえ」
何が可笑しいのかそう言ってその人が笑うので、つられたように笑い出したくなった。






没ネタ救済お礼拍手文再録。 この火傷ネタが夏でも長袖ネタに繋がってる訳ですが。 競馬悟浄さんは普通の家庭で普通に育ちましたヌルいと言われようと普通の家庭で育った悟浄さんがいたって良いじゃないかと私は思うんですが。



novel−競馬パラレル