spring moon
「・・・・・・三蔵、悟浄」新年早々銃弾で穴の開いた宿の壁の修理費を支払った後八戒が笑顔でくるりと振り返った。 いつもだったらすぐに銃をぶっ放す三蔵が悪いと盛大に文句を言って来る筈の悟浄がもじもじと縮こまり反論の一つもして来ない事に、 これはもしかしてシャレにならない事態だったのではないかと思いながらも八戒は勿論そんな野暮な事を口に出したりはしない。 代わりに笑顔を崩さずに言葉を続けた。
「以前言いましたよね。宿で発砲されるとその後修理費がかかるって・・・覚えていますか?」
三蔵は無言だった。
覚えている。覚えているとも。 息もつかずに蕩々と捲し立てる八戒に一言も言い返す隙を見出せずヤツの思惑通りになった屈辱のあの日の事を。
そう思ったが全弾を撃ち尽くした後ご丁寧に再度弾込めをして銃撃を重ねた三蔵の唇からは実際は一言たりとて漏れる事が無かった。
その日辿り着いた街で悟空を連れて買い出しに出た八戒は帰って来るなり宿の人間と何やら交渉を始めた。 その姿を部屋でくつろいでいた三蔵は眼にしていなかったが、 もし八戒がフロントで交わしている会話が聞こえていたら一人で宿を出て行ってしまったかも知れない。
「もうじき春節ですね」
部屋にやって来た八戒が両手を後ろで組む形で、 と言うか何かを背後に隠しているポーズで近付いて来た時三蔵は新聞の紙面を眼で追っていた。
八戒の言葉に三蔵はふと例年の春節に伴う行事の数々を思い出し眉間に皺を寄せ、 それから今年は旅の途中だからそんな面倒事とは関係無いのだったな・・・と思い直してから顔を上げた。
「はい、どうぞ」
三蔵が顔を上げたその時すかさず目の前に差し出されたのは二枚の紅紙。
「・・・・・・」
「筆は自分のを使いますか?借りて来ましょうか?」
紅紙を凝視した侭動かない三蔵に八戒は問い掛ける。
「・・・・・・おい」
その言葉に視線を上げ三蔵は口を開く。
「墨は墨汁で良いですか?摺りますか?」
「・・・・・・八戒」
「何ですか?」
「何だこれは」
「もうじき春節ですね」
「それは聞いた」
「三蔵が対聯を書いてくれたら今日の宿代はタダにしてくれるそうです」
そう言った八戒の笑顔はいっそ清々しい程だった。
春節。旧正月のその日門扉を囲む柱に貼られる目出度い字句を書いた紅紙。 慶雲院に身を置いていた際は寺に寄進する者の為に散々書かされた対聯。 年末のこの時期になると毎年三蔵は雑事から解放される代わりに信者達との面会の時間を取らされ、 朝から晩迄五穀豊穣や国家安泰の為の麗句を書かされるのが常だった。
「あ、宿代だけじゃなく食事もタダだそうです」
黙った侭の三蔵に「絶対書いて下さいねv」と有無を言わさぬ笑みと共にずいと更に押し付けられる紅色の紙。
・・・別に俺の対聯が宿代程度かと思った訳じゃねえよ。
「・・・墨」
眉間に皺を寄せそう一言だけ告げ溜息と共に三蔵は紅紙を受け取った。
塵去鱗新雅頌東西絶異曲
海平珠麗山河表里揚和声
八戒が宿の者から墨を借りて来るのを待って三蔵はさらさらと文字を書き付けた。 悟空の食費込みだと思い少し長めに書いてやったのを横から見ていた八戒が書き上がった紙を受け取りながら言った。
「三蔵の書く物は普段どの位の値が付くんですか?」
「知らん」
三蔵は寺の金銭管理には関わっていなかった。 確か自分の書くものとは別に拝観所で売る分を寺の奴らが書いていた筈だがそれらが幾らで売られているのかも把握していない。
「じゃあ世間相場の3割増位で良いですか?」
「・・・何がだ」
猛烈に厭な予感が三蔵を襲う。訊ねたくはなかったのについ問うてしまったのは何故だろう。
「折角の機会ですから今迄の修理代の分も稼いで貰おうと思いまして」
どさり。
不穏な音と共に三蔵の前に積み重ねられた紅紙の束をがっしり掴んでいるのは八戒の美しく長い指。
「・・・・・・八戒」
「あ、三蔵は書くだけで結構ですよ。そんな事まで貴方にさせる訳にはいきませんから」
「これを俺が書くのか」
本当は何故自分がそんな事をしなくてはならないのかと言いたかったが三蔵はぐ、と堪えた。
何で俺だけ。河童は何のペナルティも無しかよ。
「悟浄や悟空が書いた対聯じゃ売り物になりませんから。 その代わり三蔵がこれを仕上げてくれたら僕達が売り捌いて来ますよ」
喉迄出かかった三蔵の台詞を聞いたかの如く。まるで対等な取引を持ちかけるかの如く。 告げられた言葉は最初から選択権も拒否権も与えられていない三蔵には只の執行宣告にしか聞こえなかったが。
「なー、三蔵。ソレ何時まで書いてるの」
さらさらさら・・・
淀む事なく三蔵が筆を走らせ続ける音が響く室内で暇を持て余した悟浄が椅子をガタガタさせながら尋ねる。
「この紙が無くなる迄だクソ河童」
「うわ、五七五調で答えなくたって」
書き終わった紅紙を横に退け新しい一枚を紅い紙の山の上から取り机の上に置く。 見ているだけの人間には「何でそんなに時間がかかるの」程度の事だろうが実際の処一枚一枚手で書いて行くのは結構な時間がかかる。 同じ姿勢で固まった侭ひたすら字を書き続けると言う作業に実は三蔵もすっかり飽きていた。 文言を考えるのも既に面倒臭く「物華天宝、人傑地霊」だのありがちな言葉を書き連ねてはいるが心にも無い事を延々と書くのも良い加減寒々しい。
更に何もしていないヤツにごちゃごちゃ言われると腹が立つ。
「大体誰の所為だと思ってやがる」
「だから八戒に言われた通り三蔵サマがソレを書いたら街で売って来るっつってんじゃん」
悪びれた様子も無く答える悟浄の台詞に三蔵は肩をぴくりと震わせ筆を置いた。
「あ、ナニ?休憩?」
「・・・そうだな。てめえを永遠に休ませてやるよ」
「ちょっと待てっ!」
悟浄にしてみれば素直に八戒の言葉に従うと言っているのに何故三蔵が怒るのかが分からない。 取り敢えず逃げやすいよう急いで椅子から立ち上がる。
ジャキッ
「はいはい、そこまでです!」
三蔵が激鉄を起こした瞬間緊迫を破るようにパンパンと大袈裟に手を打ち鳴らしながら八戒が部屋に入って来た。
「あれ程室内で銃を撃っちゃいけませんと言ったじゃないですか、三蔵」
子供に言い聞かせるような口調で八戒が咎めるのに三蔵は小さく舌を鳴らした。
「てめえ、覗いてたな」
「そんな事する訳ないじゃないですか。それとも覗かれると困るような事をする予定だったんですか? 対聯を書く事を快く引き受けた筈の三蔵が!」
さも意外だと言う様に肩を竦める八戒のその大袈裟な動作に連れて肩布がふわりと揺れるのさえ芝居がかって見える。
「快く引き受けてねえよっ!」
「何でしたら紅紙の追加を買って来ても良いですよ。 修理代をきっちり稼いでくれさえすれば宿の壁に穴を開けても僕も文句は言いません」
「・・・・・・」
「ええ、どうしてもと言うのなら止めません」
「・・・・・・」
止めてくれよ!と悟浄は切に思ったが不機嫌に口元を引き結んだ三蔵と笑顔の八戒の凄絶な対峙に口を挟む勇気は無かった。
日付の変わる時間を迎える頃になると街の其処此処で賑やかに花火が打ち上げられ、爆竹が盛大に鳴らされる。 宿の主人夫婦と宿泊客達も宿の外に出て新年を迎えるその時を待っていた。 宿の扉に恭しく張られた対の紅紙は勿論三蔵が記したものだ。
大人も子供も眠い眼をこすり年が明けるのを祝うその時、 正月前に散々働かされた三蔵は一人部屋ででフテ寝をしていた。
夜中の12時を迎え花火が上がるのと同時に周りの人々は一斉に新年の挨拶を交わす。 宿の主人夫婦はその場に三蔵法師が居ない事にがっかりしたようだったが八戒達に笑顔で挨拶を告げた。
「こんな田舎町にしちゃ結構盛大な花火じゃん」
「三蔵も見れば良かったのにな」
月の無い夜に映える花火を見上げこの場に居ない人の事を気にかけながらも悟空は楽しげに笑う。
「三蔵はいつもはお寺の行事があるからたまにはゆっくり春節を迎えてみたかったんでしょう」
悪意の欠片も全く見られない綺麗な笑顔で八戒が爆竹を手に取る。
「はい、どうぞ」
差し出される爆竹を悟空と悟浄が受け取り、3人で声を揃えて言った。
「恭喜發財」