夏馬




三蔵が中山以外の競馬場に足を運ぶ事は滅多に無かった。
夏のローカル開催の時期になると毎年三蔵には会えなくなる。 秋(と言っても9月の残暑厳しい時季なので実際の印象としては三蔵と並んで夏の太陽にじりじり焼かれている記憶が残っているのだが) になるまで三蔵とは会えないし会わない。それが例年の決まりだった。 競馬の無い時に呼び出したりするなと決め事をしてあった訳では無かったが何となく毎年そうしていた。 恐らく今のようなつかず離れずの関係は一年中一緒にいるようになったらダメになってしまうような気がしていたからだと思う。
そう思っていた筈なのだが今年は思い切ってローカル開催に三蔵と悟空(三蔵の弟分と言うか現在では俺の弟分とも言えるのだが) を誘ってみた。悟空が一緒だと夏の小旅行と言うカンジになって良いだろうと思ったし。 悟空が一緒なら良いかと思ったのかどうか、意外とあっさりと三蔵は承諾した。


まずは7月の福島。
地ビールの美味い、入場料が100円な福島競馬場。8枚綴り1,000円のJRA回数券を出そうとした三蔵を入口で慌てて留めた。 ローカル開催の競馬場では入場料が100円だと知らなかった三蔵は素直に驚いていた。


次に8月の新潟。
流石に福島よりは遠いので新幹線の早朝便格安のパックを利用して日帰りだ。 窓の外を走り去る一面のネギ畑(深谷ネギで有名な深谷だったようだ)に「米が無ければネギを食えっつうカンジ・・・」 と悟空はぽかんと口を開いていた。
その日は朝から曇りだったが新潟駅からバスに乗ること約40分、車中にいる間に空が明るくなって来た。 携帯で天気をチェックすれば当日新潟の予想最高気温は32度。
「三蔵、今日暑くなるってよ。長袖暑くねえの?」
っつうか何で8月に長袖よ。見てる方が暑いって。
「寒い」
「ああ?」
「新幹線の冷房が」
「ふうん?」
そう言えば福島に行った時は曇天だったが、 7月だと言うのに三蔵は長袖のジャケットを羽織りしかも前のボタンを全部締めて寒い寒いと言っていた。 (然し地ビールは飲んでいた。本当は二杯目を買いたかったのをあまりの寒さに吹きっさらしの場内で飲むのは諦めたらしく帰りに駅で土産用のビールを買っていた)
秋もジャケットを着ている事が多いし冬になるともこもことコートを着込むし、 じゃあ春はどうだったかと言うと・・・中山開催の最終開幕週は4月で。確かいつも三蔵はジャケットを着ていたような気がする。 と言うとシャツ一枚きり(長袖だが)の姿って実は殆ど見た事無かったのかと改めて驚いた。
「ハ○太郎も吃驚」
「え?何?」
「いいや何でもぉ?」
はぐはぐと弁当を食う悟空に答える。 場内で販売している弁当は機械握りでなくパートのおばちゃんが手で握ったんだろうなあ、と思うような握り飯とどうでも良い味の鳥唐入り。 然しこの握り飯は新潟産コシヒカリ使用なのでバカにしちゃあいけない。 因みに昼時を逃すと弁当は売り切れてしまう。仕入れ過ぎて余る位なら売り切れ御免になった方が良いと言う方針だろう。
木製の机と椅子があったので良い場所があったと朝からそこに陣取っていたのだがどうやらそこはお子様ステージの傍らだったらしく、 昼休みとなった今着ぐるみによる「○っ○こ○ム太郎ショー」が始まっていた。 このクソ暑いのに着ぐるみっつうのも大変なもんだ。
それにしてもローカル開催は夏場限定と決まっているんだから机周りに屋根位付ければ良いものを。 酷暑の中の開催となる新潟競馬場にはどういう訳だか日差しを遮れるようなものが極端に少ない。 東京競馬場のような欅の巨木がある訳でもなく大人一人さえ隠せないようなひょろひょろとした木陰しか作れない樹しか植えてない。 日に当たりたくないヤツは建物に入るしかないようだ。 体力のある若いヤツらは良いが年寄り連中なんて建物の端っこぎりぎりから目を細めてパドックの方を羨ましそうに眺めている。
三蔵はと言うと先程から椅子に座る事は放棄してほんのささやかな木陰の下に移動して芝生に直に腰を降ろしている。
「そんなに暑いなら袖まくれば良いのに」
木陰に小さくなって座る三蔵を隣で見下ろして話し掛ける。下が芝生なのが救いだ。 この上コンクリートだったりしたら直に腰を下ろす事も出来ないだろうし照り返しは眩しいしで暑さを避ける為に建物内に大勢の人間が詰めかけてぎゅうぎゅうの蒸し風呂状態になる事だろう。
・・・自分で考えてあまりの暑苦しさにへたってしまいそうになる。
「うるせえ」
「もしかして『グラスワンダーLOVE』とかタトゥーでも入れちゃった?」
「んな訳ねえだろ」
そう言って三蔵は横を向いた侭ペットボトルのウーロン茶に口を付けた。 このペットボトルもうっかり日の当たる所に出しっ放しにしておくと煮えて腐ってしまうので厳重注意だ。
何が何でも三蔵は袖を捲るつもりは無いらしく其処まで頑なになられると何かあるんじゃないかと疑いたくなる。 グラスワンダーはともかく若気の至りで元カノの名前とか(消せるのを知らないのか消さないのか)。 見せられないような怪我の跡とか(女じゃあるまいし)。
「てめえこそ半袖なんか着てると土方焼けするぞ」
「土方焼けってあんたねえ・・・」
土方焼けはあんまりだ。
飲みかけのペットボトルを鞄にしまい込んでいるにしては随分長い事ごそごそとやっている三蔵の手元を覗き込んで絶句した。
三蔵の手には日焼け止めクリームのチューブが握られていた。 せっせと手首にまでクリームを塗り込む三蔵を見て思わず声を掛ける。
「・・・何やってんの」
「日に焼けるだろうが」
「いいじゃん夏なんだし」
「良くねえ。おい、悟空」
呼ばれ側にやって来た悟空にも三蔵は日焼け止めを塗ってやる。 つーか悟空も三蔵が日焼け止めを見せると文句一つ言わず腕を差し出した。
「てゆーか何で塗ってもらってんの。この甘えンぼさんはぁ」
「うるせーよ!」
「こいつが自分で塗ると塗りムラが出来るからな」
俺の揶揄いの言葉に臆する事無く三蔵は悟空の両腕に日焼け止めを塗り終えた。
くっ、何だこのラブラブ親子モードは。
「じゃあ俺も塗ろうかな〜」
「てめえが今更日焼け止めなんか塗っても手遅れだ」
へらと笑って日焼け止めクリームを握る三蔵の手に腕を伸ばしてみたらすいと手を遠ざけられた。
「何でそゆこと言うの・・・っと」
遠ざけられた手を追いかければ面白がるように更に三蔵の手が逃げるのでバランスを崩し上半身が三蔵の膝の上に乗り上げる。
「くっつくなっ!」
「いやだ、止めないも〜ん」
「あっ、悟浄ばっかりずりぃ!」
そう言って悟空が反対側から三蔵に抱き付いて来た。良いよなこいつはお子様の特権とは言えこうやって冗談めかしてでなく堂々と抱き付く事が出来てよ。
「ずりいのはお前だろうがっ!」
「くっつくんじゃねえっ、いい加減にしろっ!」
耳元ででかい怒鳴り声が聞こえたかと思うと悟空もろとも競馬新聞でひっぱたかれた。結構痛え。 130円のスポーツ紙と違って410円もするだけの事はある。410円パワーだ。
「今新聞でぶっ叩かれるゴキブリの気持ちが分かった・・・」
「ばかでけえゴキブリに懐かれてぶっ叩きたくなる人間の気持ちも分かったか?」
不機嫌そうな声と共にぱしっと頭上で三蔵が折り畳んだ新聞を掌に叩き付けるらしい良い音が聞こえて来るので慌ててのしかかった侭だった三蔵の足の上から身体をどかした。
「三蔵〜なんで俺までゴキブリなんだよ〜」
「うるせえ。離れろ!」
言いながら三蔵が再び新聞を悟空の上に振るう。
ぱしーん!ととても新聞が立てているとは思えない景気の良い音と共に悟空が半泣きになって離れると三蔵は新聞を伸ばしながら立ち上がった。
「何処行くの」
「うるせえゴキブリのいねえ処」
フンっ、と言い捨てて三蔵はスタンドの方へと歩いて行ってしまったが実の処馬券を買いに行ったのだろう。 手がポケットを何やら探っているのがその証拠だ。あの仕草は間違いなくマークシートを塗り潰す為の赤ペンを探しているのだ。
「悟浄のせいで三蔵怒っちまったじゃねえか」
もう20歳は過ぎている筈なのに馬券を買わない悟空には三蔵が何の為に立ち上がったのかは分からなかったらしくそう文句を言われた。
「俺だけのせいじゃないだろーが」
「悟浄のせいだっ!三蔵があれ位で怒る訳ないもん!」
「何だよヤケに自信たっぷりじゃないの。普段から三蔵にべたべたしてるとでも言うのかよ」
週に一度、しかも中山開催週の間だけしか会わない俺なんかより確かに悟空の方が三蔵の事はよく知っているだろうがそうやって自信満々に言われてしまうと何だか面白くない。 わざと揶揄うように言ってみる。
「うん!」
「・・・・・・嘘つけ」
元気一杯に良い子のお返事で即答した悟空の言葉に頬が引きつる。
「嘘じゃねえもん。ガキの頃は何回も三蔵の家に泊めて貰った事もあるし」
「・・・・・・」
三蔵の家。そう言えば俺は一度も行った事が無い。
「小学生の頃から両親が出掛けた時は三蔵の家に泊まってたんだ。そーゆー時は三蔵がメシ作ってくれて」
三蔵の手料理。俺と三蔵はいつも競馬場内の売店でジャンクフードを貪り喰う仲だった。 そりゃあ競馬場にお手製弁当を持って来いとは言わないが。
へへ、と照れたように笑う悟空の表情は甘えたがりの弟そのものだったが。

もう、こいつは競馬には誘わねえ。

そう、悟浄が羨望に赤い瞳を更に赤くしながら決意した真夏の新潟競馬場。






2003年アイビスSDの日の新潟。色々実話だらけ。 乙一の「夏と花火と私の死体」みたいな題にしたかったんですがどうも良いのが思い付かず。



novel−競馬パラレル