充たされざる
「三蔵、顔色が悪いですよ」
「気のせいだ」
「気のせいじゃありませんよ。血が足りてないんじゃないですか?」
「気のせいだと言ったら気のせいだ」
顔を覗き込んで来る八戒の視線を避けるでもなく、三蔵は不機嫌に眉間に皺を寄せる。
続く目眩は長時間ジープに揺られっぱなしの為であると頑固に思い込んで誰にも不調を告げる事のなかった三蔵だが、 僅かな酒にも酩酊感にも似た眩暈を覚え躯が酷く怠くなる事には気付いていた。 気付いてはいたが誰にも何も告げなかった。
あのカミサマの所為で思いがけない足止めを喰った数日のロスを埋めるべくさくさくと旅程を進めたいのだ、 敢えて更に旅の日程を遅らせるような事を自分の口から告げるつもりなど、三蔵には毛頭なかった。
敵からの襲撃を受ける事もなく、充分睡眠を取った筈の朝に尚も眩暈が続いているこの時にも。
「八戒、自覚症状がねえんだよ、コイツには」
脇から知ったような事を言う悟浄に三蔵は視線を向ける。 たかが数度寝たくらいで自分の事を知ったような口をきくなと、思いはしたが実際はただ無言で睨み付けるだけだった。
「ホラ、夏になると年寄りが熱中症になるだろ?年取って感覚鈍くなってるからカラダがカラカラになってんのにも気付かないで。 アレと一緒だよ。三蔵様はお年寄りだからぁ」
三蔵の視線も気に止めず、自分の言葉に自分でぷっと、小さく吹き出しながら言う悟浄に釣られて八戒も悟空も笑い出す。
「ああ、そう言えばそうですね」
「貴様ら」
「そんな訳でご老体は労らなくちゃね?」
「ざけんな」
「ええ、延泊の手続きをして来ます」
かたんと音を立てて朝食のテーブルから立ち上がった八戒に当然三蔵は「八戒!勝手な事をすんな!」 と抗議の声を上げたが八戒は振り返りもせずに食堂を出て行った。





「勝手な事をしやがって・・・!あのクソ河童、誰が年寄りだ、ふざけんな!」
ぼすんと乱暴に寝台に腰を下ろしながら尚も腹立ち紛れに罵り続ける、その間にも眩暈は続いている。 そのふわふわとした感覚を無視して三蔵は袂の煙草に手を伸ばす。 数度煙を吸っては吐き出すと言う動作を繰り返すうちに気の遠くなるような眩暈は更に酷くなる。
血が足りていないと言われた、それはその通りかも知れない。
しょっちゅう怪我をしては失血している、だが足りない血をてっとり早く補う生き物の肉だの内臓だのはあまり多くは口にしなかった。 だが自らの食生活を顧みるより前に思い通りにならない当の自分の躯の脆弱さに三蔵は更に気を悪くする。 意地でマルボロを短くなるまで吸ってから屈み込んでブーツを脱ごうと苦戦する。
こんな時草履だったらベッドの横に腰掛けた侭脚をぶらぶらさせるだけで済んだのにこの忌々しい靴の野郎。
収まらない眩暈におぼつかない感覚の中どうにか未だ馴染んでいないブーツを脱ぎ終え、三蔵はベッドの中に潜り込む。
横になっても気分が悪いのは相変わらずの事で、再度三蔵は自分の躯に腹を立てる。
このオンボロが。どうして俺の言う事を聞かねえんだ。
畜生。
畜生・・・。
屈辱の中、それでも躯が怠い事だけは本当なので最早起き上がる気もせず横たわった侭でいると、 不意に廊下にいるらしき下僕達の声が三蔵の耳に届いた。
「じゃあ、僕は出掛けて来ます」
「あっ、俺も」
「そおだな、する事もねえしな」
悟浄の声に三蔵は身じろぎするでもなかったが、僅かばかり心音が早くなるのを自覚する。 ドアをノックされたら「うるせえ」と言って追い返そうかそれとも寝ている振りで放ったらかしにしようか、 逡巡した三蔵の心情を知らず、室内の三蔵に声を掛ける事なく仲間達の声は遠くなって行く。 出掛けんなら黙って行け、そう内心で思いはするが三蔵は目を開ける事もなく横になり続ける。
思い掛けない時に聞こえて来た悟浄の声に過敏に反応する自分を自覚しながら。 それはあまり愉快な事ではないように思えた。
悟浄は誰にだって優しい。
闇雲に。
それこそ悟空と八戒とを、 例えではなく言葉通り魂の抜けた状態に陥らせたガキに対してだってガキであると言うだけで害する事を拒む程に、 そのガキの集めた魂を法力で人形の形態にして自らの城に閉じ込めていたあの悪趣味な「カミサマ」に手を差し出す程に。
その、悟浄が何故優しさのカケラも持ち合わせていない自分に幾度も優しい口付けを落とすのか。何故自分の身体を望むのか。 考えても答えは出なかった。
ただ、分かっているのは、悟浄のそう言った行為は何らかの間違った思い込みに依るものであろう事だ、三蔵はそう思う。
誤魔化しのきかない旅の中、早晩悟浄は自分の思い込みが間違っていた事に気付く筈だ。
ごろりと三蔵は寝返りを打つ。
その時悟浄は期待外れだったとでも言いたげな、侮蔑の表情を浮かべるに違いない。
それがどうした、と三蔵は思う。
過剰な期待を寄せられる事にもその後勝手に失望の表情を浮かべられる事にも慣れていた。
どうって事はねえよ。
どうって事は・・・。





「・・・まだ眠ってるようですよ」
「ったく、本調子でもねえのに無理するから」
近くから聞こえて来る耳慣れた声で三蔵は目を覚ました。ふて寝のつもりだったが何時の間にか本格的に寝入ってしまっていたらしい。
寝てると思ってんなら人の部屋に勝手にゾロゾロ入ってくんじゃねえよ!
とは思ったものの、まだ目が覚めきっていない為三蔵は狸寝入りを続ける。
「オラ、行くぞ悟空」
「あ、うん」
ぼそぼそと小声で短く続く会話の後で人の気配が遠くなって行くのに、こっそり三蔵は被っていた毛布の隙間から仲間達の様子を盗み見る。
ふと、三蔵の視線に気付いた訳でもないだろうに、部屋を出て行きかけた悟浄が立ち止まって振り返る。 三蔵の視線に悟浄は気付いていなかった、その証拠に悟浄は三蔵と視線を合わせようとはしなかった。
誰にも見られていないと信じて浮かべた、その表情に三蔵は胸に重苦しさを感じる。
・・・何だこれは。
何でたかだかバ河童のツラを見ただけで。
胸苦しさを感じている三蔵に気付く事なく悟浄達は三蔵を置き去りに部屋を出て行く。 大きな音を立てないようにと気遣いを感じさせる動作で、そうっと扉が閉まる。
その小さな音を聞いてから、三蔵は詰めていた息をほうっと吐き出す。
きっと重病人でも見る様なツラを見ちまった所為で、本当に何処か悪いんなじゃいかと、そんな気になってしまったのだろう。
忌々しいクソ河童め。
その存在だけでなく視線までもが鬱陶しいヤツだと。
決め付け、きつく瞼を閉じて三蔵は寝返りを打つ。


悟浄の瞳に込められたものにも、自分の感じている動揺が何であるのかにも、三蔵は気付かない。
今は、まだ。

1年半程前に書いて放置してました。いつもの事ですがタイトルが思い浮かばなくて。 仕様が無いので部屋を見渡して目に付く所にあった本のタイトルを元に。

novel