ヴァーミリアン
この桃源郷を覆う異変の原因を突き止め阻止する為、イヤ違った阻止するのは牛魔王の復活だっけ、
いや確か牛魔王の復活と異変とは密に関係しているらしいんだからどっちだって良いんだ、
つうか食い止めなきゃいけねえのは両方だっつう事に変わりはねえよな、
まあとにかくそんな訳で三蔵から西方天竺へと旅に出ると聞かされた時は正直「はあ?」と思ったものだった。
だって妖怪が次々とおかしくなってちらほらと姿を消していずこかへ立ち去っているご時世、
八戒や、三蔵のペットである悟空、それから俺の3人は妖怪としてはハンパな存在だからかどうだか分からないが一応、
今の処正気を保ってはいるが、そんな七面倒くさい、何時着くんだか分からないような遠方への長旅に妖怪なんて連れて行って大丈夫なんかい、
と俺は他人事のように考えた。今は大丈夫でももしかしたら明日にでも、
明日じゃなければ例えば一年後にでも突然おかしくなるかも知れない俺達を伴うなんて正気の沙汰じゃねえよ、と。まあ、何だか分からないながらも自分が自分でなくなるかも知れないと言う胸くそ悪い事態を、 自らの手で食い止める事が出来るならそれも良いかも知れねえと。
そんな風に軽く思って旅の同行を引き受けたのだった。
その日立ち寄った寺で、つっても「ほらここ、ガイドブックに載ってる有名なお寺ですよー」 とか言って訪問する観光客のように好きこのんでのこのこ出掛けた訳じゃなくて、たまたま町の宿が一杯だったので仕方なく訪れただけだ、 とにかく俺達4人は寺の責任者とやらの待つ部屋へと通された。
「こんな何もありません鄙びた寺では三蔵法師様を充分に歓待は出来ませんが・・・」
日に焼けた健康そうな老爺と、その隣に座る痩身の僧侶がしゃちほこばって言うのを尤もだ、と思う。
そもそも宿が片手で余る程の数しかねえっつうのは大した田舎だ。別にそんな田舎町に泊まらなくても近隣の町に行けば、 と八戒に告げたらそれでもここはこの辺りでは比較的大きな町で、この町を出れば辺りには村しかないのだと教えられた。
「過分な歓待は不要だ。泊まる事さえ出来ればそれで構わん」
「いやいや、折角三蔵法師様にお泊まり頂くのですから、せめてお食事だけでも拙寺で用意させてくだされ」
素っ気なく告げる三蔵の声に、それでは寺のメンツが立たないと思ったのだろう、爺さんが必死に頭を下げる。
メシ代が浮くのであればラッキー、と思っているに違いない八戒と、寺のメシは腹が減る!と必死な視線を三蔵に送る悟空と、 相互の視線を受けながら、「どーでもいい」と思っているのがありありと分かる表情で三蔵は
「世話になる」
と一言告げた。
「有り難く存じ上げます。・・・では、お部屋にご案内致します」
額を床に擦りつけんばかりに深々と一礼してから、二人の僧侶は立ち上がり先に立って歩き出す。
「わー、でけえ部屋」
こんな田舎寺の何倍もでけえ寺で生活していたクセに悟空は素直に喜び、感嘆の声を上げる。
普段は使用されていないと一歩足を踏み入れただけで分かる、ひんやりと空気の冷えた、 然し広々とした客用の部屋に通されて、 質素ながらもそれはごてごてとした飾りを敢えて排したが故らしき案外と品の良いその室内を一瞥する。
部屋を眺め渡す俺達を入口で見守っていた爺さんの視線が、俺達の上で不意に止まる。 その不自然な視線に、俺も思わず爺さんを見返すと、慌てたように爺さんは視線を逸らす。
「お食事の時間になったらお呼び致しますので、それまではお好きに境内を散策なさっていて下さい」
慌ててそう言って、部屋を出ようとした老僧が三蔵のみを小声で呼び付ける。
「・・・三蔵様」
「・・・何だ」
自分を呼びながら自らは廊下へと退いて行く僧侶に、三蔵は訝しむような声音を滲ませつつも、続いて扉の向こうに姿を消す。 三蔵と言うヤツは案外と「フツーの人間」に対するガードが甘い。 裏切った相手には容赦ないが、それはつまり、基本的に相手を疑って掛かっていなかった処への裏切りは赦せないと、 そーゆー意味だ。
あのお人好しがまた面倒事に巻き込まれなきゃ良いんだが、そう思いつつ俺は密かに耳を澄ませる。
「先の光明三蔵法師は妖怪どもの手に掛かって亡き者になったと聞き及んでおりますが・・・」
室内にいる俺達に聞かせたくはなかったのだろう、声を潜めて告げられる爺さんの台詞を、生憎と聴力の良い俺の耳は拾い上げてしまった。
今、あの爺さんは何て・・・?
「気になるようであればあの下僕どもはいないものとして扱って構わん」
下僕じゃねえよ、内心で突っ込みながら尚も俺は耳で廊下での会話を拾い上げる。
「とんでもありません。お食事は、三蔵様とお供の方は同じもので宜しいので・・・?」
「・・・そうだな。ヤツらは食費が嵩むがそれだけだ」
肯定も否定もせず三蔵は答えたが、量を聞かれた訳じゃなくて、 坊主であるアンタと同じモンを用意しても良いのかと尋ねられたんだろうが。
盗み聞いてしまった話をそれ以上聞くのは止めて、庭に面したでけえ窓を開け放って行儀悪く窓枠に足を掛ける。
「悟浄」
「ちっと散歩。この部屋、灰皿もねえし」
俺の行動を咎める八戒の声にそう答え、足裏に軽く力を込めて一瞬で窓の外に出る。
早速煙草を銜えてとぼとぼと歩きながら先程聞いた会話を脳内で反芻する。
以前は人間も妖怪も変わりなく共存していたこの桃源郷でも、異変以来人間の妖怪に対する態度は一変してしまった。 友達を妖怪に喰い殺されたという女の子が「妖怪なんて死んじゃえばいい」と悲鳴を上げる場面にも遭遇した。 脳味噌カラッポの悟空なんかは「人間だとか妖怪だとかそーゆーちっちぇえことはどーでもいい」なんて言いやがるが、 それは俺達妖怪側の理屈であって、多くの人間はそうは思っちゃくれない。 そりゃそうだ。親しい人間を餌扱いされてへらへら笑ってられるヤツがいたらお目にかかりたいもんだ。
人間の、妖怪への嫌悪は仕方のない事だと思う。
妖怪だとか人間だとか、そーゆー事に拘りを持たない数少ない人間である三蔵は、 人間であっても妖怪であっても自らの前に立ち塞がる者を「敵」と見なすがそれだけで、 本当に俺は三蔵の口から妖怪への恐れや嫌悪の言葉を聞いた事がなかった。 それは三蔵が、破格と言うか破壊的と言える迄の精神を持ち合わせているからだと思っていた訳だが。
『先の光明三蔵法師は妖怪どもの手に掛かって亡き者になったと聞き及んでおりますが・・・』
そんな事は知らない。そんな事は聞いた事がない。
妖怪に大切な人を殺されて、妖怪を恨まずにいる事なんて、あり得るんだろうか。
幾らあの変わり者で偏屈な三蔵だからと言っても、そんな事。
「悟浄」
ぽん、と唐突に軽く肩を叩かれてびくりと肩を竦ませる。
「八戒・・・」
「済みません、驚かせるつもりはなかったんですが・・・随分熱心に眺めていたようですね」
「え?」
何時の間には俺はちっちぇえ池の前にいて、その池の中には黒だの紅白のまだらだののでけえ鯉がウヨウヨ泳いでいた。
「あー・・・。こいつらもしかして食用かな」
目の前にいたのに今の今までその存在に気付いてなかったサカナだが、わざと八戒が惚けてくれたのでそうだった事にしてしまう。
「お寺でそれはあり得ないでしょう」
クスクスと八戒は小さく笑う。
「・・・なあ、お前もさっきの話、聞いた?」
所在なしに頬にかかる髪を払いながら歯切れ悪く俺は口を開く。
「え?」
「三蔵の師匠を殺したのは妖怪だって」
「・・・悟浄」
碧色の瞳が悲し気に歪められたので、八戒の耳にも矢張りあの話が届いていたのだと言う事が分かった。
「大切な人間を妖怪に殺されて、憎まずにいるなんてアリだと思うか?」
足下に落とした吸い殻をブーツの底で踏みにじりながら独り言のように呟く。
「・・・・・・」
酷い事を言ってしまった、と気付いたのは八戒が怒り出しもせず、綺麗な笑みを見せた瞬間だった。
愛する女の為に千の妖怪を殺し、自らも妖怪へ変化した男に俺は何て残酷な言葉を聞かせてしまったんだろう。
・・・俺のアホ。
不自然に視線を逸らす事も出来ず、八戒の笑顔を強ばった表情で俺は見つめ続ける。
「・・・僕は三蔵じゃありませんから、三蔵が何を考えているかは分かりませんが」
ふっと息を吐いて、八戒の方から先に横を向く。その瞳の先、池の中の鯉を釣られるように俺も眺める。
「貴方も知っていると思いますが、三蔵と初めて会った時、僕は成すべき事を成した後は本当は死んでしまうつもりでした。 放っておいてもすぐ死んだ重罪人を、あの人は追い掛けて来てくれたんです。 そして、三仏神様に減免嘆願してくれた。本当にただ妖怪が憎いだけの人だったらそんな事すると思いますか?」
八戒の綺麗な横顔。黒い髪が風にさらりと揺れる。
「え・・・」
あまりの事に俺は言葉をなくす。
「ちょっと待て!あの坊主は「猪悟能は死んだ」っつったぞ!わざわざ俺ん家に来て!!」
それが、実は八戒の罰を軽くするよう偉い神様に頼んでいただって?あの坊主が?
「ふざけんなクソ坊主っ!泣かす!オレサマの足下に跪いてあの高慢チキが泣き入れるまで許してやんねー!」
「えーと・・・ご存知なかったんですか・・・?ってゆーか、三蔵を泣かすのは無理じゃないかと・・・」
「言うなああっ!」
ちょっとやそっとで泣くような軟弱坊主ではないと分かってはいるが、これでも負けたくないのだ、あのクソ坊主に。
「まあ無謀な勝負だと分かっていても降りないのがあなたの良い処でもありますしね」
一見誉めてはいるが、さらっと酷い事を言われた。
「お前ね・・・」
三蔵どころかこの長年の同居人にさえ勝てねえのか、俺は。
「いやですねえ、これでも誉めてるんですよ?」
ああ、でも八戒の言う通り、脅したってぶん殴ったって泣き出すような可愛いタマじゃねえのだ、三蔵は。 俺なんかがヘンに気を遣ってやる必要もねえんだろう・・・きっと。
「これでも、って・・・。ああ、もうどーでも良い」
・・・コイツには一生頭が上がらない気がする。
ひとしきり考えて心の整理を付けてから、それでも俺は色々な事が判りすぎている察しの良過ぎる相方に、 ふてくされた振りをして見せるのだ。