マルボロ
ウィナーズサークルの近く。スタンドの一番端の灰皿。そこが指定席。
「火、貸してもらえますか」
カチカチとジッポを何度か鳴らしオイル切れを確認して近くに立つ金髪の若い男に声をかけた。 無言で100円ライターを差し出してくるのに礼を述べる。
「先刻のレース、取りました?」
こんな場所でど派手な金髪。地毛でなかったら、そして趣味の悪いスーツでも着てたらやばい職業の人に見える事間違いなし。 でもそんな雰囲気はしない。この特殊な場所にかなり馴染んだ気配から常連だと決め付け先程終わった朝日杯の事を持ち出す。
「ああ」
「まさかあんなに強いとはねえ。4戦4勝、無敗でGIだもんな」
「サイボーグなんじゃねえのか」
無表情だった男が分からない位微かに口の端を上げて笑う仕草をしたのでこの男が勝馬を気に入っている事が知れた。
「あはは、本当に」
先に煙草を吸い終えて金髪は灰皿から離れて行った。
「・・・あ?」
12月の第二週、日曜日。同じ場所でまたあの男を見掛けた。
遠くからでも目に付く金髪。白いコートに赤のマルボロ。
何万人と言う人間が押し掛けていると言うのに知り合いでも無いヤツを再度見掛けるなんて大した奇跡だ。 灰皿近くで煙草をふかす姿。場内何処もかしこも喫煙OKにも関わらずわざわざ灰皿の近くで吸っている事に酷く感心する。
「ども」
挨拶しながら近付いてみる。
「・・・・・・」
片目を細めてこちらを眺める。どうやら覚えているようだ。と言うかこっちも相当派手な容姿をしている自覚はある。 警戒されている。
・・・イヤ別にあんたを探してたとかじゃなくて見付けたのは偶然な訳よ?何でそんなにイヤそうな顔すんの。
と思っていると次のレースのパドックがモニタに映り始めた。 金髪は手に持った新聞を広げて馬柱のチェックを始める。新聞はケイシュウ。渋いじゃん。
俺も東スポを広げる。
プラス16kgの馬体に顔を顰めている。狙ってた馬だったのか。
「んじゃ、お互いガンバリましょ」
挨拶しながら離れる。予想通り返事は返って来なかった。
どういう訳かその後も金髪とはしょっちゅう顔を合わせるようになった。
煙草の火を借りる前も恐らく同じ日に同じ辺りをお互いウロウロしていた筈なのにそれ迄は全然気が付かなかったのがこうなってみるといっそ不思議だった。 毎週通っていた訳では無いし必ずしも同じ場所だけに居た訳でも無いし人混みの中ちょっとしたタイミングですれ違っていたのだろうがそれにしてもあれだけ目に付くヤツが今迄視界に入らなかったのがつくづく不思議だ。
連れでもいたなら話し掛けもしないのに、よりによって毎回互いに連れはナシ。
有馬記念の日に初めて名前を知った。
あいつが有馬の前売入場券を並んで買う姿というのは想像するだけで可笑しかったが。
住んでいる処も聞かず、待ち合わせをする事もなく、毎週来ると約束をする訳でもなく、それでもほぼ毎週三蔵とは真冬の中山で顔を合わせ続けた。 朝から晩までずっと一緒にいる訳ではなく、昼過ぎだったりメインレースだけだったり、 ふらりといつもの灰皿の処に現れてはお互いの今日の成績を聞いたりして万馬券を取った日には最終レースの後スタンド下の食堂街でビールを奢り合った。
その間に初めて言葉を交わした日のレースの勝馬が骨折で長期休養に入った。骨折を知った時三蔵は酷くがっかりしていた。
「来週からは府中だな」
芝が痛むので同じ競馬場では長く開催は続けられない。一定の期間毎に開催する競馬場が変わるのだ。
「来週もココか?」
他場開催の間もここに来るのかと、尋ねてみる。
「イヤ。目の前で見られないのに来たってしょうがねえだろ」
三蔵は競馬が好きと言うより馬が好きらしい。
「府中は行かねえの?」
「遠くて面倒だ」
その返答でそうだろうとは思っていたが三蔵の住まいもここ、中山競馬場から遠くはないのだろうと推測した。
一ヶ月の東京開催の後、再度中山開催が始まった。
春になり皐月賞が終わると開催は東京競馬場に変わり、東京開催が終わると関東での開催は秋迄一休みとなる。
最終レースを見るとはなしに見ながらいつもの灰皿を囲んで聞いた事も無いような地味な血統の馬が居並ぶ良血馬達を負かした皐月賞の感想を興奮混じりに述べ合った。
「次の中山開催は9月だったか?」
「じゃ、9月に」
そう挨拶して別れた。
そして6月になりダービーが終わり、ローカル開催が始まり、自分でも驚いた事に俺は競馬場に通わなくなった。
三蔵の『馬を目の前で見られもしないのに競馬場になんか来ない』と言う言葉が気になっていたのかも知れない。 例年だったら燃えるローカル競馬の番組を見ていても何故かあまり面白いとは思えなかった。
9月になった。
競馬開催日は週のうち土曜日曜の二日間で、そのうちどちらの日にとも約束をしていなかったせいもあるが三蔵には会えなかった。
競馬を止めたのかも知れない。
俺と違う日に来ているだけかも知れない。
俺に会わないよう違う場所で観戦しているのかも知れない。
一緒に競馬に通うヤツが出来たのかも知れない。
どれも愉快な考えでは無かった。
未だ携帯の番号も教え合わず、どんな仕事をしているのか何処に住んでいるのか、それすら知らない間柄。 週に一日、ほんの少しの時間だけ同じレースを見て感想を述べ合うだけの関係。
それだけの人間だった。
『じゃ、9月に』
最後に交わした言葉。それは挨拶であって約束でも何でもない代物だった。
必ず来いと約束をしておけば良かったのか。
然しそんな約束に一体何の意味がある。所詮赤の他人でしかない人間を拘束するだけの力を持ちはしない。
6レースが終わり再びモニタでパドック映像を見るべく灰皿の処に戻った。 自分でも未練がましいと思うがいつもの場所から離れられなかった。
ふと視界に久し振りに見る明るい金色が過ぎった。
「・・・よお」
久し振りじゃん、何気ない風を装って声をかける。何故か分からないが自然と笑みが浮かぶ。
「どしたの。死んじゃったかと思った」
「大袈裟なヤツだな。仕事があったんだよ」
わざと軽口を叩くと面白くなさそうに返された。
「おかげでオールカマーも見損ねた」
残念そうな様子に、来たかったのに本当に事情があって来られなかっただけらしいと安心する。
「オールカマーはアレだ、ダイワのワンツー」
「どのダイワだよ」
「テキサスとオーシュウ」
ふぅん、言いながら三蔵が煙草を銜えた。いつものマルボロ。いつものケイシュウ。
「携帯の番号教えて?」
さりげなく言ってみる。三蔵は顔を上げ何かを確かめるように片目を眇めてこちらを見て、少し考えるような素振りをした後携帯を取り出した。
秋の中山開催は短い。
10月には再び東京開催に変わり、骨折から復帰した朝日杯馬は府中で二度の敗北を喫した。
12月になると競馬ファンは年末恒例のお祭り、有馬記念を控えてソワソワし始める。
三蔵は有馬のファン投票出したのかな。
有馬記念の出走馬はファン投票によって決定される。上位に選出された馬の調子と陣営の思惑が上手く折り合いが付けば目出度く出走だ。 出走したくても上位に選ばれない馬は出走出来ない。
三蔵が選び出した10頭の名前をしこしこ葉書に書き込む姿と言うのは想像したくも無かったが、いや、想像したし笑ったが、 思い立って自分の分の投票用紙に三蔵の好きな栗毛の名前も書いておいた。
そんな事は余計なお世話だったらしく、昨年の朝日杯馬は盛大にファンの支持を受け堂々有馬記念に駒を進めた。
「煙草止めたの?」
「切れた」
「買えば」
「ここの自販機にはねえんだよ」
「マルボロくらいあるでしょ」
「ソフトは無い」
「ボックスでも良いじゃん」
「味が違うだろうが」
「んな訳ないでしょ」
「嘘じゃねえよ。全然違う」
「俺の吸う?」
「いらねえ」
12月27日極寒の日曜日。牝馬の身でありながら牡牝混合GIを制した女帝と8歳にして初GIを制した天皇賞馬、 両馬の引退レースとなった有馬記念当日。
「グラス、元気無くない?」
「元々ぼやっとした馬だから良く分からん」
「そっか」
俺達は珍しくパドックで並んで出走馬を眺めていた。10万からの人出のこの日、 メインレースのパドックを見るには前のレースのパドックが終わった後から場所取りをしなければ馬が見える位置はキープ出来ない。 そんな訳で陽も差さない日だと言うのに冷たい風の吹き付けるパドックに30分以上居座っている。(勿論それは俺達だけじゃないが) 三蔵は既に寒さで歯の根が合わなくなっている。顔色も悪い。
だがこの馬を見る為に普段来ないパドックに長時間陣取っている三蔵に『建物の中に入ろう』とは言わない。
代わりにもう一度馬を見る。
お上品に切り揃えられた前髪、とても闘志など無さそうな何処か夢見心地の顔、逞しいと言うよりはぽっちゃりした馬体。
・・・矢張り買って良いのか悪いのか分からない。
パドックでの周回が終わり晴れやかな音楽と共に出走馬が本馬場へと移動して行く。 因みにパドックを見てから本馬場に移動したのではとてもじゃないがレースを見られる位置は陣取れない。 今日と言う日はパドックかレース、どちからかしか生では見られないのだ。 それは勿論三蔵も承知の上だ。建物の中から出ずモニタでレースを観戦する。 いつもは比較的空いているこの場所も今日ばかりは身動きが取れない程の人混みだ。
寒空の下響き渡るファンファーレ。10数万人の狂ったような怒声。
右脚を高く突き上げ地面に叩きつける独特のフォーム。好位から抜け出て来る栗色の馬体。
『外からグラスワンダー!』
アナウンサーの絶叫。周りからどよめきが起こる。三蔵は声を立てずモニタを見つめている。
女帝も天皇賞馬も寄せ付けず、その日『怪物』グラスワンダーは復活した。
GIを制したと言うのにガッツポーズもしない、 ウィニングランもしない『いぶし銀』と呼ばれるベテランジョッキーを背に栗毛のグランプリホースがウィナーズサークルに戻って来るのをファンが熱狂的な歓声で迎える。
「やったな、オメデトウ」
その群には加わらず床の上に山となった外れ馬券を踏みつけながら馬の事とも馬券を的中させた事ともつかぬ祝いを述べる。 口の端を上げて三蔵は珍しく機嫌良さげに笑っている。
「これで」
ひら、と掌の中の馬券をかざす。単勝10,000円。配当1,450円で145,000円。
「飲みに行くか」
いつものスタンド下では無い処で。言外にそう匂わせて。
そう言った三蔵の笑顔がとても綺麗だった。