遠浅
本来悟浄はまろやかな肌の女が好きだった。弾力があって温かく手に吸い付くような膚が良い。
色は白い方が良い。陽に焼けた女が嫌いだと謂う訳では無いが昏く灯りを落とされた室内でも浮き上がる白くたおやかな膚が好みだった。
そして餅のように盛り上がった柔らかい乳房を持った女だと尚良い。
『桃源郷の異変の原因を探り食い止める為』 等と言うご大層な使命を拝命した最高僧・玄奘三蔵と共に旅に出たエロ河童こと沙悟浄だったが、 ふとした弾みで仏教界の至宝である筈の三蔵法師が女であると知り、その際半殺しの目に遭った。 何とか殺されずに済んだものの当の三蔵は勿論、 悟浄が三蔵の胸を思いきり両手で揉みしだいた現場を目の当たりにした下僕その1、その2からも未だ冷たい扱いを受けている。
特に下僕その2こと親友である猪八戒はどうやら三蔵に思うところがあったらしく、 あれから3日経つ今になっても澄んだモノクルのレンズ越しに悟浄を見遣る視線が冷やりとした空気を纏っている。
・・・恨まれる程でかい胸じゃなかったのによ・・・。
反省の欠片もない独白で悟浄は内心言い訳する。
三蔵があの時あれ程怒ったのは、実は三蔵は女性である事を別段隠し立てなどしていなかったが故であった。 出会って3年、共に旅をするようになって一週間。それだけの歳月を経て初めて悟浄は三蔵が女であると気が付いた。 勿論下僕その1こと悟空と下僕その2こと八戒はその事を疾うに承知しており知らぬのは女好きのエロ河童こと悟浄只一人であった。
悟浄にも言い分がある。
女性だと言われそのつもりで見れば確かにそうも見えるが、三蔵は女性にしては背が高い。三蔵の養い子である悟空よりも尚上背がある。
女性にしては声も低い。怒鳴り付ける声でさえ低音である事を考えれば作り声では無く生来の声であるのだろうが、 悟浄の聞き慣れているころころと転がる鈴のような心地よい声音とはまるきり違っていた。
そして何より三蔵は女性には見えなかった。
水鳥のような細い頸も広くは無い肩幅も確かに中性的ではある。三蔵法師の正装であると言う装束の濃黒のハイネックのシャツは喉仏をも隠す高さで、 それも三蔵の性別を隠す一因でもあった。
然し三蔵は中性的と言うよりは寧ろ性別を超越していた。
青天に銃声が鳴り響いた。
最後の敵を撃ち殺し、銃撃の残響が未だ虚空に響き渡る中三蔵は鈍く銀色に輝く小銃を握る手をす、と降ろし銃口を下に向けた。
下午の強い日差しに嬲られ三蔵の纏う白の法衣は洗い立てのシーツの如く白さを増して見える。
黄金色に輝く金冠をその頭頂に頂いてはおらずとも桃源郷に於いては希有である金色の髪は陽光を反射しそれ自体が金色の冠のようであった。
特に構えていないかの様に自然に下に垂らされた腕は細く然し瑞々しい筋肉の張りで覆われている為折れてしまいそうな程華奢には見えない。
そして倒れる時も背筋を伸ばした侭頽れるに相違ないと悟浄に夢想させるすらりと伸びた背中。
自らが敵の頭蓋を撃ち抜いて拵えた血溜まりの中を頓着もせず突っ切って仲間の元へ向かい歩み始める足。
薄い草履の下、血を存分に吸った土が泥濘と化しぐちゃりと不愉快な音を立てているにも関わらず三蔵はその醜い音とは隔絶した存在だった。 荒々しく奪われた幾多もの生命からも寸前までの暴力的な殺戮行為とも瞬時に切り離され。
何処までも遠く浅く続く凪いだ海のような静けさが、其処には在った。
三蔵は性別を超越していた。
精緻な人形の如く此の世に在っては生命の無いものであるかの如く全てから隔たる絶対が在った。
だが一度その長い睫の下に隠れた瞳を明らかにすると海は消える。
じりじりと膚を、頭皮を焼く日差しをも跳ね返す黄金の糸のような睫毛。
その下に在るのは苛烈な濃紫の双瞳。
三蔵は悟浄の知るどの女とも違っていた。
柔らかく暖かく悟浄を満たしてくれる女達とは違う生き物のようだった。
悟浄は三蔵が女性であると知ってからも三蔵が普通の女のような柔らかさを持っているなどとは微塵も思いはしなかった。
だってそうだろう。女性らしい甘い香りも抱き心地の良い丸みも持ち合わせていない躰だ。 過酷な旅に出てからは尚の事、 元より肉付きの薄い身体は増々こそげ落としたかの如く膨らみを落として行き張り詰めた筋肉のみが三蔵の肢体を人がましく見せる唯一の手段となった。
だから三蔵は「女」なんかでは無い。
そう思うと身体の中から不快な石ころを取り除いたかの如く気持ちが晴れやかになった。
そしてそう思ってしまうと三蔵に密かに想いを寄せているらしい八戒の事が気に掛かった。
三蔵なんかの何処が良いのだかと悟浄は小首を傾げながら一つ二つと数え上げる。 確かに三蔵は見てくれは美しいがとにかく性格がよろしくない。気の強い処がカワイイとか言うレベルの話では無い。 天の神が耳目を集める美しさを与える代わりに人に愛され得ない過激な人格を与える事で世のバランスを取ったとしか思えない。 細身なのは良しとしても胸までもが柔らかい膨らみを備えていないのはこれも天から与えられた欠損であるに相違ない。 腕だって脚だってきっと筋肉でごりごりに決まってる。
抱いたってきっと骨っぽくて少しも気持ちの良い事なんかありはしないだろう。
悟浄は見た事も無い三蔵のその細い裸身を思い浮かべる。
普段幾重にも衣に包まれ陽光の下に晒された事の無い白い膚。
白々と華奢な頸に金糸のような髪がしっとりまとわりつく。
肉付きの薄い胸元に縊れた腰、そして抱いても柔らかみなど丸きりありもしない痩身。
それから自分達の事など微塵も見ていない紫の瞳。
一気に夢想から醒め悟浄は何時の間にか閉じていた目を見開いた。 己が欲望の侭好き勝手に想像して良い筈の妄想の中でさえ三蔵は誰のものでも無かった。
求め得ない相手を求めている八戒を慮って胸が冷えているのだと悟浄は思う。
求める可きものでは無いのだと。
求めて手に入るものではないから求めて然る可き非ず。
胸中の痛みは全て哀れな八戒の為であるのだと。
悟浄は信じた。