真昼の月
「今日はあったかくて良かったな」
「・・・そうだな」
「雪も残らなかったし」
「・・・そうだな」
「もしもーし。寝ちゃダメっしょ」
「・・・・・・ああ」
今年から有馬記念の開催日は12月の最終日曜となった。 年の瀬となったこの時期、三蔵は実家である寺の手伝いだとかが色々忙しいらしくコートが汚れるのも気にせずパドックの階段に直に座り込んでうつらうつらしている。 昨日は降雪の影響で開催予定だったGI・中山大障害が急遽中止となったのだが今日は幸いな事に雪も降っていないし何より暖かい。
「ホラ。馬出てきたぞ」
1枠1番のツルマルボーイが厩務員に曳かれパドックに登場した。 声を掛けてやると三蔵は無言で立ち上がりがさがさと新聞を広げた。半分寝ぼけてはいても馬体重の増減は既にチェック済みな辺りは流石だ。
「クリスエスは思ったほどガレてないな」
「そうだな」
少し意外そうに三蔵が答える。次々とパドックに登場する出走馬全12頭の最後、一番人気シンボリクリスエスの馬体は緩い冬の日差しの中黒く輝いていた。
約一ヶ月程前の前走、国際招待レースであるジャパンカップでもシンボリクリスエスは一番人気に支持されたものの3着に破れた。 3着と言うと大した事も無いように聞こえるが実際の処勝った馬からは9と3/4馬身も離されていたので完敗と言える。
有馬記念の今日を最後にシンボリクリスエスはターフを去る。引退して種牡馬になるのだ。 そして今日の最終レースの後はクリスエスの引退式が行われる。
競馬の祭典有馬記念にファン投票1位で選出されて出走しラストランの花道を飾った後に引退式。 そしてここを勝ったら恐らく昨年に引き続き年度代表馬に選出されるであろう事は想像に難く無い。 そんな出来の悪いドラマのような筋書きを演じる為に前走で敗北を喫した後クリスエスはビシビシ鍛えられていた。 これで引退の身だと言うのに容赦は無しだ。
クリスエスを管理している調教師、競馬界一のリーディングトレーナーは嘗て同じように引退レースの後に引退式を控えた馬を管理していた。 フランスに遠征しGIを制覇したその馬は然し、 引退前に何かあったら大変だとばかりに大切に扱われたらしくだぶだぶに弛んだ腹でパドックに登場した。 初めて衆人の前にお世辞にも臨戦態勢とは言えない緩みきった姿を晒した引退レースのその日、 通算成績13戦11勝2着一回、完全連対を誇る栗毛の馬は生涯最初で最後となる3着での入線と相成った。
前の轍を踏むまいとの調教師による渾身の仕上げで最後のパドックに登場したクリスエスはハードな調教にも耐えそれでもバテて馬体を細化する事無く、 常のように美しく張りのある漆黒の肢体を観客の眼に堂々と晒していた。
それでも、その姿を見て尚俺は疑いを抱いていた。
そんなに世の中都合良く運ぶ訳が無い、こんな悪趣味なシナリオ通りになる訳が無いと。





出走馬達のパドック周回が終わり馬が本馬場へと向かいパドックから姿を消すのに合わせて人混みも馬の移動する方へと流れて行く。 出走頭数が少ない割に本日競馬場に脚を運んでいる人間は多いらしく人に押し流されるように俺達はメインスタンド前に辿り着いていた。
横から後ろから滅茶苦茶な方向から力が働き身体がふらふらと振れるのを脚に力を入れて堪える。
ふと見ると人波に流された三蔵があらぬ方向へと押し遣られてしまっていたので人垣を掻き分けて三蔵の方へと近寄ろうとする。 密着した人と人の間を肩で押し割ってみても思うように人垣が割れない。それでもなんとか力づくで人の間を割ってノロノロと進んだ。
「さんぞっ、何処行くんだよ」
「好きで動いてる訳じゃねえっ」
流されている自覚は一応あるらしく怒ったように言い返された。 やっと近付いた所で三蔵が身体を離そうとするものだから再度押された人間が流れ込んで来て間に割って入る。
三蔵が他人に側に寄られる事が嫌いなのは知っている。 だからと言ってこの超満員の状態でまで身を引く事はないだろう。
俺に近くにいられるよりは見ず知らずの他人にもみくちゃにされてる方が良いんかいっ!
「おっと」
多少むっとしたがこんな処で言い合いをしたくないので三蔵が単に人混みに流されたと思っている振りをして身を寄せる。 こんな時カップルだったら人目憚らず肩を抱き寄せてしまえば良い訳だが幾ら人混みのドサクサだからと言って男同士そんな事をする訳にはいかない。 半ばヤケのようになって三蔵にぴったりと身体を押し付けた。 どうせお互いにコートを着ているから身体がくっついている感覚よりももこもことした感触の方が先に来る。 一瞬驚いたような顔をして反対方向に身を引こうとした三蔵だが、身じろぎした事で知らないおっさんに身体をすり寄せる形になってしまい慌てて俺の方に戻って来た。 知らないヤツにくっついているよりはマシだと諦めたらしくその後は俺に身を寄せた侭になった。
ホラな、知らないヤツよりは俺の方が良いだろうが!
一寸勝ち誇りたいような気持ちで顔がニヤけそうになるのを誤魔化す為煙草を銜えようとして、止めた。
「こんな混んでると煙草は吸えないな」
「新聞も広げられねえ」
ほ、と互いに溜息を吐く。
「時間、分かんねえ・・・」
あまりにぎゅうぎゅう詰めになっているのでポケットに手を突っ込んで携帯を取り出して、と言う一連の動作が出来ない。
「ホラ」
三蔵が腕時計をした方の腕を見えるように差し出した。こいつは時々こうやって育ちの良い処をさりげなく示す。 コートの袖先から覗く手首に光る銀色の時計。
「後5分か」
自分が一番人気馬に暗い疑いを抱いている事を隠す為に「クリスエスはどうだろうな?」と軽い調子で口にしてみようかと思い、止めた。 どの馬が勝つと思うか、なんて野暮な事は最早口にする時では無い。
年に一度のお祭りだ。自分と、自分の選んだ馬を信じるだけだ。
そう考えると胸の奥からじんわり熱の塊が上がって来た。 静かに込み上げてくる興奮に気分が高揚し訳も分からず顔が笑いの形に緩み始める。
「何笑ってんだ気色悪い・・・」
少し低い処からぼそりと呟かれ慌てて表情を隠す為天を仰ぐと冴え冴えとした昼の冬空にぽかりと月が浮かんでいた。
「アレ月だよな?」
「てめえが邪魔で見えねえよ」
空を見上げた侭尋ねるとそう答えが返って来た。
「あ、そう?」
慌てて傍らに視線を転じると、空を仰いでいる三蔵と視線が合った。
嘗て無い程至近距離で視線を合わせた三蔵が片目を眇める。 その不機嫌そうな表情からは三蔵が何を考えているのかは伺い知れない。
ただ一つ確かなのは眼の前の水晶のような紫色の瞳に俺の姿が映り込んでいる事だ。



ゲートが開くまで、後1分。

年中無休の続き。

2003.12.28有馬記念の日。
背景はパドック最終周回のシンボリクリスエス。実話だらけ・・・。
競馬の人達の出会いは97年12月なので丸6年経った訳ですね。焦れったい侭終わりました。 三蔵は一人で競馬通いするようになったのは17からで(競馬場デビューは9歳。朱泱に連れられて)悟浄と出会った時は20歳。 未成年の頃は気になるレース以外は買わなかったらしい。悟浄さんは競馬は19の時から。二人共居住は千葉です(笑)

100題