砂礫王国
旅に出る迄こんな風に一面砂しかない処があるなんて知らなかった。
そしてそんな礦野が夜になると一面真っ青になって、空に出た月は丸く大きく辺りを白く照らし出し、 足下の砂までもが白く見える事も知らなかった。
空に浮かぶ月の黄色はまるで三蔵の髪の色のようで見ているだけで嬉しくなった。
街にいる時は決して見られない程に大きく見える檸檬色の月は何処か懐かしく。
感じ取れない程度に微かに吹く風に、朝起きたら半身が砂に埋もれている事もあるなんて長安のあの寺にいたらきっと知らない侭だった。

月の無い夜は三蔵と八戒が星座の読み方を教えてくれた。


こんな危険な旅をしていると言うのにそれでも良いかと思えてしまうのは。







昼間はあれだけじりじりと暑いのに夜になると急激に気温が下がって寒い位だと言うのが未だ納得出来ない。 肌寒いとか薄ら寒いとかそういう可愛いレベルでは無く腹の底まで冷える寒さだ。 気温変化の原理と言うヤツを八戒に尋ねてみたらなんだかややこしい答えが返って来たのでそれ以来理由は考えないようにしている。
昼間頭から布を被っているのは砂が衣服に入り込まないようにする為と言うのもあるが、 表皮を晒すとそこから水分が蒸発していき脱水症状を起こすから膚を露出するなとの八戒の言葉に従っている為だ。
野営地から離れて砂漠に足を踏み出すとざりと音がして足が砂に沈んだ。 タイヤが度々砂に呑まれて進みにくい道無き道を男4人と荷物を載せて走行するジープの苦労はいかばかりだろう。 疲れたのか早々に丸くなって寝んでいた白竜の姿を思い出す。
明日には町に着くと八戒が言ってたな、思いながら空を降り仰ぐと皓々と丸い月が辺りを照らし出していた。
自分達の他に生き物の気配さえ無い静まり還った世界に降り注ぐ柔らかい溶けるような光。
死にも等しい静寂を支配する金色のそれ。







銜え煙草で野営地をふらりと離れて行った親友の背中を一瞥する。其程遠くに行かない限り心配はないだろう。
昼間煙草が切れて以来禁煙中の三蔵に明日のルートを確認する。 ルートと言ってもこんな砂漠では次の街を目指して進む他ないのだが。
水が残り少なくなっていると知って以来三蔵は水分摂取を控えているので早く次の街に着けると良いと思う。
遠回りをしてでも砂漠の奥深くに踏み入らないよう迂回しなくてはならない上タイヤが砂に沈んで低速でしか走行出来ない為仲々はかがゆかない。 方向を間違えて砂漠の内側へ入って行かないよう地図を睨みながらナビを続けている為三蔵は見た目より憔悴しているであろうが本人は何も言わない。
砂漠に自生する大きな仙人掌を図鑑で見た事がある。仙人掌の中には水分が溜まっているのだ。 そんな植物でも生えていたなら多少道行きも楽であろうに異国の砂漠に生えているものが何故此処、桃源郷の砂漠にはないのだろう。 そう三蔵に言ってみたら
「ここは『死の砂漠』と呼ばれているからな」
と皮肉気に口元を歪めて答えられた。







石くれと砂ばかりの世界を一日走行したが日が沈む迄に町には辿り着けなかった。 樹も植物も生えないこの地では適当な野営地を見付けるのも一苦労だ。 何故植物が生えていないのかと八戒が不思議そうに口にするのでここは死の砂漠だからと教えてやった。
「上に飛鳥無く、下に走獣無く、偏望極目、度る処を求めんと欲して、則ち擬する所を知るなし。ただ死人の枯骨を以て、 標識となすのみ・・・ここには植物さえ棲息出来ないと言う事だろう」
人智の及ばぬこの地へ不用意に脚を踏み入れた者を待つのは死ばかりだ。
そうかと思えば高名な仏典翻訳者の出身地だと言うオアシスのほとりの町にはポプラ並木の街道が続いているのだと聞く。 人の棲む処と棲めぬ処の落差はこんなにも激しい。
「それは・・・?」
「昔天竺へ渡った坊主の言葉だ」
実際は植物が一本も生えていない訳では無く地中深くに根を下ろし地下から水分を汲み上げ僅かな岩陰にへばりつくように自生している細長い草は稀に見掛けていた。 地下には水があるのだ。 この先訪れる町では地下水路を造り山脈から雪解け水を引いて来ているのだと言う。 莫大な時間と人出と金をかけて、それでも砂漠の中で人々が生き抜くために造られたカレーズ。
刻一刻と形を変え広がり続ける死の砂漠。 生にしがみついている人間達の住む町など恐らく100年200年も経てばこの砂漠のもたらす死に飲み込まれてしまうのだろう。

そこに人の生活していた証は残るのか否か。

葡萄の葉の続き。

心温まるお話にしようと思ってたのに三蔵様が話を暗く・・・。
『坊主の言葉』(畏れ多い)は「法顕伝」より。
「死の砂漠」はタクラマカン(塔克拉瑪干)の事ですが史実の玄奘三蔵は往路にタクラマカン通ってません。 法顕は敦煌−楼蘭−焉耆(高昌故城経由せず)と言うルートだったのですが玄奘は敦煌−伊吾−高昌−阿耆尼(旧焉耆)。 玄奘の頃はゴビとタクラマカンを横断する楼蘭ルートは旧街道になっていて、と言うか楼蘭その頃は無くなってるみたいです。

100題