片足
他の奴等が寝静まった頃を見計らってそっと野営地から離れる。少し離れた処にある小川迄歩いて行き昼間戦闘中に小石を踏んで体勢を崩した際捻ったらしい足首を水に浸す。
ちゃぷんと小さな音を立てて流れに足を入れてみれば冷たさが心地良かった。
歩く時足を引きずってしまいそうな程の痛みにこれが捻挫と言うものなのかも知れないと思っていたが、 横になっても足が疼く処を見ると矢張りそうなのだろう。 今迄一度も捻挫などした事も無かったのに一体どういう訳か。 見た処腫れてもいないのに痛みだけは確実に身を焼く。
成程確かにこれは不便だ。
ただ川岸に座っていても暇なので懐から煙草を取り出し火を点ける。 水に浸していない方の足を片膝立ててその膝に肘をついて煙草を持つ。 ゆっくり煙を吐き出しながら数日前師匠から届いたビデオを思い出す。
寺にいた衆僧をほぼ網羅した映像。 「僧徒とは名ばかりの連中」と言い表す事はあったにしても師匠の撮った画面からは昏い感情は一切感じ取れる事は無く。
幼かった自分はそんな高みから彼等を慈しむ事は出来ず師匠を「お稚児趣味」 と穢すように言いそやした連中ととっ組み合いになる事は暫しあったがそういった連中でさえ、 着衣で隠れる処だけを狙って殴り付けるような陰湿なやり方をする事はなく、 真正面から向き合って殴り合った。 そのせいですぐ喧嘩をした事がバレて罰として食事を抜かれたり掃除の持ち分を増やされたりしたものだが、 今にして思えば一般の世界から切り離され純粋培養された連中の何と素直だった事か。
自分が寺を降りた夜妖怪に襲撃されて今も生き残っている者はどれだけ居るのか。 恐らくビデオに映っていた者の大半は既に亡いのだろう。 だからと言ってもっと親しくしておけば良かったとかもう一度逢いたい等とは間違っても思わないが。
小さく溜息を吐いて流れを掻き混ぜるように戯れに足を動かしてみると、 さわさわと静やかな水の流れる音に跳ね上がった飛沫の立てるぴちゃん、と高い音が混じった。
「何やってんの」
ぼんやり夜空を見上げていると突然後ろから話し掛けられた。声の主は言うだけ言って返事を待たず煙草に火を灯す。
「涼んでいるだけだ」
振り向かず答えた。そう言ってもおかしくない程度には今夜は蒸し暑い。
「片足だけ?」
「俺の勝手だ」
ふーん、と呟く声が聞こえたかと思うと悟浄はやにわにブーツを脱ぎ出して隣に腰を下ろし自分と同じように川の流れに足を浸した。
「スズシーv」
そう言ってはしゃいだように足をばしゃばしゃさせたものだから水が撥ね上がった。
「俺まで濡れるだろうが!離れろ!」
怒鳴り付けられ立ち上がってざぶざぶと水の中に入り振り返ったその顔を見るとわざとだった事が知れた。
「たまには泳ぎてえなあ」
「こんな浅い処で泳げるか」
「いやここじゃなくてさ、どっか行った時」
「フン。河童は何処へなりと行って溺れて来い」
先程のお返しとばかりに流れに浸した方の足で水を跳ね上げる。
「可愛くねえなあ」
「可愛くてどうす・・・ッ」
「ごちそうサマ」
掠めるように触れた唇をにやりと歪めて悟浄が笑う。
「油断も隙もねえエロ河童だな」
言い様思い切り足を払うと悟浄は体勢を崩し背中から水中に倒れて行き先程とは比にならない程盛大な水柱が上がった。
「ぶはっ!」
溺れる筈も無い程の浅い川で全身ずぶ濡れになった悟浄が水面から顔を出した。
「あーもー・・・何すんだよ」
ざぶりと音を立てて水面から立ち上がり顔に張り付く髪を掻き上げびしょびしょじゃねえの、と文句を言う。
「うるせえ」
こっちだって撥ねた水を頭から被り頭髪からぽたぽたと水が零れ落ちているのだ。
「あんたもそんだけ濡れちゃったんだから水に入ったら?」
言いながら誘うように悟浄が手を伸ばして来る。 それから、額に張り付く髪と流れ落ちる水滴を長い指ですいと払い指先に滴る水を口に含んだ。 砂糖水でも舐めるかのように舌先を小さく覗かせて滴を口に運ぶその動作から眼が離せなくてじっと見ていたら視線に気が付いたように上目遣いでこちらを見てに、と笑った。
「ほら」
再度手を伸ばして今度は髪では無く腕に触れその侭力を込めて引っ掴んで水に引き入れようとする。
「・・・っ」
反射的に反対側に重心を移し悟浄の腕の力に抗う。
「どしたの」
ぽかんとした表情で然し諦める事無く悟浄は尚も腕を引いてくる。
「うるせえ、止めろ」
掴まれた腕を振り解こうと身を捻って逃げようとすると少しだけ込められた力が緩んだ。
「もしかして泳げない?」
「・・・泳いだ事はねえよ」
尋ねて来るのに渋々答えると漸く腕を解放された。
「でもあんた長江沿いで育ったんじゃなかったっけ?」
「ワニがいるだろーが!んなとこで泳げるか!」
そんな事も知らないのかてめえは、と続けて言ったが分かったような分からないような顔をされただけだった。
「あ、そーなの?」
「・・・・・・おい」
再度袖を引かれるのに抗議の声を上げる。
「ここはワニいないし」
覆い被さるように悟浄の顔が近付いて来ると赤い髪から水がぱたぱた滴り落ちた。
「その代わりエロ河童がいるみてえだな」
ひたりと冷たい髪が頬に触れて来るのに合わせて眼を閉じた。 頬に伝い落ちる水滴と互いに口を噤んだ為訪れた沈黙に再度はっきり聞こえるようになった清流の音。
ああ、そうか。
急に昔の事を思い出したのはこの水音の所為だったのかと。
雄大で長大なあの河はこんなに優しく流れてはいなかったけれど。
悟浄の髪から伝い落ちる滴が瞼の横を流れるので一瞬自分が泣いているのかと思い慌てて顔に手をやってみたが流れ落ちたものはただの水だった。
「どした?」
頬を包み込むようにそっと手を触れ悟浄が顔を覗き込んで来る。
「何でもねえよ」
その優しく細められた瞳に見られたくなかったので未だ水滴の伝い落ちる紅色の髪に指を絡めてぐいと乱暴に引き寄せ、 噛み付くように口付けた。