鬼ごっこ
「あんたら鬼だ」血を吐くような叫び。襤褸を身に纏った姿はロクに日も差さない洞窟の入り口に立ち塞がるように。
「鬼は貴様等の方だろう」
醜く口元を歪めるその姿は中央官吏の衣。
男の後ろには武器を携えた役人達。
何故俺にそんなモノを見せる。
「玄奘殿にお願いしたい儀がございます」
その日厄介になった古寺で例の如くお願い事とやらを言い出された。
義眼の調子があまり良くないらしい八戒を休ませる為に「もう少しで次の街ですから」 と言うヤツの台詞を無視して無理矢理叩いた街道途中の門扉。
由緒ありそうなとか趣があってとか言えない事も無いが要するに古いだけのボロ寺。 それなりに信仰の対象にはなっているようで数は多く無いが途切れる事なく訪れる参拝者の供える線香の香りが此処、 住持と相対峙している伽藍にまで届いて来る。 つまりこの寺がぼろいのは放置されているが故では無く金と人出が足りないが為だろう。
そしてそんな寺に頼まれもしないのにのこのこやって来た坊主。 爺いどもにとっては普段手の回らない面倒事を押し付ける格好の相手と言う訳だ。
どいつもこいつも人を便利屋扱いしやがって。
「鬼の霊を鎮めて頂きたいのです」
仏法僧の仕事だと思っている者も多いが悪霊祓いは僧侶の仕事では無い。寧ろ真似事だけでも祓いをする事は忌避されている。 そんな事幾ら辺境の地であっても伝えられているだろう、それともここは教えが違って伝わった異端の宗派なのだろうか、 そう思い首を傾げた俺に住持が言葉を次いだ。
「祓うのではなく霊を慰め鎮めて頂くだけで充分でございます」
その程度の事ならそれこそ俺でなくとも寺の者が行えば充分に足りるのでは無いか─── それだけの法力を持つ者が此の寺に居ればの話だが。 目の前の住持職と副住職、そして数名居るばかりの衆僧で切り盛りしているであろう此の古寺に法力僧がいるとはとても思えなかった。 黙り込んだ事を承諾と受け取ったらしく安堵の表情を浮かべて住持が説明する。
其れは古からの霊であると。古霊には時が経つにつれ力を失うものと力を増すものの二通りある。 今乞い願っているのは後者であるのだと。
謂われは良く分からないが古くからこの地方には鬼が棲んでいたのだそうだ。 遙かな昔悪行が祟り討伐された鬼の霊は成仏せず未だこの地を彷徨っている。 其れは人民に悪意を為す訳でも無くただ其処に「在る」のみでありそれだけのモノをわざわざ祓う必要も無い。 だが住民からは鬼の姿を畏れる声が寺に伝えられている。だから鎮めて頂きたい、そう言う話だ。
害が無いのなら常ならば「知るか」と言って放り出す所だ。
だがどうにも八戒の具合が良くない・・・熱がある。きっと随分前から躰は不調を訴えていたのだろう。床に着いて気が緩んだらしい。 我慢強いと言ったって限度があるだろうがこの莫迦が。
「へー鬼退治かあ」
話を聞いて悟空はわくわく、と擬音が聞こえそうな位嬉しそうな顔をした。 他人事だと思って喜んでんじゃねえよこのサルが。
「・・・済みません三蔵」
床に伏した自分のせいで厄介事を押し付けられたと察した八戒が謝る。 額には湿らせた布が載っており布団の上では飼い主を案じるジープがキュウキュウ鳴いている。
「全くだ。終わらせたら出発するからとっとと治せ」
「・・・ハイ」
「気にすんなよ八戒。三蔵サマったら庶民からのお布施で生活してるんだからたまには役に立ってもらわなくちゃね?」
「一遍死ぬか?」
ムカつく河童の額に銃を突き付けると河童は大袈裟な仕草で両手を上に上げた。
ジャキッ
異常無し。掌の中で愛銃の手応えを確認して部屋を出て行くべく踵を返した。
「三蔵何処行くんだ?」
「俺の話を聞いて無かったのか」
「俺も行くっ」
「来るな」
慌てて椅子から立ち上がる悟空を制する。
「だって危ねーだろっ」
「今回の話は残留思念か死霊の仕業だ。お前が来ても無駄だ」
「でもっ、もしかして途中で刺客に遭うかも知れねーし!」
絶対引かないと目で訴えて来る悟空・・・こんな時は何を言っても聞かない事は分かっている。 置いていっても間違い無く黙って付いて来る事も知っている。
「・・・行くぞサル」
「うんっ!」
溜息と共に誘いの言葉を掛けてやると悟空が目を輝かせて大きな声で返事した。
「なあ、鬼って本当に居たんだな」
「んな訳ねえだろ」
飼主がへばっていてジープは使えない為鬼霊が出ると示された辺りへは徒歩で赴く他無い。 街外れの、街道からも外れた区域。
なだらかではあるが延々と続くゴツゴツとした岩肌が覗く登り道。多少整備されてはいるがつまり山道だ。 こんな処迄わざわざ脚を伸ばすヤツがいるとは思えないが地元の人間ならば利用する事もあるのだろうと自分に言い聞かせる。
「でも鬼の霊なんだろ?」
「鬼と言うのはあくまで言葉上のものだ」
・・・恐らくは異形か外道、そんな処だろう。中央官吏の支配を拒んだ者、 そして集落の住民は「異形」の名を授けられ屠られる事がままある。 或いは仏教以外の宗教を信仰している者は「外道」として異端視される。 討伐されて然るべき者として扱う為に与えられる便利な名称。 誅されたと一言のみ史書に記されそれ以上記述される事も無く歴史から永遠に抹殺される。 大概は殺された後きちんと埋葬される事も無く遺骸が朽ちる侭に放置される。 風葬と言えば聞こえは良いが化けて出たくもなるだろう。
と、其処まで考えた時辺りの気配に気が付いた。
「三蔵?」
「・・・しっ」
空気がざわめく。湿った匂いが風に混じり四肢に絡み付く。充満する気配はこの世のモノでは無い。
・・・オオ・・・・・・オオオ・・・
切れ切れに聞こえる声のようなもの。
怨嗟か。慟哭か。
人の声とも獣の声ともつかぬ其れ。
何処だ・・・
声の出所を探しに脚を踏み出そうとした途端声はかき消えた。
「三蔵今の・・・」
「聞こえたか」
「俺には何も聞こえなかったけど・・・変なカンジだった」
気配に敏感な悟空でさえ何も聞こえず気配だけが感じ取れる程度と言う事は住民には気配すら感じ取れないのでは、 つまり苦情が出る事も無いのではないか。訝しみながら視界を巡らした。
ちり、と何かの気配を感じ視線を転じる。
離れた処に空気が凝って人型をしているのが見えた。
「悟空」
「何だ?」
人型の方を見るよう目線で促してみたが悟空には見えないらしい。
人の形をしたモノが林の奥に姿を消す。
「行くぞ」
其れの後を追って道を外れ生い繁る木々の中に脚を進める。 鬱蒼と言った程では無いが永い間人が踏み入ってはいないらしい雑木林の中を精神を集中させて歩く。
元来た街道が見えなくなる迄進んだ辺りで視界がぼやけた。
靄のようなものが出て木々がうっすらとしか見えなくなる。 霞がかって視界が利かないと言うだけでなく濃密な空気が周囲を渦巻いているのが分かる。
濃霧の中に人の姿のような影がまばらに見えた。 子供の大きさ程度のものも混じっているが目を凝らしてみてもどれ一つとして実体のようなハッキリした姿は見えて来ない。 これが寺の連中の話していた「鬼」である事は間違いないのに何故これらが「鬼」であるのかが視えない。
突如、緩慢に動いていたその中の一つ、子供の大きさのものがこちらに走る速度で近付いて来た。
悪意は感じなかったが印を結び小さく真言を唱えると影は俺の横を通り過ぎ走り去って行った。
霧が晴れる。
視界が戻るとまだ先程の林の中にいた。影が消えて行った方へ脚を向けると悟空は黙って付き従って来た。
奴等は俺を誘っている。
元来た方向を見失わないよう太陽の位置を確認して先に進む。最初影のようであった姿は徐々に人としての輪郭を為して来て、 ちらちらと木々の間から顔を覗かせてはより奥へと誘う。
戯れのように呼び寄せては消え消えてはまた現れる。
何処迄自分に追い掛けさせるつもりなのか。遭難するつもりはサラサラ無いが度々視界を遮られ方向感覚がかなり怪しくなってきている。 相変わらず悪意は感じないが鬼霊達の意図が読めない侭奴らの掌の上で行きつ戻りつ踊らされている事に苛々する。
こんな林の中を霊達の気紛れに付き合って延々追い掛けっこを続ける程俺は呑気では無い。 そろそろ打開策を、そう思っていると幾度目かの霧が周囲の景色を呑み込んだ。
「・・・?」
真っ白い世界の中目を凝らすと遂に影は形を為して姿を現した。
濃霧が晴れ穏形のようであった影が突然克明に現れその表情までもが鮮明に映し出される。
「・・・・・・っ」
先程迄の誘う仕草とは裏腹に自分達など見えていないかのように生きていた頃と同じに振る舞う鬼霊達の姿。 息を呑んだのは人間と変わらぬその姿形の為では無い。
「鬼」は金髪であった。
その髪は薄い白金色の者も居れば橙に近い濃い色の者も居るし自分と似たような明るい黄色の者も居た。
そして、その膚。目の前の鬼達は自分のそれと同じように色素の薄い膚をしていた。
「そういう事かよ・・・」
「三蔵?」
問い掛けてくる悟空の声に、こいつに視えなくて良かったなと思う。悟空に何故彼等が「鬼」とされたのか説明するのは面倒だった。
恐らくは桃源郷の外の世界から紛れ込んで来た一族。 彼等がどういう経緯で桃源郷に辿り着いたのかは分からない。旅をしていたのか或いは元居た国で迫害を受け居られなくなったのか。 桃源郷の住民は瞳の色こそ様々ではあるが基本的に頭髪の色は黒か茶だ。 妖怪であればこそ多様な色彩の髪を持つが人間の髪は何故か色素が限られている。 今でこそ自分の金髪も「珍しい色」程度で済むが古代であったなら異相は「異形」として人々の目に映ったであろう。 人目に付く事を畏れて逃れ棲んだのか彼等を畏れた住民に追い遣られたのかこんな辺境の山中に棲む異形を、それでも人々は畏れた。
何の力も持たないただの人間を姿形が自分達と違うと言う理由で。
妖怪との共存は出来ても異形との共存は出来ねえ、って事か。
山奥で一体どのように衣類を調達していたのか。 清潔とは言い難い襤褸布を継ぎ接ぎした衣服を身に纏いそれでも目の前の姿は笑顔など浮かべて口々に何かを言い合っていた。 言葉までは聞こえないが子供達が笑いの形に大きく口を開けているのを見れば発されているのが歓声であろう事は分かる。
ざわりと空気がどよめく。
怒声と剣戟の音が風に乗って届く。悲鳴。
目の前の霊───幻影が一斉に駆けつ転びつしつつ逃げ去って行く。
再び視界が濃い霧で閉ざされた。
金属がぶつかり合う音が聞こえる。霧の中浮かび上がる姿は先程迄のように鬼だけのものでは無い。 簡易ながらも鎧を纏った古代人の姿が浮かび上がり先刻の音は刀が鎧に当たる音だったと合点が行く。
官吏と相対峙するように立っているのは金髪の鬼の姿。 背後に庇うように立っている洞窟からは物音は聞こえて来ないが息を潜めて外の様子を伺っている気配が察せられる。
「人心の擾乱を煽ったかどにより貴様らを討伐する」
「何故だ。俺達は何もしていない」
何もしていないと言うのは詭弁だろう。こんな山の中を集落が出来る程度の人数で棲んでいるのだ。綺麗事だけでは済まなかったろう。 或いは其れを良い事に総てを「鬼」の仕業にする輩が多発したか。
「朝廷の命だ」
「朝廷から遠く離れて人里からも離れ住んでいる。無辜の市民を煽ってなどおらん」
「貴様らが現れてから凶事ばかりが起こるではないか。先の旱魃も大火も先帝の崩御も」
「それは、俺達のせいではない」
「知った事か。貴様ら異形などこの桃源郷に生かしておく訳にはいかん」
鷹揚に笑みを浮かべる黒髪の男は背後に付き従う役人達と服装を異にしている為一段位が高い事が知れる。
「・・・女子供もいるんだ」
「そうだな。金髪は珍しいからガキは長安に連れて行けば見せ物小屋にでも買い取って貰えるかも知れんな」
それとも、と官吏は付け加える。
「我々とどう違うかその体を医者に切り刻んで調べて貰うか」
にやにやと厭な形に口を歪め嗤うその表情が不快だ。
「巫山戯るな。俺達はあんたらと同じ人間だ」
ぎりと噛み締めた唇の合間から絞り出すように吐き出される言葉。
「戯言だよ戯言・・・」
くつくつと面白そうに嗤い芝居がかった仕草で肩を竦め───男は続けて言った。
「お前らは一人残さず殺すよう言われている」
「あんたら鬼だ」
「鬼は貴様等の方だろう」
一層卑しい形に口元を歪めるのと同時に刀が振りかぶられ丸腰の金髪の男は声を上げる間も無く斬り降ろされた。 返り血に刀を手にした男が不快げに眉根を顰める。
「・・・フン。血は赤いか」
それきり倒れ伏した鬼に目もくれず刀に付いた血を振り払い歩を進める。
洞窟の中から甲高い悲鳴が沸き起こる。
泣き喚く声。
刃物が肉を切り裂く厭な音。
噎せ返るような血の匂い。
一連の出来事が紙芝居のように目の前に繰り広げられる。
ごうごうと。
途切れ途切れに聞こえてくるものは号哭。
流れ出した大量の血は足下を染めて────
「・・・さんぞう、三蔵っ!」
袖を引かれる気配と悟空の声で我に返った。何時の間にか林を抜け先程幻で視た洞窟に辿り着いていた。 歩いた記憶は無かったが幻影には暗示を掛ける効果があったらしい───対術者限定のようではあるが。
幻から抜け出て小さく息を吐く。
フンフンと鼻を鳴らして悟空が辺りの空気を嗅いでいる。
「───分かるか」
「・・・何かあの洞窟ヤな感じがする」
「此処が鬼の霊の出処だ」
その洞窟は入り口はさして広くないが内部は随分と広かった。埃を被った人骨が土に埋もれるように散り散りに転がっている。 幻で感じた血の匂いは既に無くなっていたがひんやりした黴臭い空気の中に生臭い匂いが混じっているのを感じた。
幻で視た惨劇が何時の時代の事かは分からないが数百年は昔の出来事だ。こんな後世にまで残る匂い────?
おかしい、と思った瞬間には答えが導き出されていた。
「それで一体どうした訳よ」
何とか体調を持ち直した八戒の運転するジープの後部座席から赤河童が尋ねて来る。
「魔戒天浄で洞窟の入口を潰した」
「・・・便利な使い方も出来ンのね」
鬼の霊の伝説があった為地元の住民はあの洞窟には近付かなかった。 それを良い事に盗賊団か夜盗か知らないがあの洞窟に死骸を遺棄している集団が在ったのだ。恐らくは自分達が殺した人間を。
洞窟への入口となる雑木林には人の踏み入った形跡───折れた枝だの踏みしだかれた下草だのそういったモノは見当たらなかったが洞窟の前だけは妙に廃れる事も無い様子だった事がまず気になった。 探せば彼奴等の利用している洞窟へと続く道筋が見付かる事だろう。
そして洞窟内部の匂い。洞窟内の遺体は全て骨と化していたが、 それでも隠せないここ最近何かの生き物が腐乱したであろうと思われる匂い。
犯罪に利用されていると知った時点で普通であれば役人達が対処する筈だが、 こんな辺境では官吏の力など大した事は無いし人出も足りない。 寧ろ人々は寺院に本来官吏が負うべき役割を期待する。 だが人民から話を持ち込まれた当の寺院にも人出は無く、 頼みの綱の僧侶は爺いばかりとあって当の死体遺棄の犯人共と出会したりしたら危険だ、 程度の判断で放置されていたのだろう。 そもそも鬼の伝説の真偽を一度でも疑った事があるのかすら怪しい位だが。
万が一あの洞窟を利用していた奴らが洞窟を掘り起こす気になったとしても魔戒天浄で浄化した為内部には以前と違い白骨は全て無くなっている。 そんな状態を目の当たりにしたら住民か、最悪の場合官吏の目に触れ何らかの処置が講じられたと考えるのが自然だ。 それでも役人の管轄下に置かれているかも知れない其処を以前と同じく便利な死体棄て場として再び利用するかどうかまでは俺の知った事では無い。
術者にしか姿を見せる事の出来ない───つまりそれだけ力が弱っていたか、 元々異形でも何でも無い身にそんな力が無かったかのどちらかだが、 あの霊達は眠りを妨げ墓場を辱める夜盗団を追い払う事も出来ず自分達の姿が見える者をひたすら待ち続けていたのだろう。
だがそれだけの理由であったら最後のあの幻影を見せる必要は無い筈だ。 本当は彼等はあれを見せたかっただけなのかも知れない。
ただ自分達に訪れた不本意な、理不尽な死、それだけを。
克明に記憶に刻み何時か誰かに見せるその為にあそこに留まっていたのではないか。
「あーあ、結局鬼ってどんな姿だったのかな」
「だからお前が付いて来ても無駄だと言ったろう」
「やっぱり虎のパンツ穿いてたのか?」
後部座席から身を乗り出してくるバカ猿の瞳が期待に輝いている。
「・・・ンな訳あるかっ!」
握り締めた手にはハリセン。悟空の頭の上に叩き落とすといつものように威勢の良い音がした。
もう異形の気配はしない。
悟空にも誰にも鬼の容姿を明かす事は一生無い。