ガードレール
──あ、また。
気が付くと悟浄の視線が三蔵を追っている。
何時からだったろう。
旅に出る前。
違う。
旅に出てから。
じゃあ何時から?
悟浄は以前からあんな眼で三蔵を見ていただろうか。
それとも自分が意識し過ぎて悟浄が三蔵を見ていると思い込んでいるだけだろうか。
妙に気になって慣れたジープの運転だと言うのにハンドル捌きがおぼつかない。 ガードレールも無いこんな山道の事だ、うっかりしていると転落してしまいそうな気がする。
・・・違う、それだけでは無く・・・何だか右目が・・・。
「──止めろ」
ガタガタと決して揺れ心地が良いとは言い難い路を走行中突然三蔵が言った。
「どうかしましたか三蔵?」
言われた通りジープを停める。地図を見て寺社の印を見付けた時は何も言わなかったがこの寺に用でもあるのだろうか。
「今日はここに泊まるぞ」
まだ日も高い時間だと言うのに宣言する三蔵に具合でも悪いのだろうか、 そう思い横顔を伺おうとすると三蔵はさっさと座席から降りてしまった。
「さんぞー?」
「どしたの」
「待って下さい。もう少しで次の街に着きますよ」
「次の街まで保つのかよてめえが」
不審そうな悟空達に続いて声を掛けると形の良い眉を不機嫌そうに顰めて三蔵がまっすぐこちらを見据えた。
「・・・バレてました?」
「フン」
言い捨て当初の予定では通り過ぎるつもりだった古寺の門扉を三蔵はがんがん叩き始めた。
寺院の冷えた空気が肌寒い────と意識したら一気に寒気が襲って来た。
用意された僧伽藍の一室で「とっとと横になれ」と言う三蔵の言葉に押し切られて一人もそもそと床に入る。
そう言えば朝から痛覚もない筈の造り物の右目が微かに痛んでいた。 視神経の不調は無事な左目や脳やその他諸々の器官にも過度な負担をかけるらしい。 それとも体調の不良が視神経に負担を強いているのか。
気が緩んだ所為だろう、寺院に脚を踏み入れてから痛みが酷くなってきた右目、正確には右目の周りの神経や筋肉を 「釘を打ち込まれているような異常な感覚」と他人事のように表現する言葉を頭の中で探し目を閉じ嘔吐感を堪える。 自ら右目を抉り出した時の灼けるような感覚とは全く違う種類の不快感。
ひやりとした心地良い感触に眼を開ければ他人との接触を嫌う筈の三蔵が額に手を置いて熱を確かめていた。
「熱があるな────悟空」
「うん」
名前を呼ばれただけなのに悟空は廊下の方へと出て行った。
何も言わなくてもあの二人には通じるんだな、そう思ってぼんやり天井を眺めていると悟空が濡れタオルを手に戻って来た。
「・・・済みません」
「いいから寝てろ」
「・・・はい」
返事をすると一人だけ別室を与えられていた三蔵は部屋から出て行った。
また、だ。
眼を閉じていても分かる。悟浄が三蔵の背中を眼で追う姿。
「さってと・・・俺らがいちゃ寝づらいでしょ?」
悟浄はこちらに視線を戻してから立ち上がった。
「ジープ、八戒のコト頼むな」
「キュー」
ジープの返事を聞いて悟浄が悟空を促して一緒に部屋を出て行く。
「キュウ・・・」
戸が閉められると小さく啼いてジープが布団の上に丸くなったので腹部に微かな重みと温もりを感じた。
自分にはジープの考えている事が大体分かるつもりだし、 ジープも人ならぬ身でありながら人語を解し自分の言う事を分かってくれる。
然し三蔵は。
悟空とはあんな風に声も出さずに意志疎通していると言うのに悟浄のあんな瞳に見つめられても全く、さっぱり、 これっぽっちもその意味を理解していないようだ。
あんなに雄弁な惑う瞳に気が付かないとは鈍過ぎです、三蔵。
そして無色透明ながらも超合金の如き頑強な三蔵のバリアに為す術も無く視線を跳ね返されるに任せているヘタレな悟浄。
面白過ぎます、あなた達。
悟浄と悟空は何処へ行くつもりなのか。境内でもぶらつくつもりか、それとも三蔵の部屋か。 悟浄がどうするか見てみたかったがこの体では仕方あるまい。
眼を閉じると思ったよりあっさり眠りが訪れた。
「・・・・・・」
目を開けると室内は真っ暗闇で、眠っている間に夜が訪れたのだと知れた。
右目の痛みは鈍痛程度に収まってきている。
そうっと両目をしばたき布団から身を起こそうとした処で部屋の戸口が開かれた。
「起きてたか」
手にした膳には食器が載せられており悟浄が夕餉を運んで来てくれた事が分かった。
「食えるか?」
「はい。有難うございます」
悟浄が枕元に膳を置きひょいと手を伸ばして来た。
「まだ熱いな」
「そうですか?」
額に手を当ててみる。・・・確かに熱があるようだ。明日迄に下がらないと困りますね、と考えると悟浄が察したように口を開いた。
「ま、ゆっくり安めって」
言って、煙草を取り出して、気が付いたように手を止めた。
「病人相手に三蔵様も無理言わないっしょ」
「・・・・・・」
それは多分そうだろう。三蔵は自分には厳しいクセに他人には案外優しいから。
具合の悪い自分を気遣って煙草を吸うのを止めた悟浄にしてもそうだ。
「おっと、冷めないうちに食えよ」
「そうですね。いただきます」
梅干し入りの粥に添えられた青梗菜の炒め物と伽羅蕗と紅豆腐。 病人食なのか精進料理なのか判別し難かったが寝込んでいた身には有り難い。
食事をしている間悟浄は部屋にいて色々話しかけて来た。 悟浄は一人で食事をするのがあまり好きではないらしく、恐らく自分に気を遣っているつもりでここに残っているのだろう。 自分は一人で食事をするのは苦にならないが悟浄の親切は有難く受け取って相槌を打ちながら箸を口元に運んだ。
「ごちそうさま」
残さず綺麗に食べ終わると悟浄がに、と笑った。
三蔵の姿を追う時に見せる表情とは全然違う、いつもの表情で。
膳を持って立ち上がる悟浄がこれから三蔵達のいる処に戻るんだなあ、と思ったらうっかり
「頑張ってくださいね」
と言ってしまいそうになり慌てて口を噤んだ。