紫暗




敵の襲撃に遭い泳ぎたくもなかった河の中に叩き落とされる事2回。
生乾きの侭ジープに乗り込めば決して体調の良くなさそうだった三蔵はそれでも 「次の町まで3日かかる」と言われたのに「この侭進め」と答えた。 そんな無茶して躯が保つ訳ないと、そんな事がどうして分からないんだ。アホだなアンタ。
「へくしっ!」
盛大にくしゃみをしてからハナを啜るのに隣から少し潤んだ紫色の瞳がイヤそうに睨み付けて来る。 三蔵は昨日からいつもの助手席じゃなく後部座席に定位置を移動させられている。 ウィルス保菌者が前に座って健康な悟空にも風邪を伝染して戦闘力を欠く事になるのも困るし、 それに僕にだって伝染るじゃないですかと当然のように言われたのに反撃するだけの材料を三蔵は持ち合わせていなかった。 それとも足りなかったのは反撃する気力かも知れない。 ともかくそんな訳で現在ジープの後部座席は風邪っぴきコンビが占めている。
夜だって本当は睡眠を充分に取って体力を取り戻さないといけないのにこんな野宿だと毛布を引っ被った位じゃ身体が暖まらないからだろう、 三蔵は実はロクに寝てもいない。そうでなくとも元々野宿の時は辺りに気を配って物音一つでもしようものなら直ぐ様飛び起きる位浅くしか眠らないヤツなのに。 この上雨にでも降られようもんなら目も当てられなかったろうが幸いな事に今は雨期では無かった。
体調を崩す事即ち足手まといになると言う事だけは理解している三蔵は、 昼日中だと言うのに差し出された毛布を拒否する事無く身体にしっかり巻き付けている。 夜眠れていない分をこうしてジープに乗っている時にうつらうつらしながら取り戻すつもりなのだろうがその試みは大して上手くいっていないらしい。 いつもと違う席と言う事ではしゃいでも良さそうなもんだが悟空は八戒に話し掛ける事もなくじっと座っている。







ジープを急がせた八戒のおかげで予定より半日程早く町に辿り着けた。
さして大きい町では無く宿も一つしか無かったが上手い事個室が4つ取れて各々に部屋の鍵を渡して夕飯までは自由行動と言う事になった。 俺もまだ風邪が抜け切っていなかったが取り敢えず久々の風呂に入った後は買い出しに出掛けるという八戒に付き合った。 自由行動と人に言いながら自分は仲間の為にてきぱきと働く八戒にはいつも感心する。 三蔵の具合が悪くても小猿ちゃんの元気が無くなる程度で何も困る事は無いが、これがもし体調を崩しているのが八戒だったら大変な事になったろう。
買い出しから戻った後部屋でダラダラ過ごし、夕飯時になったので三蔵を呼びに行けばどうなる事かと思ったが三蔵は部屋から出て来た。 メシが食えるならもう良くなる頃合いだろうと安心したが久々の宿でどうやら三蔵も風呂に入ったらしく、 俺の横を擦り抜ける時ふわと清潔な石鹸の匂いが漂った。
風呂と言うのは実際の所結構な体力を喰う。 三日前に服を着た侭思いっきりしたくもねえ水浴びをしたきりだったから風呂に入りたいのは分かるし仕方無い事だとは思うが風邪がぶり返さなきゃ良いんだけど、 そう思ったのは思い過ごしではなかったようで、 夜中になる頃隣の部屋から薄い壁越しに三蔵が咳き込んでいるのが聞こえた。
こりゃ暫く此処に逗留する事になりそうだな、そう思った時だった。

ガシャーン!

隣の部屋から夜の静寂に響く窓硝子を破る無粋な音が響いた。
前回の襲撃に遭ったポイントから真っ直ぐ進めばこの町に留まるしかない事は少し考えれば分かる事だ。 恐らく待ち伏せされていたのだろう。
銃声と、いち早く廊下を走り駆け付ける悟空の足音。 どうやら三蔵の部屋にだけ刺客が向かっているようでこっちには敵が来る気配が無い。 狭い室内に刺客が殺到し、その上大の男4人が集まったら俺の武器である錫杖は振るえない、そう判断して窓を開けて庭に飛び降りた。 八戒の気孔で元々破られていた窓から敵の身体が吹っ飛んで庭に放り出されて来る。 錫杖を振り回す間に聞こえて来る銃声と威勢の良い悟空の「おりゃあっ!」と言う声。 敵の数はそう多くはないようだし長くは掛からないだろうとの目測通り、ものの5分と掛からずに全ての敵は片付いた。
「悟浄!そっちはどうですか」
二階の嘗ては窓枠だった場所から八戒が身を乗り出して尋ねて来る。
「おお、こっちも終わりだ。つーかそんなトコにいると危ねーぞ」
終わった、との俺の声に応えるように今まで灯りの消えていた他の部屋や廊下がぽつぽつと明るくなり始める。 窓を開ける事も無く、然し窓に張り付いて庭を見下ろして来る視線を感じ顔を上げれば驚いたのか怯えたのか、 すぐ様その姿は室内に引っ込む。 細切れになった妖怪の死体の山の真ん中に立つ姿なんてタダの怖い物見たさで見るようなもんじゃねえのによ、 と思いながらジャケットから煙草を取り出す。煙を一息吸い込んでから三蔵の部屋に戻る事にした。

案の定部屋の前は人だかりが出来ていたが、皆妖怪の死体の転がった室内に入りたくはないのだろう、 集まった宿の人間だか客だかは皆怖々と廊下に立っていた。 わざと足音を立てて歩けばぎょっとしたように寝間着姿の数人が振り返り慌てたように道を空けた。 先程の襲撃で電球は割られてしまっていたようで、室内は暗い。 廊下から流れ出して来る灯りだけが室内を照らし出している。
「・・・もしまた妖怪が襲って来たら・・・」
「・・・体調を崩している者もいますのでせめて朝まで・・・」
「言い逃れだ。具合の悪いヤツがこんな風に妖怪を殺せる筈がない」
八戒の言葉が終わる前に被さるように野太い声が横から掛けられる。 具合が悪かろうと何だろうと襲われた時に寝たきりだったらこっちは死んでるっつうの、 呆れはしたがそれは言葉にはせず
「ちょっとソコどいて」
とだけ言った。ヒゲの濃いオヤジが飛び退くように道を譲るのに視線を合わせる事もなく室内に足を踏み入れる。 妖怪の死体の転がる部屋の中、壁に飛び散った血の色が薄明かりの下では夜目の利かない人間達にはハッキリ見えないであろう事は幸いだった。 昼間だったらこの凄惨な状況を目の当たりにしてひっくり返るヤツの一人や二人は居たに違いない。
「・・・とにかく、金は要らないから今すぐ出てってくれ」
血臭の立ちこめる部屋に入り話をしているのは記帳した時は愛想の良い笑顔を見せた小太りのこの宿の親父だ。 本当だったらこの人だってこんな部屋になんか踏み込みたくはないだろうに立場上イヤイヤ交渉をしているのだろう。 話の内容はともかく気の毒に思う。
「ですが」
「分かった」
言い募ろうとする八戒の言葉を遮ったのは低く良く通る声だった。
「三蔵」
困ったように八戒が眉を顰める。 薄暗がりの中、宿の者が『体調が悪い者がいるなんて嘘だ』と言ったのも頷ける程、 毅然と立つ三蔵の姿が見えた。





荷物を纏めて階段を下りれば先程まではいなかった町の住人達が宿を囲むようにしていた。 あくまでも遠巻きに眺めているだけなのだがこちらが一つ行動を間違えれば住民を刺激しかねない危うい状態。 今迄にもこんな事は何度かあった。意外なのがこんな時悟空が文句の一つも言わない事だ。 関係の無い者を巻き添えにしたくないと、 言葉にして三蔵が悟空に言い聞かせている所を一度なりと見た事があった訳ではないのに悟空は実際の処俺等が思っているよりは大人だ。 そしてこれも意外な事に、掌を返したような住民達の態度に一触即発と言った体で怒りを露わにするのが八戒だ。
そして、三蔵はこんな時は恐ろしいまでの無表情を貫く。
白竜の姿から車に変化したジープに向かい歩いて来る三蔵のその足取りは淀みないものだ。
「オイ。大丈夫か?」
通り過ぎ様小声で尋ねるのに俺の方をちらとも見向きもしないで当たり前のように助手席に腰を降ろす。 病人は後ろだと言う事も無く、八戒は「悟浄も早く乗ってください」と声を掛ける。
「ああ」
答えて乗り込みながら悟空の方を覗き見ると泣き出すのを堪えるようなツラをしていた。 猿の飼い主である三蔵は普段こそ傲岸不遜な人を人とも思わない態度を取ってはいるが本当は無関係な人間を自分達の巻き添えにする事を酷く嫌っている。 自分達が逗留する事で無辜の住民を危険に晒す位だったら迷う事無く野宿を選ぶ。 だから悟空も泣き言の一つも言わない。例え三蔵の体調が良くなかろうとも三蔵が決めた事だからだ。
俺が座席に腰を降ろすのを待たずジープが唐突に発進したのでバランスを崩し上半身が大袈裟に泳ぐ。 体勢を崩しながら振り返れば俺達が出発するまで終始無言だった町の奴らは葬儀の列でも見送るかのようにぎこちなく強張った表情をしていた。
「悟浄。毛布出して下さい」
誰も一言も発さない不自然な沈黙の中発された八戒の声は未だ苦いものを含んでいる。
「ホラ」
三蔵だけに毛布を渡すと病人扱いされたと受け取らないだろうと思ったのでまず悟空に、 次いで三蔵に荷物の中から取り出した毛布を手渡す。 振り向きもせず伸ばされる手に一瞬触れた指が熱くてぞっとする。
「三蔵、この侭夜通し走り続けて次の町に行くのと、適当な処で野宿にするのと選択肢は二つありますが僕としてはジープにこれ以上無理をさせたくないので今日の処は野宿にしたいんですが」
「構わん」
本当は町のきちんとした宿屋で休ませたい処だが、夜通し走るよりは野宿だろうが身体を休めた方がマシだと八戒は判断したのだろう。 もぞと毛布を身体に巻き付けながら三蔵が答える。
時々三蔵が苦しげに咳き込む度、その抑えたようなくぐもった音を聞きたくなくてキン、 と高い音を立ててジッポの蓋を開き煙草に火を点けた。


町を出て小一時間も走った後、小さな川べりで八戒はジープを停めた。慌ただしく火を起こして野営の準備をすると (と言っても地面に直にゴロ寝だが)明日のルートを八戒が三蔵に確認したのを最後に皆で毛布を引っ被って横になった。
横になる迄は深刻そうな顔をしていた悟空の鼾が高々と聞こえ出す頃、俺はこっそり身を起こして三蔵の寝ている方へと近付いて行った。 三蔵は横にはならず大木に背を凭れ掛ける姿勢で眠っていた、否、眠ってなどいないのは分かっていたが。
「・・・何の真似だ」
案の定、俺の分の毛布を上から被せるとそれを手で払いのけてこちらを睨み付けて来た。
熱の所為だろう、滲むように紫玉の瞳が潤んでいる為睨まれてもあまり迫力は無い、どころかうるうるっとして何だかちょっと可愛い位だ。
「無理すんなよ。アンタ熱あるじゃん」
額に伸ばした手は触れる前に勢い良く叩き飛ばされたが、その手も矢張り熱かった。
「余計な世話だ」
「こんな熱い手して眼ぇうるうるさせて余計な世話はないでしょうが」
「うるせえ」
ほんの少し話してるだけで息が上がってきてるのに何でまだそんな風に言うのか。
「アンタね、良い加減にしろよ?」
三蔵の足元にずり落ちた毛布を掛け直してやろうと手を伸ばせばその手も振り払われそうになるので逆に乱暴に掴み返す。 ホラ、やっぱり熱い手。
「離せ」
押し殺した息の下、低い声で三蔵が言う。
「アンタが大人しくしてくれるならね」
「ざけんな」
その瞳はキツく俺を睨んでいるが余り眼に力が入っておらずやっとの事で睨み付けているのだと分かる。
「ふざけてんのはどっちよ。今年の風邪は鼻に来るんだぜ?」
「・・・ああ?」
「あんたが明日っから鼻水ダラダラで一日中鼻ズルズルさせてみろ。みっともねえし煩くて適わないじゃねえか」
「おい、俺は別に・・・」
「ティッシュだってそんなに大量に買い置きしてねえし、足りなくなったら袖で鼻でも拭く気か?」
「・・・てめえ(怒)」
「ああ、そうだな、悟空辺りに伝染ったらお猿ちゃんはてめえの法衣の裾でこっそり鼻をかむかも知れねえな、 でも俺はその場面を見ても止めないしあんたに教えるつもりはねえからな。元々あんたが悟空に伝染したんだから」
「・・・っいい加減にしろっ!」
「あんただって法衣の袖が鼻水でガビガビになったらイヤだろ?」
「だから、勝手に・・・」
「そんな訳だからちゃんと暖かくしてろよ」
そう言って、漸く三蔵の手を離してやって身体に毛布を巻き付ける。今度は伸ばした手は叩き落とされなかった。
「それとも毛布なんかじゃ足りない?」
今や三蔵は毛布でぐるぐる巻きになり蓑虫状態なのを良い事に素早く唇を掠め取る。 一瞬吃驚したように眼を見開く仕草がとても初心い・・・と思っていたら頭突きの反撃を喰らった。
「冗談じゃねえこのバ河童!」
「あたた・・・」
「くだらねえ事言ってねえでとっとと寝ろ!寝坊したら置いてくからな!」
乱暴に言い捨てると三蔵はこちらに背中を向けて地面に横たわった。 二枚の毛布にくるまった侭。

「オヤスミ」
そう呟くと、
「おやすみなさい」
と、八戒の声で挨拶が帰って来た。






RELOAD3巻58P以降。悟空が法衣でハナミズ拭うとか濡れた手拭うとかしたら可愛いなあ! と思ったものの本当にそんな事されたら三蔵様が気の毒だ、と思って浮かんだ話。

紙飛行機に続く。



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