dizzy
「誰がてめえの手なんか借りるか」きつく睨み上げてくる濃紫の瞳。ぐ、と歯を噛み締めて背中を丸めて屈み込んだ体勢から助けも借りず起き上がり歩き出す。 凄え強情。天にも届くプライドの高さ。それでこそアンタだ、とふらつく躯を叱咤し先に立って歩く背中を見てこっそり笑う。
碌に均されていない山道は速度を上げて走行するとひっきりなしに激しく車体が跳ね上がりひっくり返った内臓はジープが弾む度に嘔吐感を催させる。 通りかかった村とも言えない規模の、地図にも載っていないような集落で「どうしますか?」 と訊ねる八戒に「今日はここで休もうぜ」と訴えてみれば青い顔の三蔵も無言でこくこくと頷いた。
村の人間達は牛の背中に荷物を括り付け自らは歩いて山を越すのだと聞けば成程と納得するしかない。 気付けに良いのだと薦められた、 味は薄いものの香り高い薬草茶を口にしながらまだ気分が優れないらしく珍しくも三蔵は煙草を口にする事も無かった。
どちらからいらっしゃった、 と訛りのきつい言葉で訊ねられ長安からですと笑顔と共に八戒が答えると、宿も無い村のその村長は興奮に顔を赤らめた。 これはまた遠路遙々ようこそ、今夜は水牛を潰して歓迎しますでと、 煙草盆に煙管を叩き付け急しげに赤銅色に日焼けした村長は立ち上がった。
しっかりした歯応えのパンと、 細かく砕いたクルミだかアーモンドだかが練り込んである仲々美味いチーズをたっぷり載せた木製の器を運んで来た長い黒髪を細い何本ものお下げにして揺らしている村長の娘が、 でも残念ですわ、最近急に鳥や猿が増えたらしくて山の果物がすっかり盗られてしまったの、と言うのに八戒は目を細めて訊ね返した。
ええそうなの、この村では誰が手を加えた訳でもないのに毎年色々な果物がどっさり生るの。 畑を耕して小麦や野菜は作るけれど。いえ、人の姿は見ませんでした。 隣の町まで若い人の足でも丸一日はかかるから行商の人以外通り掛かる事も滅多にないし。
金髪が珍しいのか赤い頬にチャーミングなそばかすを散らしたその娘がちらちらと視線を投げるのを意に介さないかのように娘との会話を八戒に任せたきりで黙って腕を組んでいた三蔵が口を開いた。
「何時からだ」
「え?」
「山の果実が消えたのは何時頃からだ」
「ほんの数日前です。あと3日早くいらっしゃってたら良かったのに」
村長程は訛りのきつくない娘のその言葉には答えず世話になったな、と言って三蔵は籐で編み上げた椅子から立ち上がった。
もごもごと器の上のお茶請けを口に突っ込みながら悟空が待ってくれよ三蔵、と慌てて言う。 それには振り返りもしなかったクセにうっ、咽に詰まったああ! と悟空が一人でじたばたと悶絶するのには足を止め口元を歪めて三蔵は心底イヤそうな顔をした。 テーブルの上の飲み残しの茶に手を伸ばし煽るように流し込むと悟空は気が済んだとばかりに「美味かった。ごっそさん!」 と威勢良く言って三蔵の後を追った。 つうかてめえあの局面でどのカップを手にするか選びやがったな。 俺のカップに一度手を伸ばしかけたクセに中身の残っているそのカップを素通りして三蔵の飲み差しのカップを鷲掴みにしたのだ、 悟空のヤツは。全くイヤになる。家族かてめえらは。ああ、親子だったよな。
フィルタの端を噛み潰しながら先に部屋を出た三蔵達の後を追う。
おもてなし有難うございましたと困惑の表情を浮かべている娘に笑顔で告げながら八戒がジープのアクセルを踏み込む。 礼を言いながらも少しも躊躇う事の無い勢いで。
こんな不便な山ん中で村の人間にその存在を気取られる事も無く俺達が通るのを待機してられる、 つったら今迄の頭の悪そうな妖怪達よりは統率の取れた厄介な相手かも知れない。 何を言われなくとも悟空もメシご馳走になってこーぜ、なんてごねる事無く三蔵の後に従った。 もしかしたらそれは本当にただの大量発生した鳥だか獣だかの仕業なのかも知れない、 だが甘っちょろい判断で万が一の時に何の関係もない村の人間を巻き込む訳にいかないと言う事は悟空にも分かっていた。 サルだとかお子様だとか普段は散々バカにしてからかいのタネにしてはいるが、 本当は口で言う程には悟空の事をガキだと思っている訳じゃなかった。 敢えて「お子様」の立場でムードメーカーを演じている悟空がただのガキである筈が無かった。
「うわっ、八戒もうちょっとゆっくり運転してくれよっ!」
「済みません、もう暫くガマンしてください」
窪みに嵌り傾く車体にハンドルを切りながら返答する八戒の声にもいつもの余裕が無い。 掴まる所も少ない前座席で必死にジープの車体に掴まっている三蔵の指先が不自然な程白い事にも気付いてないように見える。
村からどれ位離れた頃だろうか、突如ぎっ、ときつい急ブレーキの後一本道で八戒がジープの進路を変更しようとした。
が、道幅の狭い山道だ、ヘタにハンドルを切れば崖下に転落するしかない。
「皆さん、飛び降りて下さい!ジープ、戻って!」
八戒の言葉を皆まで聞かず俺達はジープから飛び降りた。ただ降りるのではない、降りた後すぐ様走り出せる体勢を保った侭。
斜面から転がり堕ちてくる大岩を避けながら。
俺達が飛び出すや否や白竜の姿に戻ったジープが長い尾をたなびかせて空中に浮かび上がる。
「・・・ッ!」
その上、ご丁寧にもどうにかぺしゃんこになるのを免れたばかりの俺達目掛けて間髪入れず火矢が射掛けられて来た。 目の前を掠める矢を身を引いて交わし崖を見上げる。
「下がって下さい!」
八戒が降り注ぐ矢を気孔で凪ぎ払うが、距離があり過ぎて崖の上から俺達を狙っているであろう妖怪達を吹っ飛ばす事は出来そうにない。
ガウン!
矢を射る為に身を乗り出した奴の額に三蔵の銃が命中するが、 そんな事に怯む事無くひゅんと風を切り飛んで来る矢を三蔵は法衣の袖で叩き落とそうとする。燃え移ったらどうすんだ、バカ。 考える間もなく錫杖を掌の中に召還し伸ばした鎖で降って来る火矢を払い落とす。 火の点いた侭の矢が草むらにぼとぼとと落ちて行くと、 鏃に火種を仕込まれた折れた矢は炎を失う事なくゆらゆらと揺らめいて自身の灯火を周りの草木に移し始める。 無尽蔵に矢があるとは思えないが山が冬枯れてない時期とは言え一カ所に留まっているのは危険だ。 悟空は如意棒をバトンのように回して器用に矢を叩き落としてから必死に火種を踏み潰そうとしている。 気持ちは分かるがそんな事してる場合じゃねえんだよ!
「二手に分かれるぞ!」
「はい!」
誰がどう動くか三蔵からの指示はなかったし、俺だって口にしなかった。
にも関わらずくるりと背中を向けて元来た山道へと囮になって駆け出して行く八戒と悟空を横目で確かめてから三蔵の腕をひっ掴んで少しでも身を隠せそうな場所を探して走り出した。 走りながら八戒が気孔を放っているらしき空気の振動が時折伝わって来るが次第にそれも自分達の足音と足下の草を遠慮なく掻き分けるがさがさ言う音に紛れ遠くなって行く。 傾斜の緩い所を選んで樹の影に身を隠しながらじりじりと斜めに崖を昇る。 上から狙われているのでは応戦もままならない。遠回りになってでも何とか崖上に行き奴等の背後を突かなくてはならなかった。
先日ぶっ倒れて以来まだ本調子ではない三蔵を引き連れて山を登るのはきついかとも思ったが、 身を隠す場所もない道を敵襲を凌ぎながら走り続ける事なんざ尚更今の三蔵に任せられなかった。 とっくに掴んでいた三蔵の腕は離していたが法衣の裾が邪魔になるのだろう、 遅れがちになる三蔵の腕を引っ張ってやろうかと少しの間考え、思い止まる。 俺のペースで引っ張って走る事すら今の三蔵には負担になると思ったからだ。
草むらで頭を低くして腰を落として俺の後を附いて来る三蔵を見ながらあの白い法衣も金色の髪もこんな山の中では目印代わりのように目立つ事に気が付いた。 否、何処にいたって見間違う事など出来はしないのだ、三蔵と言う奴は。 だがこんな遠目に見たって目立つヤツを一人残して俺一人だけで敵に奇襲を掛けると言う選択肢は浮かばなかった。 あの時意識を無くして倒れていた三蔵を発見したのは俺なのだ。 敵襲を受けいつも通りに思い思いの方向に散り散りになって敵を片付けた後、 草むらの中に埋もれるように倒れていた三蔵を見付けた時の臓腑が冷える程の恐怖を覚えている。
三蔵が追い付くのを待って再び走り出す。時に速く、時に隠れるように身を屈め。 時折振り返って三蔵の姿を確認すると転びこそしてはいないが法衣の袖に小枝は引っ付いているわ裾に草の汁だのが撥ねて薄ら汚れているわのひでえ有様だった。
斜面に根を張り斜めに生えている木の幹の影に一足先に辿り着き身を隠し様子を窺う。 奴等が俺達を待ち伏せていた場所からは結構離れていたが、どうやらこの辺りからなら奴等に見付からずに上に上がれそうだ。
「行けるか」
追い付いた三蔵に尋ねてみればああ、とはあ、の間のような返事が荒い息と共に返された。 ここから奴等の背後を突くつもりなのだと、打ち合わせをした訳ではなかったがその考えは三蔵も分かっていたらしい。 下生えに膝を着きそうになるのを今度こそ手を差し出して腕をひっ掴んで引き上げる。 その侭ぐいと自分の方に引き寄せ小声で告げる。
「魔戒天浄は使うな」
「・・・・・・」
食い縛った歯の間から息を吐き出しながら三蔵が俺を睨み付ける。
「こんな崖だらけの山で大技かましてマジに土砂崩れでも引き起こしたらやべぇだろ」
きつい紫暗の瞳から視線を逸らさずに言うと分かったと今度ははっきりした発音で返された。
「行くぞ」
腕を引っ張って立たせてやろうとすると、手を払い退けられた。
「誰がてめえの手なんか借りるか」
そう言って自力で起き上がって今まで俺の後ろを走ってたのが不満だとばかりに先に立って崖をよじ登って悠然と歩き出した。
凄えプライド。
凄え意地っ張り。
でも凄え格好良いよ、あんた。
認めてしまうのもシャクに触るが、バカバカしいまでのプライドの高さは賞賛に値すると言えた。
ふらつきそうになるのを誤魔化す為に時折強く足裏に力を入れて地面を踏み締める姿を見ながら煙草を地面に落として踏み躙る。
その侭煙草を踏み潰した脚を軸にして勢いを付けて三蔵を追い越す。
「おっさきー」
抜け駆けしてる振りをして一体でも多くあんたより先に敵を倒そうとする。
これっくらいは赦してくれ。
せめて。