downward



溺れる者は藁をも掴むと言うが実際溺れるヤツを見たのは初めてだった。
自分が何故沈んでいるのか分からないとでも言うように抵抗もせず渦に飲み込まれ下方へと沈み込んで行く姿は、 あろうことか最高僧サマのものだった。 下手に足掻いたりせず水流に抗わないでいればそのうち肺に入った空気が浮き袋の役目を果たして浮かび上がって来る、 それは確かだった。三蔵本人が巻き起こした魔戒天浄の波動により水が暴力的にうねっている時でさえなければ。
水中一杯に広がって狂った妖怪達を巻き込みながら抹消させた後の経文が、あり得ない速度であり得ない形態へと収束して行く。 三蔵の肩に向かって。 その不自然な動きによって、 術そのもので荒れていた水流がより一層上へ下へと洗濯機の中でもなければあり得ない複雑な動きを醸し出す。 渦の中心地で水の流れに従ってダイナミックに人形のように力無くぐねぐねと弄ばれていた三蔵の躯が不意に力尽きたように川底へ向かって沈んで行くのを見て、 咄嗟に俺は三蔵を追って無理矢理自分の身体を水の底へと向けた。
そう言えば泳げないんじゃなくて泳いだ事が無いって自分で言ってたっけなあ、 そんな事を思いながら水を蹴って少しでも三蔵に近付こうとする。 無理矢理に水を掻くその腕の先から起こる気泡が俺が向かっているのとは逆の方向へとぶくぶくと浮かび上がって行くのに目もくれず、 ひたすらに川底を目指す。 泳いだ事が無いからこそ水の脅威を知らず無抵抗に川底へ引きずり込まれて行こうとしている三蔵の法衣の袖が水中でひらひらと舞っていて、 まるで三蔵が自分の意思で水の中で優美に踊っているかのように見える。
河渡しがいるだけあって結構深い河だ。三蔵を捕まえて水面に顔を出す迄息が持つかどうかギリギリ、っつう処だろうか。
だからと言って三蔵をこの侭沈むに任せておく訳にはいかなかった。
八戒はどうしてるだろう。無事に上がれてると良いんだが。
三蔵の躯よりも高い処に浮き上がっている法衣の裾に触れた指をその侭握り込んで無理矢理抱き寄せる。 抵抗は無い。既に三蔵の意識は無いようだ。
まずい、まずい・・・。
これが水中でなかったらここで「八戒パス!」つって投げ出せば済むんだがそうもいかない。
左腕に三蔵の躯を抱きかかえて右腕と脚の力だけで水を蹴って上昇する。 動きを大きくするとそれだけ消費される酸素量も多くなるようで食い縛った歯の間からごぼごぼと空気が抜けて行く。
それでも必死に上だけを見続けていると八戒が水面に顔を着けてこちらを伺っているのが見えた。 波打つ水面の青と水に遮られ屈折しながらも弱く差し込んで来る太陽の光がこんな時だと言うのにヤケに綺麗に見える。
もう息が続かなくなって来ていて段々指先から力が抜けて行く。 気にしないようにしていたブーツの中にまで完全に入り込んでいる水が誰かが脚に絡み付いて引っ張っているかの如く矢鱈重たく感じる。
畜生、もう少しだ。
あと二掻き。
俺が沈んだら三蔵も一緒に水中に逆戻りだ。
あと一掻き・・・。
待ちきれないように、八戒が大きく手の平を広げて両腕をこちらに差し出して来る。








流水」に続く。

私の処の三蔵は実は泳げません。泳ごうとした事が無いだけなので教えれば泳げるようになると思いますが。


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