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流水
三蔵が泳げない事を思い出したのは、日が暮れる頃やにわに咳き込み始めた三蔵の額に「ちょっと済みません」 と言って掌を当てた八戒が「あついですね」と言った時だった。 あついと言っても勿論ツラの皮がと言う訳ではなく大体そんな今更分かり切ってる事を今この場面でわざわざ言う必要がある筈も無かった。 だから八戒が「あつい」と言うのは三蔵の額の事で、額が熱いと言う事は熱があると言う事だった。 「悟浄はどうですか?」 八戒がてきぱきと食事の支度をするのをハナをすすり上げながら傍らで眺めているとそう尋ねられた。 「いんや、俺の方は何とも」 ちっとハナがぐずぐずしてるのが俺様の魅力にマイナスになるっつうだけで怠いとか関節が痛いとか、 そういった発熱に伴う症状は感じなかった。 荷物が水浸しになった所為で煙草も全てダメになってしまっていた為どうにもこうにも口寂しく、 落ち着かない気分を八戒の手伝いをする事で紛らわすかと思っていた時だ。 「そういうお前はどうよ?」 「僕は大丈夫です」 返事と共に粥とスープの具にするのだと言う缶詰を手渡され地面に座り込んだ。 「そっか」 きこきこ。 「悟空も平気そうですね」 「そーみたいだな」 きこきこきこきこ。 濡れてもこの通り中身は全然無事。丸っきり大丈夫。ビバ缶詰。 「それにしても水中で魔戒天浄を喰らったのには吃驚しましたね」 「全くだ。そんでもっててめえで溺れかけてりゃ世話ねえっつうの。・・・あー・・・、そういや三蔵サマ泳げないんだったっけ」 泳ぐ気もなさそうな、としか言いようのない無抵抗な姿勢で水底に引き込まれて行った三蔵の姿を思い出す。 「・・・え?」 「あー、違うか。泳いだ事ねえっつってたんだ」 いやでも泳いだ事がなけりゃ泳げるわきゃねえんだから同じ事か。 「ご、悟浄!どうしてそんな事を黙ってたんですか!」 火加減を見ていた筈の八戒が何時の間にか顔を上げて俺を睨んでいた。 「え?」 八戒も知らなかったと言う事はコレは秘密だったのだろうか。いや然し口止めはされてない。 「知ってたらどんな事をしてでも河なんか渡るルートを取りませんでしたよ!」 八戒の手がグーの形になっている。うわ、やべえ。 「いや、黙ってたっつうか忘れてた・・・」 「忘れてたじゃ済みません!」 「まーいいじゃん。河を渡るって言い出したのはそもそも三蔵様っしょ」 「あの三蔵が、自分から『泳げないから河を迂回してくれ』なんて言う筈ないでしょうが」 それもそうだ。 「あー、その、アレだ。こうして皆無事だったんだし。結果オーライじゃん」 結果オーライ。良い言葉だ。 煙草が入っていないと分かっているのに何となくジャケットのポケットをごそごそと探りながら言い訳する。 「それはそうですが」 はああ。深い溜息と共に項垂れて八戒が力無く呟く。 だが悪いのは俺だけじゃなかろう。 泳げないと言い出さなかった三蔵だって勿論悪いと俺は思う(今そんな事言ったら八戒に殺されてしまうだろうが)。 あんな でかくて足も届かないような深い河 目の当たりにして平然とあんなちっちぇえ小舟で渡るなんて言い出すヤツが泳げないだなんて普通思わねえだろ。 そうだ、三蔵が泳いだ事がないと言った時も、冗談だと思ったんだ。 だから忘れていた訳だが。 あれは、何時だっけ? 確か俺の誕生日より後だったろうか。 返り血で白い法衣を汚した三蔵が着衣の侭河にざぶざぶ入って行った事があった。 洗うにしても大雑把だコト、 と煙草を銜えた侭眺めていると結構深い河だったらしく三蔵はあっと言う間に腰近くまで水に浸かってしまった。 「っ!おい!お前泳げねえんだろうが!」 「泳げねえんじゃなくて泳いだ事がねえだけだ」 振り返ってぎろりとこちらを睨み付けた瞬間だけ足を止めて、次の瞬間にはまた河の中へどんどんと足を進めて行った。 河の水が三蔵の腰を越えた辺りで、 深みに足を取られでもしたのか突如三蔵の躯が傾き水面に背後から倒れ込むように水の中へ沈み込んで行った。 「・・・んのバカが・・・!」 上半身を乗り出し悪態を吐きながら三蔵が水面から顔を出すのを待った。 「・・・・・・。」 さやさやと言うかそよそよと言うかこぽこぽと言うか、河の流れる音だけが聞こえて来る。 「・・・・・・っ!オイオイ!」 マジで溺れてんのかよ、と三蔵を追って河に入ろうとジャケットを脱ぎかけた時、がぼっと水音を立てて漸く三蔵が水中から現れた。 普段人のコトを散々河童だなんだと言うがその時の三蔵の方が余程河童みてえだ、と思ったのはともかく、 別段溺れてた訳ではなかったらしく平然とした顔をしていたのだ、三蔵は。 まるで「良い湯だった」とでも言うかのような仕草で濡れて顔に張り付く髪を指で払っていた。 だが冬に近い時期の河の水が風呂のように温かい筈もなく、河から上がった三蔵のびしょ濡れの法衣は震える程に冷たくて。 普段から何を考えているのだか非常に解り難い三蔵だ、何だってあんな事をしたんだろうかと真剣に考える事もしなかった訳なのだが。 「・・・とにかく。これからはあまり隠し事はしないで下さいね」 昼の事を思い出したのだろう、たき火に小枝を追加する八戒の横顔が強張っていた。 「・・・ああ」 隠し事があんのは俺じゃなくて三蔵様の方なんだけどな、そう思ったがそれは言わない事にして従順な返事を返す。 ああ、煙草が欲しい。 そう思いながら乾く唇を舌先で舐めた。 「downward」の続き。 33題「紫暗」に続く。 novel |