人形クリニック 1
草の上におもむろに腰を下ろした悟浄が突っ立った侭の三蔵に「座ったら」
と勧めるが三蔵は悟浄を見下ろし両腕を前で組んだ姿勢で動かない。 柔らかい緑色の草の上に腰を下ろしたら恐らく自分の下で草の葉が潰れて緑色の汁が法衣にこびり付いてしまう。 悟浄の服ならば多少の汚れも気にはならないであろうが自分の白の法衣では尻だけ草の緑と土の色に汚れた姿はさぞかし無様であろうと三蔵は思う。
自分の勧めに従わない三蔵に気を悪くする事もなく悟浄は背中を草の上に倒す。 大柄な悟浄の体躯の下ではのされた名も知らぬ草達が青臭い匂いを発しているに違いないと思いながら三蔵は悟浄の後先考えない行動を不可思議なものに思う。
大概の事に於いて三蔵は先々の事を常に考えて行動する。考えるより前に脚を踏み出す事など滅多に無いと言って良い。 利益と不利益を計りに掛けて選んだ後は選ばなかったもう片方の路に想いを残す事も無い。 稀に、或いは屡々好きで選んだ訳でも無い益の無い選択肢を与えられる事もあるが(主に三仏神経由で) そんな時でも一から十迄、最良最高のパターンから最低最悪の場合迄を一通り想定しておく。だから手の届く範囲内で起こる事は常に三蔵にとって予想済みの出来事だった。 今迄に予測外だった出来事などほんの数える程しか起こらなかった。
一つは産まれてすぐ河に流された事。
一つはそんな自分を物好きなお師匠様が拾って育てて下さった事。
一つはお師匠様が自分を「三蔵」にと仰って下さった事、そしてその晩自分の目の前で非業の死を遂げた事。
一つはバカ猿をうっかり拾ってしまった事。
そんな程度だ。
三仏神の命を受け大量殺戮犯を追ううちにうっかり赤毛河童と知り合いになってしまったのも、 まあ予測外の出来事ではあったが。
そして今日また一つ予測外の出来事が起きた。
「三蔵サマ三蔵サマ、大変!」
そう言って開かれた窓先から赤アタマがぬ、と突き出て来たのだ。
煙草を吸う為に休んだのか休みを取る為に煙草を手に取ったのかまあそんな事はどちらでも良い。 風の無い日だったので両開きの窓を思い切り良く開け放ち窓辺の壁に凭れて煙草を吸っていた時の事だ。
「ご訪問のご予定」の無い者と三蔵が会う事は滅多に無い。 「ご予定」外の人物が突如やって来た時は側付きの小坊主が三蔵の意向を伺いに上がるのだが今日は赤河童が来ていると小坊主が告げに来る事は無かった。 つまり門前払いを喰らったか、「お伺い」を立てる間を面倒だと思ってこっそり忍んで来たかのどちらかだ。 参拝時間であれば寺院の門扉は常に解放されている為「関係者以外立入禁止」 の文字を無視し入り込んでしまえば三蔵の執務室迄辿り着く事は容易い。 寺院内の間取りを知っている者であれば口煩い受付に見付からず僧坊に入り込む事も出来るし途中誰かに見咎められても迷う事無い足取りで歩いていれば不審者だと思われる事も無いだろう、 明らかに胡乱げな人物でも無い限りは。 何しろこれだけの規模の寺院だ、見た事の無い客人が一人二人歩いていた程度で一々誰何を受ける事は無い。 ましてやこの目立つ赤い髪の人物であれば寺院にいる誰しもが「三蔵法師様のお知り合い」であると承知していた、 その存在を快く思っているか否かは別にしても。
呼んだ覚えもない人物が窓の外に居るという事態のおおまかな成り行きを頭の中で一通り組み立てた後、 三蔵は唇を細めふうと長く煙を吐き出してから窓の取っ手に腕を伸ばし内側に閉めようとした。
「コラ待てこの坊主!」
危うく目の前で閉じそうになる窓枠を悟浄は力一杯押し留めた。 朱塗りの華奢な木の枠が大の男二人の引き合いの為にみしみしと悲鳴を上げる。
「人の話を聞けっつうの」
「飲み屋のツケ位てめえで払え」
「ツケなんぞ溜めてねえっ!」
「死体を寺に埋めたら殺す」
「俺が誰を殺したっつうんだ!」
「どこぞの女に孕ませたガキの名付け親になれとか言うんじゃねえだろうな」
「俺は独身だ!」
「独身だって子は成せる」
「う・・・身に覚えは、あるけどねえっ!大体てめえになんか頼まねえよ!」
「用が無いなら帰れ」
「用ならあるっ!八戒がっ、うわ!」
八戒の名を聞いた途端三蔵は力を緩めた。外と中で力一杯引き合う事で保たれていた力の均衡は突如崩れ、 窓は思い切り外へと跳ね返った。
「急に離すんじゃねーって」
「てめえが勝手に引っ張ってただけじゃねえか」
「この・・・」
「八戒がどうした」
『とっとと言え』オーラを発し何事も無かったかのようにさらっと言う最高僧様を前に、 悟浄は「どうして俺はよりによってこんなヤツの処に来ちまったんだろう」と激しく後悔していた。
「八戒、今日来られねえから」
猪悟能改め猪八戒は元・大量殺戮犯で沙悟浄の同居人だ。 その大罪人が何故名を改めたとは言え現在社会生活に参加出来ているかと言うと、 悟浄の目の前の最高僧・三蔵法師様が八戒の身柄を預かったからである。 そして身元引受人である三蔵の元へ八戒は定期的に身辺報告にやって来る事になっており、今日がその日だった。
「そうか」
スケジュールの変更を余儀なくされた事に怒りを見せるでも無く淡々と三蔵は返答した。
「そうかじゃなくてここは理由を尋ねるトコロだろうーが」
「そうか」
素っ気ない三蔵の返事に悟浄はわざとらしく大仰に溜息を吐いてみせた。
その溜息に三蔵もむっとするが敢えて無視した。
「ヤケドしちゃってさ。三蔵に見せると心配するから今日は会えません、だってよ」
「・・・それを伝えに来ただけか」
三蔵は眉を顰めた。八戒はその一言を伝える為だけにこの盛大に喧しい赤河童を寄越したのだろうか。 河童のツラを見る位なら連絡などない方がいっそマシな位だったが。
「いーや。八戒が伝えろっつったのは「今日は行けない」っつうコトだけ。用があるって言えって」
「・・・そんなに酷いのか」
見せたら心配するかも知れないから会いに行かないと言う意味だと三蔵はすぐ悟った。 三蔵のそう言う聡い処を悟浄は気に入っていた。知って尚押しつけがましいお節介を焼かない処も。 然し今日はその三蔵の他人に踏み込まない性格が自分の実行しようとしている事の妨げとなるのだろう、 そう思いながらも銜え煙草で悟浄は口の端を上げて笑った。
「そ。手の皮ずるって剥けちゃって包帯でぐるぐる巻きなのよ」
「・・・フン。それで」
鼻を鳴らして三蔵は胸の前で両腕を組んだ。煙草を吸う為に窓の側に来た筈だったが既に新しい煙草を吸う気も失せた。
「それで、って?」
「何でそんな事をわざわざ俺に言う。八戒には口止めされてるんだろうが」
「だってさ、アイツカレンダーに印こそ付けてなかったけど今日来るの楽しみにしてたから。 本当は用事があった訳じゃ無くて来たくても来られなかったって教えといてやろうかナーと」
「・・・・・・」
延々と長安まで足を運ぶのがそんなに楽しいのか?と表情を変えない侭三蔵は疑問に思ったがそう言えば八戒にはジープがあったから大して時間も掛けずに来られるのだったな、と思い直した。
「来たけりゃ何時でも来れば良いだろう」
「お?」
「ジープがあるから簡単に来られるし」
これは、もしかして三蔵は八戒に会う時間を増やす事は負担にならないと言っていると思って良いのだろうかと悟浄は考える。 八戒のヤツは「三蔵は最高僧で何かと忙しい中僕との面会時間を作ってくれているんですから」 と今日の面会に行けない侭すっぽかす訳にはいかないから事情を説明して来て下さい、なんて言ってたけれど。
「三蔵サマ、それ八戒に言っても良いの?」
「言いたきゃ言え。と言うかそんなもん俺の伝言じゃなくてめえから言えば良いだろう」
「・・・あのさあ。もしかして八戒が楽しみにしてるのって長安で物見遊山する事だと思ってる?」
「違うのか」
駄目だこりゃ。
普段から無表情な三蔵だから照れ隠しでわざと言っていたとしても普通なら相手に本心が伝わる事はなかっただろう、 が、三蔵が別にそんな可愛らしい反応として惚けてみせている訳では無い事が悟浄にはよく判った。
「八戒が、長安に来たついでにあんたに会いに来るのはどう思う?」
「俺に?何でだ」
・・・ますます駄目っぽい。
「いーじゃんついでなんだから」
「・・・そうだな。いつも寺にいるとは限らんし勤行とメシの時間は面会不可だ。 他にも色々用事が多いから予め来る時間を決めてねえと無理だろうな」
鈍い。鈍過ぎる。
その上無理して時間を作ると言う選択肢は無さそうだ。悟浄は思わず八戒を気の毒に思うあまり目頭が熱くなった。 帰りがてら八戒のヤツに何か美味いものでも買ってってやろうと思う。
「今は?」
「仕事中だ」
「仕事してないじゃん」
「てめえが邪魔してんだ。退け」
そう言って三蔵は再び外開きの窓を内側に引き入れようと腕を伸ばす。
「ちょっと待った」
がしっと悟浄は再び先程と同じように窓枠に手を掛け閉められそうになる窓を阻止する。
「離せ」
「見舞いに来ねえ?」
眉間に皺どころか盛大に努筋を浮き立たせぎりぎりと取っ手を力任せに引っ張る三蔵の怒りを込めた視線を受け止め、 悟浄は口の端を面白そうにに、と吊り上げながら告げた。
「ああ?」
「ジープの送迎付きでどお?」
「どうもこうもねえ」
即答し窓を閉めようと力を込めると窓の外に立つ悟浄が窓枠を引っ張り返す。
「イチもニもない?」
みしみし。
「んな事言ってねえだろうが」
「悟空のヤツも一緒にさ」
ギ。ギギギ・・・
「サルを連れて行きたければ勝手に連れて行け。俺を巻き込むんじゃねえ」
「あー、そーゆー事言っちゃうんだ飼い主さんは」
にやと笑って悟浄は力を込めて窓枠を外側に大きく開いた。 窓枠が毀れるかも知れないと言う遠慮をしなくて済む分悟浄の方が込める力に遠慮が無く、 遠慮さえしなければ半妖である悟浄の方が有利であるのは自明の理であった。
「おサルちゃんが駄目だってんなら三蔵サマだけでもいいや」
「な・・・!」
手を掛けていた窓枠が外へ開いた為上半身が泳ぐ格好になってしまい体勢を崩した三蔵の腕を乱暴に掴んで半ば窓の外へ身を乗り出させたかと思うと悟浄は両腕で苦もなく三蔵の身体を持ち上げて窓枠を越えさせてしまった。 悟浄の二の腕に全体重を支えられる形になった三蔵がぎょっとして身体を強張らせる。 不安定な体勢で上半身が悟浄の肩へと倒れ込んで行きかかるのを咄嗟に間近に迫った悟浄の顔を肘で押し退けた時足先が地面に着いた。
「何て事すんだてめえ」
横っ面を肘で思い切り押し退けられ首の骨がごきりと鳴ったにも関わらず悟浄は責任上草履を履いた三蔵の足先を降ろしてやるまでその手を離さなかった。 首を左右に回しながら肘撃ちされた頬に手を当てて悟浄はそう言ったが然し抱え上げられた三蔵にとっては何すんだどころの話では無かった。 幾ら悟浄が妖怪の血を継いでいる為人間以上の筋力を誇るとは雖もまるで子供でも抱え上げるかの如く軽々と持ち上げられてしまったのは屈辱だった。 そして、それよりも何よりも三蔵は他人に身体を触られる事が死ぬ程嫌いだった。
「気安く触んじゃねえ。つーかコロス」
ジャキッと音を立てて三蔵が掌の中で構えた銀色の塊に悟浄は見覚えがあった。
「ちょっと待てっ!」
「死ねっ!死にやがれ!」
ガウンガウン!