long ago




「じゃあ今度は土曜に」
そう言っていた筈の悟浄がやって来ない。土曜の中山競馬場。
寒空に気が変わって日曜に来る事にしたのかも知れない。単に用事が入ったのかも知れない。 気にする程の事ではないと本日何度目になるか分からない思考の堂々巡りを繰り返す。
ふ、と煙草の煙を吐き出して競馬新聞を持っていない方の手でコートのポケットから携帯を取り出す。
「次はメインレースだってのに」
来られないなら来られないで連絡してくれれば馬券位買ってやっても良いと思っていたのに朝から通話どころかメールの一通さえ来ない。
もしかすると恋人とデートでメールどころじゃないのかも知れない。
・・・何だか少しむっとした。
一人で競馬場に来ている人間など珍しくもないし自分だって悟浄と知り合う前はいつも一人で来て終日一人で過ごしていたのに悟浄が今誰かと一緒に過ごしていて自分の事を綺麗さっぱり忘れているのだと言う想像は何故だか面白くなかった。


気を取り直してレースに集中する。ここにいないヤツの事なんか考えても仕方無い。 それに30分おきにレースの行われる競馬場は考え事をするには忙し過ぎる。 パドックと新聞を交互に見ながら矢張り騎手買いだと、 一番人気の外国人ジョッキーの乗っている馬からの馬券を買うべくマークシートをぐりぐりと塗り潰す。 普段であれば格が違うとは言ってもあまり信頼の出来ないイマイチ馬だが今日は大丈夫だろう。
券売機に金とマークシートを突っ込む瞬間は意外と冷静だ。 「こんな面白みもない馬券買っちまって」、或いは「こんな人気薄に突っ込んじまって」、そういった迷いは一切無い。



力強い足取りで後方から一気に伸びて来たのは鮮やかなブルーと白の勝負服だった。
的中したと、誰に告げるでもなく馬券を換金し12Rをやっていこうかどうしようかと新聞を開く。 イマイチなメンツ揃いで人気が割れていて仲々予想が難しそうだ。 折角メインレースを的中させたのだからキリの良い処で引き上げた方が止さそうだとちらと考え、 なるべく気にしないようにしていた携帯に再び手を伸ばす。
矢張り悟浄からの連絡は無い。
これ以上思考を先延ばしには出来ない。 出来るだけ気楽な方へと考えるようにしていたがもしかしたら何かあったのではないか、と。 考えないようにしていた事をも検討し始める。
例えば体調を崩しているとか。
例えば・・・事故、とか。
大袈裟に考えない方が、と常識的な自分の一部では思うが自分で土曜に、と言った当人が一言の連絡も無しにすっぽかすとは考え難い。 いや忘れているんじゃねえのか、と即打ち消すように思うが悟浄だったら日曜である明日は重賞が無く、 今日が重賞である事など承知している筈だ。



信号を無視して突っ込んで来る車。ぐんにゃりとあり得ない方向へと曲がる体。 潰れた紙パックから零れその場に広がる牛乳と混じり合う流れ出す赤い血液。
母親が死んだのは買い物に出た帰りだったのだと聞く。
その場に俺は居合わせてはいなかった。窓の外の大きな夕陽を眺めている時鳴らされたチャイムに玄関に駆け寄った。 ドアを開けるのが遅いと母親は目を吊り上がらせてサイレンのような甲高い声で怒鳴る事があったからだ。 然しドアを開けてみればそこに立っていたのは母親ではなく、 後に養父となる遠縁にも関わらずその時迄一度も顔を見た事もなかった僧衣姿の男性だった。
狂ったように泣き喚きながら俺の腕に、時に手の平に、 ちっぽけな煙草の先を押し付けては情け容赦なく幾度も横ッツラを張り飛ばした、 それでも食事だけは忘れる事なく三度三度拵えた母親は夕飯の買い物に出掛けたきり帰る事は無かった。



何度コールしても出ない携帯。
確かめに行くのが怖い。
携帯の通じない場所、例えば海外にでも行っているのかも知れない。 そうでなければ携帯を忘れて何処かに出掛けているだけかも知れない。
そう考えると安堵で強張っていた体が解れるが数秒後には再び胃が重苦しくなって吐き気が込み上げて来る。
歩きたくない。
その場に蹲ってしまいたい。
それなのに何故俺は何度か悟浄と並んで歩いた道を冬曇りの空の下招かれた訳でもないのに一人で歩いているのか。
自分の想像がただの妄想であったと分かりさえすればそれで良いのだと言い訳しながら手すりに掴まりながら足下で喧しい音を立てる階段を昇る。 呼び鈴を押そうとのろのろと持ち上げる自分の手が重い。






2004.12.4ステイヤーズSの日。

部屋のヒーターが毀れた為風邪を引いて悟浄さんは寝込んでいました。 三蔵の看病の甲斐あって回復した悟浄さんが「・・・牡蠣雑炊喰いたい」「贅沢ぬかすな」 ・・・と言う事で「忘年会」に続きます。



novel−競馬パラレル