Another version of "それはけして間違いではなく"
 何処から話したら良いのかな、とその人は店の制服を着た侭語り始めた。

 子供の頃両親が離婚して、オフクロが俺を引きとったんだ。女手一つで頑張ってくれたものの生活は貧しくていつも腹を減らしててね。 服もつぎはぎだらけのきったねえ格好してて、友達もいなかった。
 ある日、町のパン屋で焼き上がったばかりのパンの匂いにどうしても空腹を堪えられなくなって店に入ったんだ。 気取った所のないこぢんまりとした、店主が一人にバイトが数人いる程度の店だよ。 勿論こっちは払う金なんざありはしないから美味そうなパンを目の前にしてそれが売れて行くのを見てるしかなくてさ。 もうたまんないよ。考えてもみなよ。美味そうなパンがあってそれをおばさん達が次々に買って行くんだよ。 当たり前のように財布の中から金取り出してさ。 今にして思えば大した金額じゃなかったんだろうけどとにかく俺は1銭の持ち合わせもなかった。 小汚いガキが物欲しそうにしてんのにおばさん達は俺を邪魔そうにするだけで視線を合わせようともしなかった。
 どれ位そうして突っ立ってたのかな。気が付いたら小太りのおっさんが俺の隣に立ってた。それが店主。
「さっき焼いたパンの味見をしてくれないか」
って言った。
「勿論私は自分の焼いたパンの味に自信はある。 だけどお客さんがこの新作のパンを気に入ってくれるかは分からないから味見をしてくれないだろうか」ってね。
 その時食べたパンは本当に美味かったよ。
 オヤジさんはそれからパンの焼き上がりの時間を俺に教えて、時間があるならパンの出来をみてくれないかって言った。 味の違いなんか分かる筈もない薄汚い格好したガキの俺に。今も覚えてるよ。7時と11時と3時の3回だ。 7時にはあつあつのバゲットにオヤジさんの弟が作ったバターをたっぷり塗って 「この侭食べても勿論美味いがこの特製バターを塗るともっと美味いと思うんだが、どうかな」なんて尋ねてくれてね。 後で知ったんだけどオヤジさんは郊外に畑を持っていて、自分の店で出すパンは全部自分の畑で作った小麦とライ麦を使ってたんだ。
 だけど、ほら、あの異変って覚えてるかな。オヤジさんの店で働いてた若い男の妖怪が婚約者を殺して行方不明になるって事件が起きた。 オヤジさんは無事だったんだけど、凶悪な妖怪を雇っていた店ってんで客がぱったり来なくなっちまって。
 ちょうどその頃オフクロも無理がたたったのか体を悪くして死んじまった。
 長安の叔父に引き取られて、色々あったけどパン造りを勉強して最初の店を持った。 それから一度もあの町には帰ってないんだけど、オヤジさんの店はもうないだろうね。
 長安の人達は忙しいからバゲットを買って帰って家で色々挟んでサンドを作る人もあまりいないよね。 テイクアウトして店の外に出たらかぶりつきながら歩くような、具が沢山挟んであるパンは好きみたいだけど。
 だけど俺は今でもオヤジさんの焼いてたような素朴なパンが一番美味いと思ってる。 あの味を再現出来るまでパンを焼く事は止めないよ。







 そのパン屋を訪れるのは、双子の弟が働いているからだ。
 あまり手先の器用とは言い難い弟が、長くその店で働いているのはその店のバイトの女が目当てだと言うのは一目で分かった。 それは、別に俺達が双子だから気持ちが通じ合っているとかそう言った理由などではない。誰が見たって分かる。 つまり、それは弟の態度があまりにも露骨だったからだ。
「将来はケーキ屋をやりたいんですけどお」
 だったらケーキ屋で働け。
「自分で店を持つ時の参考にしようと思ってぇ」
 そう言った、みてくれだけは美しい頭の悪い女と弟との婚約パーティの時にも見事なケーキを焼き上げたのはその女ではなく、 店主のオヤジさんだった。お前らが店を開く時はオヤジさんをパティシエとして雇え、と言いたい。 普通は店の運営ノウハウ以前に自らの腕を磨くもんじゃないだろうか。
 妖怪であると言うだけで働く事を拒まれる、そんな社会に疑問を抱く事のない、 俺と違って出来の悪いオツムの持ち主である弟には所詮そんな女がお似合いなのだろう。
 そして、妖怪であると言うだけで差別をしない気の良いオヤジさんの店も、弟のような輩が働くにはちょうど良かったのだろう。
 あれだけバカにしていた弟が今では婚約者も仕事も手に入れている。
 なのに、俺は。
 どうしてこんな事になったんだろう。
 それはハッキリしている。
 俺が、妖怪だからだ。


 妖力制御装置を嵌めていれば外見では俺達妖怪と人間との外見上の違いはなくなる。 だが妖力制御装置を嵌めていてさえ、妖怪だからと言うだけで履歴書を突っ返され、 ロクな仕事に就く事も出来ず社会のクズとして肩身の狭い思いをしながら生きて行かなければいけないのであれば自分で会社を興せば良いと思った。 こんな田舎町の、朝から晩まで働き詰めで旅行なんかする暇もなく、毎日毎日働いて働いて、 生まれた土地を一生離れる事もなく、娯楽の少ない町で楽しみと言ったら町内のカラオケ大会ぐらいしかない、 そんな人間が楽しめる場を作ろうと思った。
 温泉だ。ただの温泉じゃない。スパなんて洒落た名前にして入場料とは別料金で、然し格安で各種マッサージを提供する。 元を取ろうと客が長居する、長居すれば喉も渇くし腹も減る。オリジナルドリンクやオリジナルフードを提供するフードコートも併設する。 不味いモンを出しては評判が悪くなるから全てのメニューは俺も試食して合格点を出したものばかり。
 楽しみの少ない町だった所為もあるが俺の目論見は当たり、俺のスパは連日そこそこ賑わっていた。 だが俺はこんな田舎町でのちっちゃな成功で終わるつもりはなかった。 ゆくゆくは長安にも進出する、その為には地方の個人経営の温泉場なんかじゃなくてきちんとした会社形式を整える。 数少ない、気心の知れた人間の友人に声を掛け、取締役の頭数を揃える為だと友人に説得され、友人の親戚連中も会社に招き入れ、 小さいながらも会社の形が整った。俺の成功譚はそこまでだった。
 役員に、と言うか信頼していた友人に裏切られたのだ。人間の役員だけの集まった臨時取締役会の席で、ハメられた事を悟った。 臨時議題で代表取締役社長である俺の更迭が決定した。

 あんまりじゃないか。あれは俺の会社だ。俺の会社だったのに。

 昨今の異変をご存知でしょう。何時正気を失うか、否、 正気を失うと世間では言われているが本当の所本性を表しただけではないかと言われている。 お分かりになりませんかな?貴方が我が社の社長である事はそれだけで世間からの信用を失うに値するんですよ。 ましてや妖怪を社長に据えた侭では事業拡大など望む術もない。

 何が我が社だ。お前の会社なんかである筈がない。お前が一体どれ程の苦労をして会社を軌道に乗せたと言うんだ。

 怒りの侭に町を歩き回り、気が付いたら弟の働くパン屋の近くに来ていた。
 どうしてこんな所に。どんな経路でこの店にやって来たのか記憶がなかった。 否、視界の端で幾つかの看板を留めた記憶はあったがそれらの看板や町の景色とがこの店に至るものだとは結び付いていなかった。
 立ち止まり、目の前の景色を見るとはなしに見る。
 見慣れた、こじんまりした店の前で暫し佇んだ後、おかしい、と思った。
 まだ日の高い時間なのに店内に客が一人もいなかった。客だけではない、オヤジさんも弟も、弟の婚約者の姿も見えない。 店の前にぼんやり突っ立っていると、店に入るでもない通行人達が不審そうに俺をじろじろと眺め回す。 その視線のどれもが俺が妖怪である事を咎めているような気がする。 そんな筈ないと思いながらも不躾な視線から逃げる為に店のドアを開けて店内に入ろうとする。
 が、ドアは開かなかった。
 なんだ、臨時休業か。
 人気のない店内の理由が分かった事に一瞬安堵するが、その割に休みの張り紙も出ていない。
 勝手知ったるとばかりに裏手に回り店舗兼自宅のその建物の、自宅の入口の扉を伺う。
 鍵は掛かっていなかった。
「こんにちは」
 声を掛けて暫く待つが誰も出て来ない。留守なのだとしても不用心過ぎる。 おかしいと思いつつ悪いと思ったが家の中に脚を踏み入れるとパン焼き竈のある厨房の椅子にオヤジさんは背中を丸めて腰掛けていた。
「こんにちは。あの、声を掛けたけど返事がなかったもんで」
「ああ、あんたか」
 俺の声に顔を上げたオヤジさんは妙な表情で数度目をしばたかせた。
「アンタは何ともないのか」
「え?」



 双子とは言っても、片割れに何かあった時に察する事が出来るとかTV番組や映画だので見るような特異な繋がりは俺達には無かった。 だからだろうか、弟の身に起きた異変を知らなかったのは。 何故弟はおかしくなってしまったのだろうと考える。俺は、何の異常も感じていないのに。
 もしかすると会社のヤツらは弟の事を知っていたのかも知れないと、オヤジさんの話を聞きながらうっすらと考えた。
「そんな訳で、ちょっと店を開けていずらくなっちまってね」
 おかしくなったのは弟であって、オヤジさんには関係ないだろう、と思ったが俺が言ってもどうしようもない事なので黙っていた。
「別にアンタの事を責めるつもりは」
 ない、とオヤジさんは言いたかったのだろうがその台詞が全て告げられる前に複数の足音が聞こえた。
 武器を持った、殺気立った幾人かの男達。
「間違いない、コイツだ」
「戻って来やがった」
「化け物が!」
 矢次早に見知らぬ人々が居丈高な大声で喚き立てるのに、どうやら弟と勘違いされてるのだと悟る。
「待て、俺は」
「出て行け!」
「妖怪はこの町から出て行け!」
「人違いだ」
「よくもぬけぬけと」
 怒鳴り声の中でもどうやら俺の声は届いたらしいが、相手は聞くつもりはないようだった。
「まあまあ、李さん、違うんだよ」
 オヤジさんが立ち上がって俺の前に出て行こうとする。
「そもそもアンタが妖怪なんぞを雇うから」
 李、と呼ばれたリーダー格らしい男がオヤジさんを睨み付ける。
「この人は本当に違うんだよ」
 おろおろと宥めるようにオヤジさんが言うが、要は俺がここを出て行けば良いだけだ。
「良いよ、オヤジさん。邪魔したな」
 オヤジさんの肩を軽く叩いてその脇をすり抜けようとする、が目の前には李が立ちふさがっている。
「退け」
「何処へ行く」
「家に帰るんだよ」
「この町を出て行けと言っている」
 太い眉毛にいかつい顔、野太い声。如何にも男性ホルモンが多そうなタイプだ。近い将来ハゲるに違いない。
「出て行くなら、こんな何ともない一般人を武器持って脅すようなアンタらの方じゃないのか」
「黙れ、この妖怪が!」
「李さん」
 李が俺の胸ぐらを掴もうとするのに、オヤジさんが間に割って入ろうとする。
「邪魔をするな!」
 不意に突き飛ばされたオヤジさんが後方に吹っ飛ぶ。
 慌てて振り返るが、椅子で頭を打ったらしいオヤジさんは起き上がって来ない。
「貴様」
 オヤジさんの側に駆け寄ろうか、そう逡巡した瞬間、李の背後に控えていたヤツらが叫び声を上げる。
「妖怪は死ね!」
 振り下ろされる包丁を飛びすさって避ける。スーツが破けて胸に血が滲む。
 脅しの一撃、と言うものではなかった。こいつらは本当に俺を殺すつもりだ。
 俺が正気であるかどうかなんて関係ない。
 ただ、俺が妖怪であると言うだけで。
 手近にあったパン切りナイフをひっ掴んだ。
 この残酷な気持ちが、俺の本性なのか?
 本当に?
 だがそれなら、初めて会った人間を出会い頭に殺そうとするこいつらは一体何なんだ。
 暴力に依ってではなく俺の会社を俺から奪い取った、それは暴力ではないのか?
「この化け物め!」
「死ね!」
「妖怪め!」
「妖怪め!」
「人間どもがあああっ!」
 怒鳴り声の響き渡る中、俺はナイフを振りかざす。

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「三蔵一行出て来なくてなあんだ」な方々済みません。私はこういう話も好きです。

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