ひとつの沈黙
好きこのんでこんなツラをしている訳じゃない。
ガキの頃から容貌を揶揄される度に思った。
大抵そんな事を言う奴は無視したがしつこく絡んで来る奴らは残らずぶっ飛ばした。 それだけでなく殺した事もある、数え切れない程。



地面に引き倒され腕を掴まれ脚を掴まれ汚らしい手で肌を撫で回され、そう言った時真っ先に沸き起こって来るのは怒りと殺意だ。 凶暴な殺意が膨れ上がるのを止めもせず自分の中の獣性を開放し殺戮に身を浸す。決して助けを乞い願ったりしない。 赦しを乞う事もしない。思いがけない反撃に腰を抜かして四つ這いになって背中を見せて逃げようとするヤツらも見逃してやったりはしない。
恐怖と嫌悪は遅れてやって来る。不意打ちのように忘れた頃に。
そんな時は目を閉じたら敵が襲い掛かって来るのではないかと子兎のようにびくびくと怯えながら何日もの間何も喰わず眠りもしない。 或いは胃の中のモノを全て吐いて寝台の上で背中を丸めてのたうち廻る。 襲って来る奴らは片っ端から殺したと言うのにそれでも恐怖は拭い切れず躯の奥に染み込み俺を苛む。 そして俺も俺を襲った奴らと同じ男なのだと言う事が何より俺の中に割り切れない混沌を、混乱を、困惑を残した。



待覚僧正に出会い慶雲院に腰を落ち着け、悟空を拾ってからは随分落ち着いていたのだ、それでも。 まだほんのガキにしか思えない悟空は「男」と言うものを感じさせず、 時折悪い夢に魘されて涙を流して袂にしがみついて来る様は丸きりただの幼子だった。 だから洗面台に屈み込んで吐き続ける俺の背中を「大丈夫か?」と言って撫でさする悟空の手を払い退けた事は無かった。







生かした侭連行しろと言われた筈だった。高価な仏教美術品は金持ちの多く住まう街──此処長安に集まって来る。 殺すなと釘を刺されなくとも俺だって窃盗団の一味から経文を追う手掛かりを聞き出すつもりだった。 床に蹴倒したヤツが何時の間にか俺の足下迄這いずって来て足首を掴む迄は。
「離せッ!」
反対の脚でそいつの顎を蹴り上げてもヤツは尚も手を離さなかった。 その隙に残りのヤツらが一斉に襲い掛かって来て床の上に抑え込まれた。
その後の事はよく覚えていない。
気が付いたら全員死んでいた。何時の間にか俺は起き上がり仁王立ちになり両手で銃を構えていた。 俺の足首を掴んでいたヤツは頭部を見る影もなく吹き飛ばされていた。 何発撃ち込んだのかも覚えていなかった。

──俺が殺したのか?

全員銃弾を撃ち込まれ事切れていた。 銃痕を見れば俺が殺った事は明白なのに何時ただの一人も生かしておかず殺してしまえと判断したのか記憶になかった。
家の中は酷い有様だった。 壁に飾られていた元は盗品だった絵画も血で汚れ地方官吏が一生コツコツと金を貯めてやっと一つ買えるかどうかと言う値打ちものの青磁の花瓶も床の上で粉々に割れていた。 ぼんやりと室内の惨状と死体とを順番に眺め渡し、 最後に頭部の無い死体から流れ出る血──否、血溜まりの中に自分が立っている事に漸く気付く。
悲鳴を上げた筈だったが声は出なかった。咽の奥で引きつったように呼吸を繰り返し扉を開けて逃げ去るようにその場を離れた。





三仏神に報告、いやその前に官吏を手配しなくてはと碌に働かない頭で考えを纏めながら窃盗団の隠れ家を後に街中に戻った時の事だ。 猪悟能改め猪八戒の同居人であるあの赤毛クソバカ河童を見掛けたのは。 筋肉質な剥き出しの腕に両腕でしがみつくように細身の女が絡み付いていた。一目で水商売だと分かるその女は然し、 商売の事を抜きにして悟浄の傍らにいるのだと朴念仁な俺にすら分かる幸せそうな表情を浮かべ何が面白いのか甲高い声でころころと笑っていた。
あいつだったら無理強いはしないのだろうな、と不意に思った。 力づくで床に押し倒し四肢を抑え込み無理矢理衣服を引き千切るような真似は。
考えてから何をバカな事を、と自分の思考を打ち消す。
他人に気軽に触れる事の出来ない事を別段不便だなどとは思った事は無い。 肌に他人の呼気がかかり、体温を感じる迄に近付かれると肌が粟立つ位の事、どうと言う事も無い。
袂から煙草を取り出して銜えながら踵を返した時背後から声を掛けられた。
「あれー、三蔵サマ?」
でけえ声を出すな、バカ。
「どしたの、こんな処で」
うるせえな。俺が何処にいようと俺の勝手だ。頭の悪い河童の呼び掛けは無視して雑踏の中を歩き続ける。
「ちょっと、ムシすんなっつうの」
声と共に肩に手を掛けられる。突如左肩に感じる他人の体温と、汗の滲む掌の湿り気に肩が撥ねた。
「・・・触んなっ!」
振り返り、反射的に手を払い退けた。
「・・・んだよ」
むっとしたように口の端を下げ文句を言いかけた悟浄の薄い唇が止まる。
「アレ?あんた痩せた?ちゃんとメシ喰ってんのか?サルにメシ全部喰われちまったとか?」
矢継ぎ早に言いながら遠慮無しにぬ、と近付いて来る顔。
性的な意味を一切含んでいない動作だと頭では分かっているのに考える間もなく腕が動き手の甲で悟浄の顔を払おうとする、 がいち早く悟浄は上半身を引いて俺の手は空を切った。
「いきなりナニすんだよアンタ」
今度こそ不機嫌さを顕わにして俺を見下ろして来る、長身。
男の、身体だ。ひょろひょろとした自分のものよりも逞しい、肩幅の広い筋肉の付いた体躯。
ほんの一歩、詰められる距離に上手く呼吸が出来なくなるのを無理矢理口を開いて息を気道に通す。
「うるせえ、ゴキブリ河童」
開いた唇を誤魔化す為に口汚い言葉で罵る。
認めない。俺は認めない。これ位の事で口の中が干上がり全身が震えそうになっているだなどと俺は認めない。

触るな。

触るな。

俺に、触るな。

タイトルをね、考えるのが凄く苦手なんです。これは詩集をがばっと開いて目に付いたフレーズから。 そのうち競馬パラレルでもないのに馬の名前がタイトルになる日が来ると思います。

かたわらに」三蔵バージョン。

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