泳げない心 1
朝、家で壁に掛かっているカレンダーを見た時から何か引っかかるものがあったような気がしていたのだ。


寺の私室で窓際で煙草を吸いながら肌寒さを感じていた。
寺からの帰り道に虫の声を聞く事もない季節となっていた。直に本格的な寒気が訪れて窓を開ける気もしなくなる程に外気が冷たくなる。 窓を開けないと煙草の匂いが部屋に染み付く、 然し今更冬の間だけ匂いを気にした処で手遅れな位には煙が染み込んでいるか、そう考えた時だった。
思い出したのだ唐突に。今日が何の日か。
慌てて振り返り暦の日付を確認する。
「アホ河童・・・」
煙草を銜えた侭そう呟けば、悪戯な風に靡いた煙が舞い上がり目に染みた。
早く帰って来いともなにがしかの欲しいものがあるとも言われなかったが、間違いない、今日は河童の誕生日と言うヤツだった。
その生まれを喜ばれはせず義母に虐待を受けて育った悟浄にはカレンダーに印を付けて自己主張する習慣はなく、 同様に一応、戸籍の上での誕生日と言うものを持ってはいてもそれは単に拾われた日に過ぎない事を知っている俺と。
慶雲院に腰を落ち着けてからは、「三蔵様の生誕日」にかこつけて法会を開催し人民からの喜捨を当て込む坊主共と、 莫大な喜捨の代わりに説法をせがむ街の有力者達との間で忘れたくても忘れられないそんな日になった生誕日と言うものを、 敢えて普段は意識しないように日々を送っていたのだ。
煙草を灰皿に押し付け慌てて机の上を片付け始める。が、途中で今更急いで帰った処でどうなるものでもないだろうと我に返る。 大体俺は、今頃河童の誕生日だと気付いただけあってヤツに何か欲しいものがあるかとも訊ねもしなかった。 息せききって何処ぞの店に飛び込んだ処でヤツの欲しそうなものなど見当も付かない自分に適当な品を選べるとも思えなかった。
どうせ今の今迄忘れていたのだ、この侭思い出さなかった振りをしてしまえ、と思う。 大体ヤツの誕生日と言ったら毎年記憶が無くなる位滅茶苦茶に抱かれ翌日は全身が怠いわ腰は痛いわの散々な目に遭わされて来たのだ。
「誕生日なんでご馳走を作りますよ」
と言い出す八戒もいないのだ、わざわざ自分から祝ってやるなどと言ったら・・・まるで自らヤツに抱かれたいと、 そう言っているようではないか。
机上を手早く片付けてから乱暴にドアを開ける。
「三蔵様、どちらへ・・・」
「所用を思い出した。今日は帰る」





今朝方飯を作った時に見た冷蔵庫の中身を思い出しながら市(いち)へ向かう。 あのアホ河童はガキの味覚なので肉とか肉とか肉とかを、食わせておけば取り敢えず喜ぶ事は分かっている。 自分の作れるもの、作れそうなものを考えながら忙しく買い物を済ませ帰宅する。
旅の間に大量の料理と共に「お誕生日おめでとうございます、悟浄」「おめでとー!」 と八戒と悟空が告げるのに驚いたように、 だが少し照れながら敢えていつも通りに振る舞おうとムキになって悟空にちょっかいを出していた悟浄の姿を思い出しながら河蝦の背綿を取る。
良いトシして誕生日なんざ祝って貰って喜んでんじゃねえよバーカ、と思いながら卵をボウルに割り入れる。
「三蔵も祝ってよ」なんて言いながら毎年酒くさい口でベロベロしつこく口付けて来るんじゃねえよエロ河童、 と思いながら乱暴に野菜を洗いざくざくとまな板の上で刻んで行く。
鍋に水を張りながら、思う。
自分から祝ってやると言い出すのも恥ずかしいものなのだと。
事ある毎に「八戒の手料理は美味い」と言ってのけるヤツに(そんな事言われなくたって知ってんだよゴキブリ野郎) 普段作らないような料理をこさえてやろうとしている自分のバカさ加減にも腹が立つ。
「・・・・・・」
やっぱりこんな事するのではなかったと、 材料を流しに捨てて何事も無かったかのように綺麗に片付けて出来合の料理でも買いに行こうかと俯きながら鍋を火にかける。
「・・・早く帰って来やがれ、バーカ」

続く

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