泳げない心 2
長安に引っ越した俺の元へ三蔵が居を移してくれた時は本当に嬉しかったが、
それが俺が思っていたものとは何かが違うと考える迄には大して時間は掛からなかった。折角一緒に暮らしているんだし、一日ベッドから出ないで抱き合っては眠り目を覚ましては抱き合い、 腹が減ったらメシを喰って食欲が満たされたらまた抱き合って、なんて自堕落な生活をダラダラ続けていけたら、 なんて思っていたのは俺だけだったらしく、三蔵が俺の処へ来て3日目の朝、腕の中のスカスカする手応えと言うか、 手応えの無さに目を覚ましさして広くもない家中三蔵を捜し回った時には三蔵は寺へ「お勤め」に出ていた。
そりゃあ寺を出たからと言っても三蔵がいきなり無職で俺に囲われる身になった訳じゃあないだろうとは思っていた。 思ってはいたがこんなにも短い蜜月で三蔵は満足してしまうのかと寂しく思った。
裸でベッドに転がり込んで解け合う程に抱き合いさんざ体温を上げて熱を吐き出し合って、 裸足の脚を絡めながら肌に浮かぶ汗を唇で舐め取って、汗まみれのお互いを腕を回してカラダを寄せ合って、 時間も曜日も忘れて互いにだけ没頭する、そんな事を望んでいたのは俺だけなのかよと思った。
そりゃあ三蔵は最高僧サマだし異変が収まったと言っても相も変わらず三蔵の施してくれる救いを求めている奴らは沢山いるし、 「身の危険をも顧みず遥々西方天竺まで旅をし異変を収めた最高僧」 ともなれば旅に出る前以上に色々と大変なんだろう事は自分勝手な俺にだって分かる。
分かってはいるけれど、仕事が大変だとかそう言う陳腐な理由以前の問題でブチ切れ、 ほんの数ヶ月の間に数度、三蔵はこの家を出て行こうとした。
一度目は俺が時給の良い夜のバイトをしていた時。つってもヤバい仕事なんかじゃなくて健全に夜の酒場でバーテンダーをしていた頃だ。 あまりにも一緒にいられる時間の少ない事に三蔵は不安になり、この家に持ち込んだ私物もその侭に旅に出ようとした。
喧嘩の度に俺をハリセンで殴り付け口汚く罵っていた頃からは想像も付かないが、 何時の間にか三蔵は俺に不満がある時は俺を罵る代わりに視線を逸らして黙り込んでは一人でテンパるようになっていた。
俺が望んでいたのは本当にこんな事だったのだろうか。
俺の一挙一投足が三蔵を不安にさせるのなら、いっそ一緒にいない方が良いんじゃないだろうか。 長安に引っ越すと決めた時には、一緒にいる事で逆に不安になる事もあるだなんて思いもしなかった。 表だって愛情表現を示す事が苦手な三蔵は然し、目に見える愛情を示され続けていない限りすぐ不安になる。
こんな関係になる前はいつも毅然とした態度を崩す事のなかった三蔵の、意外な脆さに俺も戸惑っていた。
がちゃりと音を立ててドアノブを回すと、冷え切っているとばかり思っていた家の中からは暖房の温かい風が流れ出して来る。 今日は三蔵は俺より先に帰って来ていたらしい。珍しい事もあるもんだ、と思いながら「たっだいまー」と口に出す。
「今日は早かったんだ?」
ジャケットを脱ぎながら灯りの点いている台所にひょいと顔を出す。 果たして三蔵はソコにいたが、驚いた事に既に夕飯が出来上がっていた。
「・・・まあな」
素っ気なく三蔵が答えるが、まあなどころじゃなく随分早くに帰って来てたんだな、と俺は思う。
「メシ、作ってくれたんだ。さんきゅ」
「いいから手を洗って来い」
「はーい」
ガキにするもののような台詞にも素直に返事をする。
ジャケットをハンガーに掛けてうがいして手を洗ってから再び台所に戻った。
椅子を引きながらテーブルの上の皿を見て、珍しい事もあるもんだ、と再度思う。 旅に出ていた間は肉が入ってようが魚が入ってようが八戒の作るものを黙って食ってはいたが、 実際自分で作るとなると普段はほぼ菜食で粗食の三蔵が作ったにしては珍しく、豚の角煮(だけじゃなく大根も一緒なのが三蔵らしいが) とか茶碗蒸しとか、あとは良く分からない料理だとかが並んでいた。
その良く分からない料理を三蔵が背中を向けている隙に箸で摘んでみれば、白菜と肉と白菜と肉と、と幾重にも厚く重ねた煮物だった。
出汁が染み込んでいてシンプルながらも仲々美味いソレにビールよりは日本酒の方が良いかな、 と思いながらも毎晩の条件反射でつい冷蔵庫に手が伸びるのにどん、と乱暴にテーブルの上に何かが置かれる。
「・・・ナニ?」
つまみ食いしたのがバレたかと固まりながらぎこちなく物音のした方へ顔を向ける。
「・・・魔王?」
「・・・飲みたければ飲め」
片手に瓶を鷲掴みにしてもう片方の手を腰に当てて立つ三蔵の姿が魔王のようだった、と言う意味では勿論なく。
「うわ、コレどーしたの!!」
元値自体は大した事がないのだが最近人気絶頂中で品薄で品切れで超レアとなりつつある、 オークションなどでは結構なお値段が付く焼酎だった。 蔵元から直接購入しない限り、この720mlの小振りの瓶ですら1万かそこらはする筈だ。
「イヤなら飲むな」
「イヤな訳ないっしょ!どしたの?パチンコの景品とか?」
パチンコの景品は賞味期限切れ間近の商品が流れて来たりする事もある。然し三蔵がパチンコっつう訳もねえよなあ。
「何がパチンコだっ!飲みたくねえならいいっ!」
「ナニ言ってんの、飲むに決まってる・・・」
気を悪くしたように怒りながら照れる三蔵を目にし、慌てて小瓶を奪い取って抱え込む。
・・・照れて・・・?
「・・・もしかしてさあ・・・」
「何だ。ロックで良いか」
くるりと背中を向けて食器置き場からグラスを取り出す三蔵を眺めながら冷凍庫のドアを開ける。
「うん。氷出すな。三蔵様、もしかして俺の誕生日」
がちゃん!
うわ、ビンゴですか。
「おい、だいじょぶかあ?あ、割れてはいねえんだな、良かった」
唐突な物音に急ぎ近付いて並んで覗き込んでみれば、頬を赤くした侭俯く三蔵の指先がカタカタと激しく震えていた。
動揺している。
あの、三蔵が。
普段の傲岸不遜な態度が嘘のように。
誕生日を祝ってやる、の一言も言えはしないクセに指を震わせてグラスを取り落としている。
あんたにとっては気持ちを示すのって、こんなにも勇気が要るものなんだ。
呆気にとられまじまじと横顔を眺めている俺の視線に気が付いているだろうに、 頑なに下を向いたきり顔を上げようとしない三蔵に、何故か涙が溢れそうになる。
「グラス、貸して」
そう言う俺の声は震えてはいないだろうか。
俺の指も三蔵同様に、震えてはいないだろうか。