when you wish
煙草をダシに狭苦しい宿の部屋を抜け出せば「俺も」と言って悟浄がするりと長身を扉からくぐらせた。
「煙草を買いに行く」と言えば悟空も八戒も咎めこそすれ附いて来る事は無いと知りながら半分以上残ったマルボロを袂に潜ませて。
「また来年も」
調度一年前「来年も一緒に居られると良い」
と言ったその言葉が現実になったのを魔法か何かだと勘違いした悟浄がそう言って人混みの中だと言うのに、
いや、人混みに紛れて他の奴らはいちいちこちらなど見ていないと思ったのかも知れない、
腰に手を回して来て少しだけ躯を引き寄せられた。
生きてさえいれば、そしてそれは別に頭の弱い気の毒な河童を神仏が特別に目にかけてくれたが故の事では無く互いが今まで生き残っていたのは偶然と運と、
そして自らの生きたいと思うが故の醜い程の必死な足掻きの成果だと気が付きもしないで。
そんな約束に意味などありはしないのにどうしてこいつはそんな言葉などで約束を強請りたがるのかと不思議に思った。
言葉にするだけで未来が確約されるのならばそんなもの幾らでも口にしてやる。
誰にも言った事はなかったが子供の頃から俺はお師匠様のお側にずっといるのだと決めていた。
寺の坊主の幾人かが陰口で言っていたように三蔵法師のお側に仕えている事をカサに着て将来の地位の為に取り入るつもりなど全く無かった。
お師匠様が俺の事を不要だと仰るまではずっと側にいようと思っていたのだ。あの晩が来る迄は。
願いは叶う事無くお師匠様は俺の目の前で無惨な死を迎えた。
俺を庇うように広げた腕を生きた侭切り落とされ勢いよく血が噴き出すのに苦悶の悲鳴一つ上げる事なく。
のんびりと煙管を支えていた時折頭を優しく撫でてくれた擦り剥いた膝小僧の手当をしてくれたその手が腕から切り離された時の侭の形で人形のそれのようにもう動く事も無くぼとりと床に落ちて行くのを見ていた。
「欲しいものがあったら言って良いんですよ」
親の顔を知らない俺を親以上に甘やかしたがったあの方は小さな子供の頃から幾度となくそう言ったが何も欲しいものなどありはしなかった。
お師匠様のお側に居られれば、それだけで良かったのに。
言葉一つで願いが叶うのであれば何回でも、何度でも言う。あの時に戻してくれと。
優しい腕が、次いでお師匠様の生命が永遠に喪われた絶望的な時間の前に。
お師匠様が生き返るのであれば自分の生命などなくなっても構わない。
俺が死ねばお師匠様を生き返らせてやると約するモノがあるのならば今すぐにだって死んでも構わない。
約束など無意味だ。
あの時に戻れたとして、俺が死んでお師匠様が生き残って、俺が悟浄と出会う事がなくともそれでも構わないのだ。
数え切れない程躯を重ねた相手に腕を廻されているのにそんな事を思う。
自分が甘い未来の約束を強請っている相手はそんな無意味な約束にさえ値しないと。
こいつは知らないのだと長い指に絡められる事の無い自らの手を苦く見下ろした後伸び上がって掠めるように悟浄の唇に口付けた。