ever with you
思いがけない成り行きで悟浄といかがわしい宿に出向いた。
これまた思いがけず日が暮れてから寺に戻る事になったがそれだけの時間一緒にいたとは言っても俺と悟浄との間に何があったと言う訳ではなかった。
否、肉体的には一線を越えはしなかったと言うだけで気持ちの上では寺を抜けて悟浄の出向きそうな場所へ先回りした段階で俺の感情ははっきりと悟浄に傾いていた。
只、不慣れな俺をどう思ったのだか、悟浄は口付け以上の事はしないと宣言し、事実その通りにした。
寺の前で悟浄と別れ私室に戻れば夕餉の時間は過ぎていたが側附きの小坊主が気を利かせて食事はどうするかと訊ねて来た。
メシは喰っていなかったが正直胸が一杯で食い物が咽を通りそうになかったので「否」とだけ答え放っぽり出しておいた仕事に取り掛かった。
書類に朱を入れたり決済の印を押したりしているうちに悟空が「三蔵!風呂入ってくんな!」と宣言し
「三蔵!風呂入った!」と濡れた頭を乾かしもせず戻って来たのをハリセンを喰らわせて叱りつけ「さんぞー!オヤスミ!」
と告げるのに生返事をしたのを最後に煩く身辺をちょこまかするヤツはいなくなり一人仕事に勤しんだ。
刻々と更けて行く夜に眠気が襲いかかりふと集中力が切れると唇が仄かに暖かくなった。
別れてもう数時間も経つと言うのに未だ悟浄の唇に触れられているような気がする其処。
衣服をまさぐりながら耳朶を甘噛み甘ったるい声で呼ばれた。幾度も耳元で「三蔵、三蔵」と。
指先にまで口付けられ体内に灯った熱が体を駆け巡り手足に力が入らなくなった頃その身を離され
「そろそろ帰るか」と告げられた。
危ない処だったと思う。
あの侭続けて口付けられていたら何を口走ったものか分からなかった。
悟浄と過ごした時間を思い出しただけで火照ってしまった頬を両掌で包み込んで熱を冷ましながらふるふると頭を振る。
こんなこっ恥ずかしい事を思い返して時間を無駄にする訳にはいかなかった。
放り出した仕事を朝迄に終える為、俺は再び目の前の書面に没頭した。
再び悟浄が姿を表したのはそれから数日経ってからだった。
「今、いい?」
そう訊ねられるのに頷いて「三蔵様、御公務が・・・!」と言う坊主共の声を無視して寺を後にした。
「腹減ってる?」
「いや。昼を喰ったばかりだ」
「そっか」
そんな遣り取りの後茶藝館で砂糖漬けの果物をつまみながら茶を飲んだ。
気候の温暖な南方で作られた、醋のような濃色を湛える黒茶が白い器に映える。
差し向かいで生花(落花生)をちまちまと殻から取り出しては口に運んでいる悟浄に何と告げようかと考える。
今日はそれ程仕事が詰まってはいなかった。
坊主共が咎めるように呼び止めるのをあっさり聞き流せる程度には。
それと言うのもここ数日気を抜いていると筆を持つ指先にまで悟浄の唇が這った事を思い出してしまいそうになり、
その気恥ずかしさを紛らわす為ムキになって前倒しで仕事を片付けた為だ。
然しいきなり「今日は早く帰らなくても良い」などと言い出してはまるで、その、
先日行ったような処に連れて行けと言っているようで酷く物欲しげに聞こえる。
「なあ、三蔵」
呼ばれ、顔を上げる。
「小猿ちゃんは元気?」
告げられた言葉に一瞬きょとんとする。
元気も何も数日前にも寺に来たのにそんな短期間で悟空の身に新たに告げる必要がある程の変事が起こりうる筈がなかった。
「相変わらず大食らいで喧しくてぶん殴りたくなる程元気だ。気になるんだったらサルにも顔を見せておけ」
「あー、まあそのうちな」
曖昧に悟浄は言葉を濁す。そう言えばこの間来た時も、いやそれだけでなく、
悟浄がふらりと訪ねて来る時は悟空はいるかと訊ねる事もなく俺だけが連れ出されていた。
出掛けるのに必ず悟空同伴でないとイヤだと言い張るでもないので気にもせずいたのだがそれはもしかして、
そういう事だったのだろうかと不意に気が付き棗を摘もうとしていた手が止まる。
それは、その、つまり、気が付かなかったが悟浄は随分前から俺をそういった対象だと思っていたと言う事なのだろうか。
「どした?」
「いや・・・」
先日あんな事をした後だと言うのに悟浄の態度は以前と変わらないもので、
一人で狼狽している自分が恥ずかしくなり湯呑みを見下ろす形で視線を落とす。
この間まではこんな風に悟浄と二人で過ごしていても煙草をふかし「全くバカ猿のヤツは」
と言いながらどうと言う事もなく話をしていたのにどうも調子が狂う。
「・・・そう言えば昔」
ごそと袂を探って煙草を取り出せばすぐ様目の前にライターが差し出される。
「ん?」
「悟空のヤツが籠一杯に蜻蛉を捕まえて来て部屋ん中で蓋を開けた事があった」
「ぶっ」
『さんぞー、見てくれよコレっ!』
そう言って目の前で開け放たれた籠からうじゃうじゃと蜻蛉が飛び出して来て部屋の中を埋め尽くした。
蜻蛉を捕まえたと得意気に悟空が報告して来たのはその数日前の事だった。
その時は一匹だけ、羽を指先で挟んで見せびらかしていたのだが。
悟空が何やら入れ物を探していたと側附きの坊主に告げられた時も、
悟空が何時の間にか出掛けていたらしいと知った時もよもやそんな事になるとは思いもしなかった。
「それマジで?」
「本当だ。30匹は下らなかったろう、私室で──俺の私室は執務室の半分もない狭い処でな、そこにうじゃうじゃと」
答えると他の客を気にする事もなく悟浄はぎゃははっと声を出して笑い転げた。
「で、どーしたよ」
「どうもこうもあるか。窓を開けてすぐ外に出した」
煙を吐き出しながら答える。
壮観、などと言うものではなかった。はっきり言って鳥肌立つ程気色悪かった。
袖にたかろうとする呑気な蜻蛉の姿に思わず後退ったのを覚えている。バカ猿は何をするにも加減と言うものを知らなさ過ぎる。
「はー、凄えな小猿ちゃんは。オオモノじゃねえの?」
「限度を知らないだけだ」
漸く笑いの発作が収まったらしく肩で息をする悟浄に答えながら吸い殻を灰皿に押し付ける。
「じゃ、行くか」
目元に未だ笑いを滲ませた侭銜え煙草で伝票を持って悟浄が立ち上がるのに続いて席を立った。
店を出た処で不意に悟浄が顔を寄せて耳元で
「今日はまだ帰らなくて良いの?」
と囁いた。折角普通通りに振る舞うのに成功していた処に不意打ちのように先程まで盛大に笑い転げていたアホ面を微塵も感じさせない大人の男の表情で。
悟浄の言葉に自分が赤面しているのではないかと思った。
だから顔を見せないように俯いてから頷いた。