ニューロン
突然の大雨にびしょ濡れになりながら生憎身を隠すような場所も無く仕方なく走行し続けた矢先視界に入って来たのは「館」と言って良いような建物だった。軒先でも厩でも良いから雨宿りをと申し入れてみたら意外な程あっさりと館に招き入れられた。 外界と街の丁度境にあるこの館は恐らく街の護りも兼ねているのだろう。 姿こそ見えないが屋敷内には用心棒だか侠客だかが少なからずいる筈だ。
自分で言うのも何だが共通点の一欠片も無い不審げな男4人組が易々と招き入れられたのは自分のこの法衣と額の印の所為であろうと想像するに難くない。
着替えまで全て濡れてしまっていたので用意された部屋着を身に纏う。 着替えを済ませた八戒が濡れた服の洗濯だといそいそと脱いだ服の回収にやって来たがこの天候では明日迄には乾かないかも知れなかった。
食事を供された後、予想していた通り一人だけ館の主だと言う者の部屋へ呼び出された。
長い廊下を執事の後をついて歩くとふと窓硝子に激しく打ち付ける雨粒が目に入った。
通された部屋で待っていたのは身なりの良い夫婦。決して安くは無さそうだが上品に抑えた衣類。 おざなりに歓待の礼を述べる。
「実は、法師様をお呼びだて致しましたのには理由がございまして・・・」
行く先々で耳にするいつもの懇願だと思い即刻断ろうとした。
「私どもの娘の為に経を詠んで頂きたいのです」
ざあと、突然雨音が強くなった。
「・・・・・・」
「6年前、私達の目の前で妖怪に殺され」
不揃いな、然し力強く叩き付ける音。
「・・・まだ4歳でした」
無理矢理全身に響き渡る、天から降って来る水音。眩暈がする。
通された部屋には既に娘の気配は残っていなかった。
何故経をあげてやる気になったのかよく分からない。
自分にそんな心があるとは思えないが幼くして亡くなった娘を哀れに思ったのか。
或いは目の前で娘を殺されたこの夫婦が哀れに思えたのか。
死んだ者に心を囚われた侭でいるのは哀れだ。
声を上げて泣き崩れる夫婦を横目に声もかけずに部屋へ戻った。
「んじゃ何よ。妖怪の自我の崩壊が起こり始めたのはここ最近の事じゃないってコトか?」
宛われた部屋に戻ってみれば一人一部屋ずつ割り与えられていたにも関わらず何故か俺の部屋が集会所になっていた。
「三蔵を引き留める為の嘘じゃねえの?」
「悟浄」
咎めるように八戒が名を呼ぶ。
「意味も無く人を殺めたからと言って必ずしも自我が崩壊していたとは限らん」
10年前経文を追って寺を下山した後は妖怪だけでなく人間の盗賊に方々で遭遇した。 半分は自分で追っていたが半分は望みもしないのに遭遇したヤツらだ。
自我が崩壊していようといまいと身を持ち崩すヤツなんて幾らでもいる。妖怪であろうと人間であろうとそれは同じだ。
だから自分が遭遇した妖怪達も、異変とは関係なく自分の意思で「妖怪殺し」である俺を追っているのだと思っていたのだが。
・・・どうなのか。気が付かなかっただけで当時から・・・?
分からない。だが可能性はある。
牛魔王の蘇生実験に関わっているかも知れないという聖天経文。
もしかしたら当時から蘇生実験と平行して妖怪達の自我を乗っ取る実験が成されていたのではないだろうか。
・・・師を殺し経文を奪い去った妖怪達を当時は盗賊だとばかり思っていたが。
然しどの三蔵がどの経文を持っているか、どの経文にどんな作用があるか、 そういった当の三蔵同士が互いに知らない事柄を妖怪達が知っていたと言うのも考えにくい。
良く・・・分からない。
「・・・・・・」
「三蔵、大丈夫か?」
気が付くと悟空が至近距離から顔を覗き込んでいた。
「何がだ」
ぎろりと睨み付けながら返答する。
「だって三蔵、なんか疲れてるみてーだし」
「バカ面近付けられりゃイヤでも疲労する」
「何だよソレッ!」
「傷は塞ぎましたけど、出血が酷かったですしねえ」
わめく悟空の横からしかもその後長時間雨に打たれましたし、と八戒がにこやかに笑いながら言葉を挟んだ。
「今日はそろそろ休みましょう」
有無を言わせぬ口調できっぱり言い切られると誰一人反論せず八戒の提案に従った。
「んじゃ部屋に戻って寝るか」
「おやすみ、さんぞー」
ぱたりとドアが閉められたのを見届けて寝間着に着替える。 雨に濡れ着用に耐えなくなっていた単衣代わりに用意されていたのは絹のパジャマだった。 その、普段着ない絹の感触に違和感を覚えながら袖を通す。
替えの衣服を用意してくれと、屋敷の人間に交渉したのは八戒だった。 こんな雨の日は八戒にはあまり良くない筈だったが人の世話を焼いていると気が紛れるらしい。 怪我人扱いで気を遣われるのは気分が悪いがそんな事で気鬱が紛れるのなら多目に見てやろう。
一人になってみると確かに少し疲れを覚えたのでベッドに腰を下ろす。
傷は昼間悟浄や八戒が騒ぎ立てた程酷くは無かったし出血も貧血を起こす程では無かった。
旅の疲れが出て来ているのかも知れない。
・・・考えなくてはいけない事が多過ぎるから。
10年の間思考を先送りしていたつもりは、決して無かったが。
眼を閉じてベッドに上半身を投げ出すといっそ気持ち良い程の浮遊感が襲って来た。
脳内の思考が一瞬にして全てとろけて混じり合う。
今迄上手くリンク出来なかった事象一つ一つの枠が消えて無くなり、接点を持って新たに目の前に示されるのでは無いか。
期待を以て脳内で起こっている暴走の成り行きを見守る。
途端。
ドンドンドンッ
ドアをノックする音が聞こえて来て、またあの夫婦に呼び出されるのかと思い顔を顰めたが返事も待たず一瞬の後開いたドアから顔を出したのは悟浄だった。
「何の用だ」
慌てて身を起こす。上手く行きそうだった思考の接点を繋げる鍵は既に霧散していた。
「忘れ物」
「何だ?触覚なら手前の頭にちゃんと付いてるぞ」
部屋に入り込んで来た悟浄を忌々しく睨み付けると意外な返事が返って来た。
「傷、見せて」
「ああ?」
「ホラ、昼間の怪我」
「もう、ねえよ」
八戒が塞いだの見てただろ。バカじゃねえのか。
何考えてんだこの河童。顔を見てやろうと思ったら・・・何だよそのツラは。
「それでも良いからみして」
「もうねえっつってんだろ」
近寄るな、バカ。
「うーん、それでもちょっとだけ」
「しつけえ」
手前にそんな事してやる義理はねえ。
ゴリッ
額に銃口を突き付けてやる。
「・・・もう撃てるんだ」
「当たり前だ。あれから何時間経ったと思ってる」
「分かりました。降参」
にやりと苦笑を浮かべ両手を上げて悟浄が後ろへ下がる。
「バカが。とっとと寝ろ」
思い詰めたような顔をしてやって来た悟浄の真意は他にあるらしかったが馬鹿馬鹿しい一幕の後あっさり引き下がった。
顔に「勇気を振り絞ってやって来ました」なんて書いてあるクセに覚悟の決め方が中途半端なんだよこのクソ河童。
大方またくだらない事でも考えているんだろう。
「世話焼かすんじゃねえよ」
ため息を吐きながら閉められたドアに向かって一人ごちる。
ほら、また考える事が一つ増えた。