はさみ
うまく開けられなかった菓子の袋に悟空は噛み付いた。 止せ、と三蔵が制止するのも聞かず犬歯を立ててぎり、と袋を噛み締め左手で菓子袋を強く引く。
勢い良く裂けた袋からポテトチップス(のり塩)が部屋に飛び散った。

「このクソ猿ーっ!!」
悟空の頭に三蔵の拳骨が振り下ろされた。
「だって開かなかったんだもんっ」
痛みに涙目になりながら訴える悟空を三蔵は容赦なく怒鳴りつける。
「だってじゃねえっ!鋏を使えっ!」





ぎゃんぎゃんと廊下の奥から聞こえてくる大声が誰のものか最初は分からなかった。 悟空が近所の子供でも連れて上がったのかと思ったのだが、 それなら時間が経てば暇乞いを告げる声と共に子供達がばたばたと廊下を歩み出てくる筈だ。 結局夕刻になっても部屋から誰も出て来る気配が無いので矢張り知らないうちに近所の子供が上がり込んでいた訳ではない事が分かった。
だがそれならばあの大声の主は考えもつかなかった人物と言う事になる。 否、一瞬脳裏を掠めはしたのだが彼がそんな風に大声を上げる所など見た事が無かったのであの罵倒と彼が結び付かなかったのだ。



彼がこの寺に引き取られて2週間経つ。
病気で亡くなった彼の養父から彼の後見を頼まれていた父──住職がその旨申し出てみれば彼はあっさりと頷いた。 葬儀の数日後様子を見に行ってみれば、彼の養父は自分が永くない事を悟った時に身辺整理を済ませていたらしく大きな家はがらんと片付いていた。 殺風景な家の中一人暮らす彼を心配し寺で引き取るという話を持ち掛けてみれば彼は異議も唱えず、 生家を売却する事にも同意した。 未成年は法律行為を成す事が出来ないので遺産整理や引っ越すにあたっての細々とした事に立ち会った。その為の後見だ。 彼自身に累系は無く、また彼の養父も親族の一人もいなかった為生前から後の事を頼まれていたのだ。
寺に越して来た晩彼は自分達に彼の名義の通帳を差し出した。 この寺が気に入らなければ何時でも出て行けるだけの金額の振り込まれたそれ。 タダで世話になる訳にはいかないと、そういった趣旨の事を口にした。
遺産目当てで後見を引き受けた訳ではないのだと押し問答の末、 学費と月々の生活費だけ受け取る事にしてそれ以外は郵便局に預けておく事にした。 彼と養父の住んでいた土地が売却されれば結構な額になるだろうがそれも同様に貯金しておくつもりだ。
生真面目なその発言は子供らしくないとも言えるが矢張り子供だ。 通帳に記載されている額がタチの悪い人間だったらその侭横取りしたくなるか、 或いは一犯罪起きるだけの金額である事を理解していないのだろう。 金額の大きさを彼がを理解出来るようになる迄は金の事は蒸し返さないでおいてやろうとその晩住職とこっそり合意した。


父親が亡くなって二月も経っていないのだから無理は無いが彼が笑うのを見た事が無かった。 笑うどころか声を荒らげた事も無いし我が儘の一つも言った事が無い。部屋は散らかさないし食事の後は黙っていても片付けを手伝う。 竹箒の在処を教えはしなかったのに気が付くと境内を掃除していたりもする。文句の付けようもない程出来たガキだ。 残した食事をさりげなく悟空の皿に載せる事以外は。

悟空は三蔵の事を随分気に入ったようだった。 偏食と言う訳では無いがとにかくあまり量を喰わない三蔵が料理を自分の皿に載せると「ありがとなっ!」と素直に喜んでいる。
悟空は従姉夫婦の子供で、海外で事業を興した彼女が日本に帰って来る時以外は悟空は寺に預けられている。 悟空は三蔵とは丸きり逆だった。実に子供らしいと言うかよく笑いよく喰い、いつもばたばたと喧しく走り回っている。 大人しかいないこの寺で、少しでも自分と年齢の近い者が来たのが嬉しかったのか「よろしくなっ」 と挨拶するのに当の三蔵は愛想笑いの一つも浮かべもしなかったのに三蔵が来たその日から彼の周りをずっとウロウロしていた。
学校から帰るとおやつの皿を厨房から持ち出してその足で三蔵に宛われた部屋に飛び込んで行く。 何をしているのかと部屋を覗き込んでみた事もあるが三蔵は悟空が宿題に出されたドリルを解く手伝いをしていた。 答えだけ教えるのでは無く悟空に自分で考えさせて、あくまで自分で答えを導き出させる姿に感心した。
自由奔放主義の住職に倣い自分もあまり悟空の成績を気にしてはいない。 だから質問された時以外滅多に宿題なんぞ見てやった事はないし悟空本人も宿題の事はあまり気にしていないようだった。 恐らく現在珍しくも必死にドリルに取り組んでいるのは三蔵と接点を保つ為なのだろう。
悟空の面倒をみてくれる事の礼を言ったら「小学生の宿題程度なら教えられるから」 と照れるでも威張るでもなくごく普通の声色で返事された。
もっと幼い年齢の時分ならともかく13歳にもなってから新しい環境に馴染むには時間がかかるだろうと思い心配はしていたが下手に口を出してどうこうする問題では無い。 屈託の無い悟空が切っ掛けになってくれたら良いが、と内心思ってはいたが。


・・・そうか、割に口の悪い罵倒はアイツの口から発せられたものか。


あれだけ騒々しいヤツにずっと張り付かれていたらキレもするだろう。 だが、物静かなのが彼の本来の姿なのであればどれ程悟空に纏わりつかれても怒鳴り声を上げる事はなかった筈だ。
きっとこれからの毎日はさぞかし賑やかになる事だろうと。

予感に、くく、と小さく声を出して朱泱は肩を揺らし微笑った。

パステルエナメルから10年前の話。

駅で食い物(パン?)の袋に噛み付いて破り開けたおっさんを見て。手で開けろよ!と内心突っ込んだのが元。 小袋の醤油とか「こちら側のどこからでも開きます」と書いてあるのに実際全然開かないものは無理に破らず鋏で開封する派。 飛び散りそうで怖いし。

666に続く。

100題