のどあめ
おかしな夢を見た。

競馬場に連れて行った事など一度も無かった昔付き合っていたオンナと競馬場に居た。 俺と、俺の腕に懐かしのダッコちゃんのように(今はダッコちゃんて言わないんだっけ?) しがみついているそのオンナの前には銜え煙草の三蔵の姿。
「アナタごじょおのオトモダチでも何でもないんでしょ!」
俺の名前を「悟浄」では無く、どう聞いても「ごじょー」とか「ごじょお」としか発音出来なかった舌っ足らずな話し方。
まあ、競馬場で知り合ったヤツ、と言ったら普通は友達なんかじゃないと思うかも知れないわな。
「なんでせっかくの日曜にごじょーと毎週毎週いっしょにいるのよ!」
この女と付き合っていた頃はまだ三蔵と知り会っていなかったから「デートの為の日曜」を競馬場で三蔵と過ごしていた筈は無いのだが。 現実だったらまあまあ、とか何とか言って宥める筈の俺は夢の中では黙って女と三蔵を交互に見ているだけだった。
「アナタごじょーの何なのよ!」
TVでしか聞かないような安っぽい爆弾発言に夢の俺は頭の中で「わあお」と間抜けな感嘆を浮かべているだけだ。
「何を勘違いしてるか知らないが」
一方的にまくしたてられたにも関わらず三蔵は無表情を保った侭、口を開いた。

「こいつはただの下僕だ」




「下僕ー!!?」
自分の叫び声で眼が覚めた。
「あ・・・」
布団の上に起きあがってみれば腕に押し付けられていた筈の柔らかい胸の感触は無く、勿論眼の前に三蔵の姿は無かった。
「夢か・・・」
夢に決まってる。三蔵に下僕の如くパシリにされた事は嘗て一度も無い。なのに何故こんなに厭な汗が流れているのか。
例えば。三蔵が王様だったら・・・いや違うな。どっちかっつーとあいつは女王様だ。 温厚な白髭の王様なんかでは無く、綺麗な赤い口から吐き出されるのは『気安くするな』と言わんばかりに冷たい外気を纏った、
「へくしっ」





「風邪か」
挨拶の前に盛大にくしゃみをかました俺に三蔵が開口一番掛けた言葉はそれだった。
「まーな」
三蔵が競馬場に脚を運ぶのは大抵日曜だ。重賞は日曜に開催される事が多いからだ。 然し今日のように土曜に重賞があり日曜のメインレースがオープン戦の場合は土曜に姿を現す事もある。
「やっぱ今日来たか」
「ああ」
今日のメインレース・ステイヤーズステークスは平地重賞としては国内最長距離の冬の名物レースだ。 今年は昨年の菊花賞馬ナリタトップロードが出走予定だった国際GI・ジャパンカップに出走出来なくなった鬱憤をぶつけるべくGIIIのレースに出走すると言う事で人気を集めている。 何しろこのレースにGI馬が出走するのは珍しい事なのだ。 トップロードの同期、現・「現役最強馬」であるテイエムオペラオーも昨年何を思ったか出走してきたものだったが。そして負けた。 「負け癖がついて」とか何とか言って起死回生のつもりで格下しかいないレースを選んだつもりだったのだろうが馬はともかく騎手同士の駆け引きに負けたのだ。 だからトップロード陣営がこのレースを狙って来てもそう簡単に勝てるとは思えない。 全く今年の5歳組(の陣営)は何を考えているんだか。
「三蔵もトップロードから買う?一番人気だぜ」
「・・・いや。初斤量だしヤネがな」
3,600mの長丁場の見所は何処まで他馬を行かせるか、何処でスパートするかの老獪な駆け引きにある。 このレースを一度も経験した事の無い若手騎手では上手く乗り切れないであろうと言うのが三蔵の読みだ。 そしてそれは自分の読みとも重なっていたが敢えて逆説を推してみる。
「でも実績から言うとトップロードが一番だし第一若いじゃん」
「若いのなら4歳が一頭いるぞ」
明らかに自分では買うつもりのなさそうな口調で三蔵が告げる。こうして言い合う事で予想の摺り合わせをするのが結構楽しい。
「いや、アクティブバイオじゃ力不足で・・・へぶしっ!」



「去年の勝ち馬なんだっけ。オペラオー負かした馬」
メインレースを控え、朝から何度も眼を通したスポーツ紙の紙面に飽きる事無く視線を落としながら三蔵に問い掛ける。
「ペインテドブラック」
レープロをぺらと捲って三蔵が答える。レープロことレーシングプログラムにはここ数年のレース写真が掲載されている。 覗き込んで見ると「ブラック」とは名ばかりで栗毛の馬だった。
「他にもいたよなトップロードの同期に何とかブラックって馬」
「ブラックタキシード」
そうだ、確かブラックタキシードは名前の通り輝くような真っ黒い馬体だった。
「そうそう、去年のセントライトの勝馬・・・っくしゅん!」
「・・・おい」
「あー、平気平気」
眉を顰める三蔵にひらひらと手を振って大丈夫だとアピールする。
「馬券だけ買ってさっさと帰ったらどうだ?」
「そこは『馬券は買ってやるから帰れ』って言う処だろ!」
「そりゃてめえが高熱出してうんうん唸って寝込んでて布団の中から半泣きになって電話かけて来たら買ってやっても良いがここまで来てんだから自分で買えるだろ」
「やけに具体的に反論すんなよ」
少しは心配してくれてるのかと思ったら少しどころか丸っきり心配はしていないらしい。
やっぱり三蔵は女王様なのか・・・?
「あー・・・ビール買って来てやろうか」
ハナを啜りながら申し出る。今朝の夢が気になっていたせいもあって無意味に下手に出てしまう。 三蔵が女王様だったら買って来たビールを見て
「何だコレは。普通のビールじゃねえか。俺は地ビールの方が好きだって何度言ったら分かるんだこの役立たず。 買い直して来い。・・・それから普通のカップじゃねえぞ、勝負服柄のカップに入れて貰って来い」
とか滅茶苦茶言うんだろうなあ。
地ビールと言うのは今年発売になった中山競馬場限定ビール「グランプリ」の事だ。 普通は一杯400円だがプラス100円で勝負服の柄の入ったプラスチックコップに入れて貰える。 と言ってもそんな使い捨てコップをわざわざ持ち帰るヤツいないんじゃと思うんだがそうなるとあの柄入りコップの意義は何なのだろう。 想像の中の三蔵も持ち帰るつもりでは無いとは思うが勝負服柄を指定して来た。

「この寒いのにビールなんか飲まねえよ」
想像の三蔵に罵られている間に現実の三蔵は俺をパシリにする事無く一人売店に向かって行った。 そんな事言ってるけどあいつはメインレースが終わったらビールを手にする筈だ。
「ホラ」
パドック映像に先行してモニタに映し出されるメインレースの馬体重をチェックしていると突如温かい物が押し付けられた。
「温かくしとけ」
手元を確認してみるとそれは紙コップに入ったコーヒーだった。三蔵は女じゃないからこんな時可愛く照れたりしないが。
「・・・さんきゅ」
何?これも夢じゃねえの?にしちゃあ随分とリアルな夢だな・・・。
信じ難い思いでぽかんとしていると更にジャケットの胸ポケットに何やら突っ込まれた。 指を入れて探ってみると固いその手応えは・・・のど飴。でかくて不味くて苦手な味のヤツだったが。
「風邪引いてんのに競馬場なんか来るんじゃねえよ」
「でも今日土曜だから明日一日休めるし。・・・つーかサンキュな。まじ嬉しい」
ああ、そうか。こうすれば良かったんだ。
呆けた面を笑顔に変えて礼を言った。
「伝染すんじゃねえぞ。12月は稼ぎ時なんだからな」
そこかよ!クソ、コーヒーものど飴も風邪薬じゃねえんだぞ!

「パドック始まったぞ」
モニタに純白のメンコを被ったナリタトップロードの姿が映し出されると三蔵は背中を向けて画面に近付いて行った。


こいつマジに女王様かも知れないわ、 内心複雑な思いを抱え始めた悟浄には先を歩く三蔵の何処か機嫌良さげな表情を見る事は出来なかった。

飛行機雲の続き。

参考レース:2000.12.2ステイヤーズS。1着ホットシークレット2着タガジョーノーブル3着サンエムエックス。トップロードは4着。
トップロードの獲得賞金は9億9千万。あと一戦しておけば10億円ホースになれたのに。
壁紙はナリタトップロード@引退式。
馬齢表記は当時の侭です。

冬の雀に続く。

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