電光掲示板
『南関の三冠馬』
それがどんな意味を持つのか分からなかったが呼び出される侭急いで仕事を終えて電車に乗った。
指定の場所に着いてみると間違えようのない赤い髪はパドックの最前列。
パドックと言うのは下見所と言うか、馬の状態を見て馬券購入の参考にする場所だそうだ。
と言っても今はそこに馬は周回しておらず、反対側にあるスタンドの方に人がぞろぞろ移動して行くのが見える。
「遅くなった」
「俺こそ急に呼び出して悪いな」
スポーツ新聞を手にした悟浄が笑った。
今日は交流GIの日だそうだ(何の事か分からないが)。
既に南関東で三冠を手にした馬が四冠目を手に出来るかという大注目のレースだとか。
今はメインレースの前のレース中らしいが次のレースに出走する馬を一目見ようと意気込んでいるヤツ等(悟浄含む)
はレースそっちのけでパドックで待機している。
「三蔵は競馬初めて?」
「ああ」
「あ、来た」
パドックにメインレースに出走する馬が引き出されて来た。時々シャッターが切られる音がする。
一般のファンが馬を撮しているのだそうだ。
一頭の馬が出て来た瞬間先程と比較にならない量のシャッター音が浴びせられたので、
悟浄に説明されるまでもなくこれが噂の三冠馬だと分かった。
・・・何だか小さくねえか?
馬の事に詳しい訳ではないが、意外と平凡な馬だと思った。鹿毛の馬体に額の白い星だけがアクセントとなっている。
バンテージさえ巻いていない脚があまりにも細く見える。
顔を上げて電光掲示板を見てみるが、多少前走より体重が減っているがそれ程小さいという程の馬体重ではない。
「ここ来たの初めてか?」
「競馬自体初めてだって言ってるだろう」
「ハイセイコーは知ってる?」
「名前くらいは」
ハイセイコーって確か年寄りのアイドルホースだろうが。俺がそんな昔の馬知るかっ!
「ハイセイコーってさ、ここの出身なのよ。後で銅像見に行こ?」
「ああ?」
「いや、だからここハイセイコー像がある訳よ。見ねえ?」
「・・・見たくねえよ」
本物ならともかく銅像じゃねえか。
「・・・・・・」
黙り込みやがった。周回している馬を見ながら会話している為今悟浄がどんな表情をしているのか分からない。
怒っているのか拗ねているのか。
・・・たかが銅像の事で黙り込むんじゃねえよ。
「・・・・・・」
・・・何で俺がエロ河童の機嫌を心配しなけりゃならないんだ。
エロ河童の事なんざ知るかっ!
隣の悟浄を無視して再びパドックで周回する馬の方に神経を集中する。
先程迄はやたら細く見えた三冠馬が、周回してるうちに気合いが入ったのか何故か体以上に大きく見えた。オーラが出ていると言うヤツか。
考えた末、三冠馬の単勝馬券だけ買ってみる事にした。
スタンドの方へ移動する。間を開けて立っていると隙間にどんどん人が入り込んで来る為、
人混みの中お互い肩先が付きそうな位の至近距離に立って出走時間を待つ。
・・・こんなに引っ付いていると。思い出したくない事を思い出してしまいそうになる。
少し前。悟浄とキスをした。
悟浄は・・・酔っていたのだと思う。
その後ヤツからは何も言って来ないので俺も何も無かった振りをする事にした。
何も無かった事にしておきたい。悟浄とは以前のような付き合いをしていたいのだ。
悟浄は気の置けないと言うか、マメに連絡を取り合わないでも気の向いた時には何時でも会える、妙に気の合った友人だった。
この侭ずっとこんな風に・・・こんな風に、何だ?
「・・・・・・ろ?」
「あ?」
考え込んでいたので言葉を聞き逃した。
「綺麗だろ」
内馬場には地上に咲く花火の如く色とりどりの光。レースに先だってトランペッターがファンファーレを奏でる。
「気に入ったヤツはココに誘うのよ、オレ」
首から上だけこちらの方へ向けて悟浄が目を細めて笑った。その笑顔の向こうで何時の間にかネオンは点滅を止めていた。
気に入った人間だけここへ誘うのだと言われて嬉しく思う自分がいる。
かしゃん
音を立ててゲートが開き、観客の前を11頭が力強く四肢を蹴り上げて走って行く。三冠馬は押し出されるように先頭に立った。
自分には悟浄のように「特別に見せてやりたい」何かが無い事を悔しく思う。
危なげの無いレース振りで、一度も他の馬に先頭を譲る事無く三冠馬は四冠馬となった。
外れ馬券が紙吹雪となって舞う。レースの間は消えていた内馬場の電飾に再び明かりが灯り始める。
レース後の熱気に人々は興奮して大声で好きな事を言い合っている。まるで、祭りのようだ。
ターフビジョンに配当が写し出されると再度場内がどよめいた。
「単勝元返しかよ!」
「元返し?」
「100円の馬券の配当が100円だってコト」
「そうか」
「あ?三蔵単勝持ってたんだ」
掌で弄んでいた紙片を悟浄が覗き込んだ。お前はどうだったんだと視線で問い掛けると
「俺はダメ」
と苦い顔を返された。
「どうする?最終レースやってく?」
言いながら悟浄が背中を向けた。帰るのか、パドックを見に行くのか。
多くの人が馬場に背を向けるのに倣い歩き出す。
花火のような電飾はまだ輝き続けている。
「ハイセイコー」
「何?」
「ハイセイコー、見に行くぞ」
「先刻見たくないって・・・」
悟浄の背中からはその表情は分からないが、きっと呆れたように口を開けている。
「うるせっ。行くぞ」
どかりと、背中を殴り付けてから肩を並べて歩くべく歩を早めた。