菜の花
また、違った。
三仏神の命を受け悟空と共に窃盗団の根城に踏み込んだ。
官吏の手に引き渡す前に奴らが隠し持っていた仏典類を漁ってみたが永年追い求めている経文はここにも無かった。
過剰に期待をしていた訳では無いが見付からなければ矢張りそれなりに落胆する。
そんな事を繰り返して8年にもなる。
思いの外膨大な盗品に引き渡し手続きを終えた時は夕刻と言える時刻はとうに回っていた。
三蔵法師様にお宿の手配を、と言う官吏の許を辞去して歩き出してみたが日が暮れるのは早く、
長安の寺に辿り着く頃は夜半になるだろうと思われた。
「なあ、さんぞー腹減った」
「お前が腹が減ってない時があるのか」
「だっていつもだったら夕飯の時間じゃねえか!オレもうハラ減って」
それだけ大声で何度も繰り返す元気があるなら充分じゃねえか。
「やかましいっ!お前は草でも食ってろ!」
スパーン
「いってぇー。ぶつことないだろ!!」
「うるせ・・・?」
ハリセンで悟空の頭をはり倒してから宵闇に漂う香りに気が付いた。
昼の光の下ではやけに目に付く黄色が、
日が沈んでしまうと意外な程闇に同化してしまいその存在を潜めてしまうと知ったのは一人で旅をしていた頃だ。
香りの元を求めて道を外れて踏み行ってみると、そこにそれは在った。
咲き誇る息苦しい迄の香りを嗅げば既に花の盛りなのだと分かってはいたが、矢張りそこには。
「どうしたんだよ三蔵?」
黙って後ろをついて来ていた悟空が尋ねる。
「この花はな。食える」
「えっ本当?」
途端悟空の声が嬉しそうになる。
「ああ。何日か前寺でも出た」
「そうなの?」
「ただし食えるのは蕾の時だけだ。・・・生憎ここにあるのは全部咲ききっちまってるがな」
蕾が残っていたとしてもそもそも生で食えるかは知らないが。
「花は食えねえの?」
「食った事がねえな」
食えねえって分かったら余計にハラ減った、と悟空がわめき立てる。
仕方無いので余り気は進まなかったが近くに住む人物の家を尋ねる事にした。
突然訪れたにも関わらず穏やかな碧の眼をした男は笑顔で食事を作り、赤毛男は『来る時は前もって言っとけっての』と文句を言いながら悟空を構う。
胸に何かが澱んでいるような気がしてモノを食える気分では無かったが『スープ位ならどうですか』
と八戒が皿によそった野菜を沢山入れて煮込んだスープは温かかった。
「サルサル言うなこのエロ河童!」
「誰が河童だこのチビ猿!」
相変わらずの悟空と赤毛男の喧噪。悟空と同レベルで言い合ってんじゃねえよ。
然し悟空が悟浄を気に入っているのと同じく口でどう言おうと悟浄の方も悟空を気に入っているようだ。
一度は短く切った悟浄の髪はもう長く伸びかけていて鬱陶しい。
騒々しい二人の遣り取りを何を考えているのか分からないぽわんとした笑顔で見つめる八戒の顔には初めて会った頃の翳りは無くなっている。
悟浄の部屋はこ汚く、恩着せがましく譲られたベッドはヤニ臭かったが空腹が満たされた悟空は満足そうにベッドに潜り込んだ。
こんな狭いベッドで寝相の悪い悟空と一緒に寝ないといけないと言うのに恩を着せられる義理もない。
苦々しくそう思ったが引っ付いてくる悟空の体温はまだ肌寒いこの時期には暖かく、
夜中には悟空の落ち着きの無い脚に蹴り飛ばされるかどうかして起こされるとは分かっていたが程無く眠りに落ちた。
微睡む意識の中ある光景を思い出した。
何処で見たのか記憶すら定かでは無い一面の菜の花。周りを樹に囲まれ誰にも気付かれぬその場所に足を踏み入れた時、
それ迄陰っていた空が俄に晴れ渡り降り注ぐように日の光が辺りを照らした。
人の声どころか鳥の啼き声さえ聞こえず、静寂の中誇らしげに咲き輝いた黄金色。
あれは一体何処だったのか。
一人で旅をしていた頃見たに違いないのだが当時の記憶は酷く曖昧だ。
経文を追い求める過程での妖怪との、時々は人間の夜盗との単調な殺し合いの日々。
無意味に重ねた日々の中日付も季節も重要なものでは無くなり記憶する事すら停止した空白の数年。
だが今、日付は意味を持ち薄れた記憶も甦りかけている。
何時からだろう。
何時から自分は再び記憶を刻み始めた?
答えを自分は知っている。
だが認めたくなくて。
再び一面のあの黄金を見てみたいと思っている。