ベンディングマシーン
「何で傷が気になるかって言うと」
重苦しく続いた沈黙の後舌で唇を湿らして悟浄が口を開いた。悟空達とはぐれ雨露を凌げる処を探すうちに迷い込んだ山小屋の中。 濡れた服を乾かしながら少し離れて座った板張りの床の上。 その躰の傷は何なのかと、尋ねられ改めて自分の腕から肩を巡り胸と腹にも目を遣ればそう言えば確かに幾つか傷がある。
「あんたの傷殺意を感じるからだなって」
訳が分からない。
「・・・?」
「俺のこの傷、どうして出来たか知ってる?」
言いながら悟浄が自分の左頬に走る二本の傷を長い指でなぞってみせた。
「・・・・・・」
「賭場でのトラブルだと思う?別れ話でモメたと思う?」
「・・・・・・知るか」
黙って続きを促すつもりだったが自分からこいつに「何か話をしろ」と言った事を思い出し口を開いた。
「コレはね」
義理の母親に殺されかけた時の傷。
言って、自嘲気味に唇の端を吊り上げて笑ったからその事が悟浄の中で今も疵になっている事が分かった。
「ま、この通り死ななかったんだけど」
くしゃりと赤い髪に指を掻き入れて再度苦い顔をして笑った。
「笑いたく無い時に笑うな」
そう言ったら何か言いたそうな顔をしてこちらを見たくせにそれでも何も言い返して来なかった。
こいつは初めて会った時から意味も無く笑っていた。 ヒトが楽しくも無いのに笑うのは本心を隠す為と、相手を安心させる為と、そして相手を油断させる為。
悟浄がいつも笑っているのは只の処世術だ。
笑いたくも無い時に笑うと言うのはどんな気分なのだろう。
「・・・俺が持っているのが天地開元経文だと言うのは知っているな」
手持ち無沙汰に指先を組み合わせながら口を開いた。 黙り込んだ侭の悟浄は裸足の爪先で床板の節を何やらいじいじとさするような仕草をしている。まるで拗ねたガキだ。
「俺が今持っているのは魔天経文。師匠の形見の聖天経文を夜盗に奪われてから下山して経文を追って旅をしていた。 ・・・この傷はその時のものだ」
「ソレは大事なもんなの」
「・・・ああ」
この世に5つしかない経文だとかそんな事じゃ無く、あれは俺のものだから。
「そっか」
どう納得したのか、それ以上傷痕の事を追求するのを止めて悟浄は口を噤んだ。
口を開いても俺はこんな話しか出来ない。
旅をするうちに付き合いで何度か酒場に一緒に行った際に見たそういった場所での悟浄の態度。 初めて会う奴にでも気安く口をきき世間話で自然に相手の懐に潜り込む。 生きる為に身に付けた態度であっても呆気に取られる程の鮮やかさで羨ましくもあり痛ましくもある。
俺は甘い顔を見せたが最後つけあがって踏み込んで来る奴らを悟浄のように上手く交わせないし、 隙あらばと気易く寄って来られる事に赦し難い程の嫌悪と憎悪を感じずにいられない。
悟浄のようであったならもっと生きるのも楽だったのかと思わないでもない時もあるが、 天性の部分もあったろうが悟浄だって好きこのんで世渡りの手練手管を身に馴染んだものにした訳では無く、 そうしないと生きていけなかったからだと気付かずにいられない、悟浄の絶えない笑顔の作り出す蔭。
それきりお互い黙り込む。 再度何か話してろと促す事も出来ず窓の外降り続ける雨を眺め遣っていると視界の端で悟浄がこちらに腕を伸ばして来るのが見えた。 顔をそちらに向けると悟浄が無言で煙草を差し出して来ていたので銜えると催促しなくても煙草の先にジッポが宛われた。
「最後の一本だから有難く吸えよ」
「フン」
笑って礼を言うべき時でも俺はこんな態度しか取れない。それは悟浄のにやけた笑いと同じく既に身に馴染んでしまったものだからだ。
それでも悟浄と自分は実はあまり遠くない処にいるのだと、何故だかそう思った。







コイン3枚を投入しボタンを押す。
がたんと音を立てて取り出し口に降って来るのは赤いパッケージ。 その後、釣り銭の落ちる音が続かない事は分かってはいたが実際に目の当たりにすると自販機を殴り付けたくなる程の腹立ちを覚えた。
煙草が値上がりして初めての買い足し。 値上がりする前にカートンで買い置きしたがあの日もう1カートン買っておけばと後悔しても手遅れだ。 悟浄は10カートン買い置きして八戒と悟空にバカでかい荷物が不評だったが値上げ以来まだ自販機の世話になっていない。
「三蔵の煙草高っけえよなあ。他のにしたら?」
背後から悟浄が話し掛けてくる。こいつの煙草は値上がりした後でも値上がり前のマルボロ以下の値段だ。 一瞬同意しそうになるが出来る訳無い。 知っている限りで3年間(つまり初めて会った時からだ)銘柄を変えず同じ煙草を吸っているヤツの言う台詞では無いし、 そんな事位で銘柄を変えない事はこいつにも分かっている筈だ。何しろ3年間銘柄を変えていないのはお互い様だ。
煙草を取り出す為身を屈めて機械に体を寄せると電子音が鈍く耳に響いた。
「コレが良いんだよ」
何度か他の煙草を喫った事もあるが結局どれも最初の一口を喫った瞬間に「不味い」 としか思えず無理矢理一箱消費した後はマルボロを買い求めずにいられなかった。 そんな事を考えながら早々にパッケージを開封し煙草を口に銜えると横から悟浄が火を差し出した。

深く息を吸い込みながら考える。
こうやって黙っていても差し出されて来る火を当たり前だと思うようになったのは何時からだったろう、と。

マヨヒガの続き。

ベンディングマシーン=自販機だそうです。桃源郷にまで煙草値上げの魔手が。煙草の自販機の前を通りかかって思い付いた話。

風切羽に続く。

100題