風切羽
傲岸不遜の鬼畜生臭坊主と旅をするようになって初めて知った事は一つや二つでは無い。
一つ、猿と坊主の仲が如何に強固なモノであるか。
一つ、寝起きの坊主にちょっかい出さない方が良い。
一つ、坊主の「オレ様ナンバーワン」な態度は長安の寺院の奴らだけに向けられるのでは無く旅先で行き会った人間にも同様である。
一つ、坊主は夜魘されて眠れない事があるらしい。
「・・・・・・っ!」
荒い息を吐きながら三蔵が飛び起きた。
今夜の宿の同室者である三蔵が少し前から酷い魘され方をしているので起こしてやった方が良いか考えていた処だった。 実際起きて三蔵の寝ている寝台の側にでも行っていたら今更とぼける事も出来なかったが生憎まだ自分のベッドの中にいたのでさてどうしようと思案する。 どうしたのかと声をかけてやった方が良いのか。 気が付かないフリをしていてやった方が良いのか。 いっそ「三蔵の寝言が煩くって目が覚めちゃったv」と明るく言ってやろうか。 恐らく八戒だったら三蔵が魘され始めた辺りで起こしてやっていたのだろうが俺は起こしてやるかどうかと言う段階でさえ迷って戸惑った。 悪い夢を見て魘されていたなんて三蔵は恐らく知られたくないだろうと思ったからだ。 俺自身夢如きに魘されるなんて無様な姿は他のヤツらには見せたくはない。
そうやって迷うと言う事は踏み込む事に対して俺自身迷いがあるのだろう、そう結論付けて寝ている振りを続ける事にした。
呼吸を整えた三蔵がこちらを伺っている気配を感じる。
見るな。俺は今寝ているんだから。
必死にそう念じて暫くの間身じろぎもせずにいると三蔵は音もなく寝台を降り部屋を出て行った。 ぱたりと扉を閉める音までは消せず微かに音がするのを聞いてから被っていたシーツを引き下ろしほ、と息を吐く。
悟空のように「もうハラ一杯で食えねえよ」なんて幸せな寝言だったら幾らでも喜んで叩き起こしてやるのだが。
煙草を吸いたい処だが三蔵が戻って来た時部屋に残り香があったら起きていた事がバレてしまうので我慢する。 乱暴に寝台の上で寝返りを打ち天井を眺め頭の下で腕を組む。 闇に馴れて来た眼で天井の汚れをぼんやり視界に留めながら今頃何処かで煙草に火を灯している筈の三蔵の事を考える。
三蔵がどれ程の過去を歩んで来たのかは知らない。
四六時中口にしている「お師匠様」とやらが三蔵法師であった事は知っている。 「最も神に近い者」である三蔵法師様の愛弟子として大切に育てられ年若くして「三蔵法師」を引き継いだ事。 東方随一の大寺院に下々の者から坊主共から崇め奉られながら鎮座ましましている事。 年に数度開かれる法会の度に地べたに頭を擦り付け涙を流しながら三蔵の読経に聞き入る衆生が数多いる事。
大抵は至極表面的な事だ。
そして崇拝の対象でありながら驚く程自らを顧みない事、死しか見出していなかった猪悟能を猪八戒として産まれ変わらせた事 、深紅の罪を咎では無いと告げた事。
三蔵が何故、暁闇の中羽ばたけない鳥の様に無惨に身を震わせ喘ぎ苦しまなければならないのか、俺は何も知らない。
白鳥が泥濘に塗れる様に昏夢に拘泥する三蔵を苦しめるものが何なのかは分からない。
彼がどんな人であるのかどんな過去を負って来たのか。
神に近い者と謂う称号は彼の人にとって重いものであるのか。
知りたい。知りたい。近しくなりたい。
祈りを籠めるような仕草でそっと両手を組み合わす。 闇に紛れたその醜い祈りが誰の目にも見付からない事を希みながら。
三蔵は未だ戻って来ない。