バレンタイン
「バレンタインっつー位だから可愛い女のコ(馬)が出てれば良いのに」「・・・・・・」
「そもそも牝馬限定戦じゃないっつうのが」
「・・・・・・」
「しかも今日9日じゃん」
「・・・・・・」
「つーかさ、七夕賞だって牝馬と牡馬半々で出走させる位のシャレッ気が欲しいよな」
「・・・うるせえ」
「やっぱ明日のダイヤモンドステークスの方が良かった?前売りオッズでペインテドブラックが一番人気だけどソレもどうだって思わねえ? ダイヤモンドステークスっつったら昔ユウセンショウが連覇してるけどさ、 暮れの中山大障害勝ったユウフヨウホウってユウセンショウの弟なんだよな。ゴーカイもだけど。 ユウミロクって凄ぇよなあ。日本の偉大なステイヤー血統っつーカンジ?」
不機嫌に呟いた三蔵の台詞を聞き流し悟浄は尚もぺらぺらと喋る。
悟浄が今口にしているのは昨年の有馬記念前日に行われた障害GI・中山大障害の事だ。 今や「中山グランドジャンプ」と名を変え国際交流レースとなった旧・中山大障害(春)に於いて外国馬を退けて連覇した日本ジャンパー界の雄、ゴーカイ。 そのゴーカイが手にした事の無いタイトルが中山大障害(冬)だった。 ゴーカイ三度目の中山大障害挑戦となった昨年末、ゴーカイと母を同じくする弟・ユウフヨウホウが初GI挑戦にして兄をぶっちぎって勝ってしまった波乱の一戦。 GI馬二頭を産んだ偉大な母の名はユウミロク。 ユウミロクの父はカツラノハイセイコでカツラノハイセイコの父は勿論あのハイセイコーだ。
いや、それは構わない。血統の話だって本当は嫌いでは無い。 小さく溜息を吐き三蔵は煙草を銜える。ライターを点ける為に一度手袋を外さないといけないのが面倒くさい。 寒いのが苦手と言うか寧ろ嫌いと言うか寧ろどころでは無く端的に嫌いであると言えるのだが、 とにかく三蔵は真冬のこの時期は大抵競馬は休む事にしていた。 それを何故、こんな日に、しかも家から遠いので面倒くさくて滅多な事では足を運ばない東京競馬場にまでやって来ているかと言うと、 昨年末悟浄との賭けに負けたからだった。
賭の内容は非常にくだらない、然し競馬ファンにとっては一年の総決算である重要事項だった。
ズバリ「有馬記念の勝ち馬はドレだ!?」
「マンハッタンでアメリカだ」とくだらない事を抜かした悟浄を鼻で笑った三蔵が驚愕に顔を歪めたのはマンハッタンカフェがアメリカンボスを引き連れてゴールを駆け抜けた瞬間だった。
「マンシュウだ!」
と叫んだ悟浄にその晩奢らせたのは勿論言うまでも無かったが問題はその賭の内容だった。 「俺に一日付き合う事」と言われ、悟浄が指定して来たのは今日から一週間後のGI、フェブラリーステークスの日だった。 ・・・が、生憎その日は先約があり、では前の週にと言ったら日曜は悟浄の都合が悪く、 結局重賞も何も無い土曜の東京競馬場に来る事になってしまった。 メインレースは「そう言えば聞いた事がある」と言う程度のバレンタインステークス。 勿論重賞でも何でもなく、1,600万の条件戦だった。
因みに三蔵の有馬予想はと言うと、骨折で一年休養明けのぶっつけで有馬記念に出走して「奇跡の復活」を遂げたかのトウカイテイオーの弟、 トウカイオーザが軸だった。
自嘲を込めて口の端を小さく歪めて三蔵が苦く笑った。
そんな三蔵の気持ちを知らず朝から悟浄は妙にテンションが高い。
「GI焼き買って来たぜ。俺府中に来ると必ずコレ食うんだよ」
差し出された大判焼きのような物体は円形では無く蹄鉄形をしていた。馬の横顔の焼き印が押してある。
「・・・・・・」
何か感想を言って欲しそうに横目でこちらを伺っている悟浄を無視し、無言で三蔵はGI焼きを口に運ぶ。 中身は普通の小豆餡だった。
「チュロスも売ってんだぜ。喰うか?」
「そんなにいらねえよ」
「そ、そうか。なあなあ、この名前って回文みたいだと思わねえ?」
「そうか?・・・なってねえよ!」
新聞の馬柱を覗き込み素直に頭から読み上げてみた名前はツルマルイソノツル。
「そっかなーイイ線行ってると思ったんだけど。あ、俺軸はピエロっち」
「・・・何がピエロっちだ。先刻は『日本の偉大な血統』なんて言ってたクセに」
ピエロっち、もといユノピエロの父はサザンヘイロー、その父はヘイローで、かのサンデーサイレンスの父でもある。 偉大と言えば偉大ではあるが日本の血統とはとても言えない。そもそもユノピエロは外国産馬だった。
「俺が偉大っつったのはユウミロクだけだって」
「・・・・・・」
むっとした三蔵がGI焼きの残りを口元に運ぶ。 ちらりと横目で眺めた三蔵のその唇が柔らかそうだと思ってから慌てて悟浄は視線を逸らす。
東京競馬場に来るのは初めてでは無かったし、三蔵と二人で来るのも初めてでは無い。 なのに「俺に一日付き合う事」と条件を付けただけで何故自分がこんなに舞い上がってしまうのか。 それは悟浄自身にも分からなかった。 朝から機嫌のあまり良くないらしい三蔵に、 せめて自分のその舞い上がりぶりを隠そうとそれだけで精一杯で自分が何を言ってるのかも良く分からない。
俺、今日はブリンカーでも着けてた方が良いんじゃねえの・・・?
その悟浄の内心の声が三蔵に聞こえていたら「人間用のブリンカーなんぞ売ってねえよ」 と言うか「トレセン行って買って来い」と言われるのか。
何故ブリンカーが必要か突っ込まれたら上手く誤魔化せる自信の無い悟浄がその台詞を口にする事は無く、 結局挙動不審の侭その日は終わるのだった。