竜の牙
「今晩はー」
でかい声で挨拶されると同時に玄関の戸が引き開けられる音がした。
「何だ」
声で分かってはいたが玄関に行ってみると近所に住む悟空が居た。
「こないだ借りた皿返しに来た。煮物ありがとな」
「ああ」
先日里芋の含め煮を載せて渡してやった皿を悟空は手にしていた。 皿を受け取ってやっても悟空は帰る事なく、でかい目をくりっとさせて続けて言った。
「上がって良い?」
・・・夕飯時に何抜かすこのサル。
「おふくろが出かけちゃってさ。夕飯はさんぞーの処で食えって」
勝手に仕切ってんじゃねえよあのババア。
とは思うものの悟空の母親は結構な得意先だ。
「・・・チッ」
舌打ちすると了承と受け取って悟空が靴を脱いだ。勝手に上がらない処だけは誉めてやっても良い。
「まだ味噌汁が出来てねえから少し待て」
「何か手伝う事ある?」
「テーブル片付けておけ」
「うん」
居間に上がると悟空は勝手知ったるとばかりにテレビのスイッチを入れた。 悟空とは此処に引っ越して来てからの付き合いで当時から悟空の面倒を押し付けられる事が多かった為今となっては家に悟空がいても特に違和感を覚える事も無い。
居間の方で続いていたごそごそする気配が静まった。片付けが終わったらしい。
昔は手伝いの一つも出来なくて「何て迷惑なガキを押し付けやがる」と思ったものだ。 これで料理の手伝いも出来るようになれば良いんだが、あのサルは喰う量は人一倍でも作る方はさっぱりだった。 味噌汁に入れるつもりだった豆腐を血まみれにされて以来包丁を使わせる事は止めた。 料理を覚えたければ自分ンちでやれ。俺の家のメシまで不味くされてはたまらない。


「出来たぞ。皿運べ」
「うん」
台所までとたとた歩いて来て両手に皿を載せる手つきはファミレスでバイト出来そうな程度には手際が良い。
「なーなー、支笏湖に竜がいたってホントかな?」
「ああ?」
「竜の牙が見付かったって」
「そんなもん嘘に決まってんだろ」
どうやら先程迄見ていたテレビ番組の事らしい。全く頭の悪い番組があったものだ。 それを信じちまう頭の悪いガキもいるんだからもっと如何にも嘘っぽく「中禅寺湖」位にしておいてやれば良いものを。
リモコンに手を伸ばしチャンネルを変えようとした時、画面に馬が疾走する姿が映し出されたので手を止める。

それは人間解析ドキュメントだとか言うスポーツ番組だった。 競馬がスポーツになるのは実際に体を動かして乗っている騎手なり厩務員だけではないだろうかと思うのだが、 何故かその番組では時々馬(しかも競争馬)関係の事を取り上げていた。
今画面に登場しているのは有名な馬主だ。
馬主は馬の所有者と言うだけであって、中には子馬の時から牧場に脚を運ぶ馬主もいるが、 実際は牧場なり厩舎なりに脚を運んでもせいぜい鼻面を撫でて人参を食わせてやる事が出来る位で自分の馬だからと言って好き放題に乗れる訳では無い。
スポーツ番組で馬主を取り上げるのは趣旨が違うような気もするが馬主のバカ息子が取り上げられるよりはマシだろう。

「三蔵、テレビ消さないのか」
「ああ」
「いつもメシ喰いながらテレビ見るなって言ってるくせに」
「自分の家で俺がどうしようが勝手だ」
悟空が文句を言うがそんなもんは無視だ、無視。まだ煩く言うようならメシの途中で叩き出してやれば良い。
今日の夕飯は残り物の豚の角煮だ。じっくり煮込んだ力作・・・と言うのは嘘で、昨日の昼間競馬中継を見ながら鍋を火に掛けて煮込んだものだ。 1時間半の競馬中継の間テレビにかじりつきっ放しと言うのは結構辛いものがあるので調教VTRを見る合間に鍋の様子を見る位が丁度良い。
「三蔵、これ美味いな」
「お前は何喰っても美味いんだろうが」


大抵の競争馬は当歳の時にセリに出されて買い取られるのだが現在画面に映し出されている関○氏がある馬を手に入れた経緯は少々特殊だった。 既にオーナーがいて、競争馬として立派な成績を残しているにも関わらずオーナーはその馬を手放したのだ。 懐が苦しくなったのだろう。そこまでは珍しい話では無い。アメリカの現役馬を購入した事が珍しいのだ。 普通日本人が外国産馬を購入するのは当歳か、1歳の間だ。問題がある訳では無いが外国に籍を置く現役馬を購入する事はかなり異例だ。
ドバイの王族はレース後目を付けた馬がいると即馬主に話をつけて買い取る事もあるのだが。 ドバイの王族達には素晴らしい馬を所有している事が大切なのであって、何処の国で生産されたかと言う事は重要でないのかも知れない。

それはともかく関○氏はその馬の新しいオーナーとして名乗りを上げて購入し、 通常自分の持ち馬に付ける冠名は付けず旧オーナーの元で名付けられた名前の侭二週間程前に開催された国際GIに出走させた。 関○氏がその馬の単勝に100万突っ込んだのは初耳だったが。
その先は見ないでも知っている。 関○氏の馬は物凄い脚で突っ込んで来たが惜しい事にほんのハナ差でイタリア人騎手の騎乗するイタリア馬に競り負けたのだ。
「惜しかった!惜しかった!」
興奮気味に言い合う関○氏と関○氏のスタッフ達が画面に映る。
あの日関○氏の馬に騎乗した外国人騎手は勝利馬がヨレて自分の馬の邪魔をしたと審議の申し立てをしていたが、 VTRを見ると両馬ともヨレていた。あれは馬体を合わせに行った訳ではないだろう。 ゴール板間近な地点でコースロスをせずまっすぐ走らせていたら結果がどうだったかは微妙だ。 だが関○氏は鞍上の事には口出しせずにひたすら「惜しかった」を繰り返していた。

「俺も競馬場に行ったら馬主とか見られる?」
それまで黙々と山盛りの飯(二杯目)を口に運びながら画面を見ていた悟空が突然口を開いた。
「馬主席は一般席とは違う所にあるが、まあ見られないでもない」
「俺も競馬場行ってみたい」
「・・・・・・」
そんなに関○氏が気に入ったのかこいつは。
「今度俺も一緒に行って良い?」
競馬場に行ったからと言って必ずしもあのおっさんに会える訳では無いのだが。
「・・・入場料はてめえで払えよ」
「うんっ」
俺の思惑を知らぬ悟空が威勢良く返事する。こいつは妙にカンが良いから予想させてみたらもしかしたら、と言うのが俺の狙いだ。 尤も本人は未成年だから馬券を買わせる訳にはいかないが。
「じゃあ来週の日曜だぞ。家を出る時「競馬場に行く」なんて言うんじゃねえぞ」
「分かった」
悟空の母親はこいつが競馬場に行くなんて言ったら逆に喜びそうだがと思いながらも一応釘を刺す。
「どんな格好していったら良い?さっきの人みたいな格好?」
さっきの人とは関○氏の事だろう。競馬場でスーツなんか着てるのは馬主かやばい職業のヤツだけだ。
「普通にしとけ」
そもそもてめえは持ってねえだろうが、スーツ。
「ええー、でもさ」
「普通で良いんだよ」
この浮かれようでは日曜まで秘密にしておくのはきっと無理だろう、一人はしゃぎまくる悟空の姿を見てそんな気がした。

バレンタインの続き。

参考レース:2002.11.24ジャパンカップ。勝馬はファルブラヴ。
2002.12.8放映のZ○NE(伏せ字になってない)参照。

肩越しに続く。

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