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熱帯魚
店の入口と客席の後ろにでかい水槽があって中には勿論可愛いオサカナちゃんがひらひら尾っぽを振って泳いでいる店。 知ってるヤツには「金魚の居る店」で通じる店。 メシの後に茶ぁ飲みに行くかと言う時「じゃあ金魚のいる店行こう」で通じるその店。 その店に俺は今先輩と二人、座っていた。新規クライアントの処に出掛けた帰り道。 座り心地の悪い真っ赤な合皮の椅子に腰掛けた俺の後ろにはでかい水槽。 俺からは可愛い金魚ちゃんが見えないし先輩の後ろの窓硝子越しにデパートの、それも壁しか見えない。 「あの担当美人だったな」 「そーですね」 自らの与り知らぬ処で『美人』と言われているのを知ったら不快さに眉を顰めるだろうか。 淡々と説明しながら一度も人形じみた無表情を崩す事の無かった人の顔を思い浮かべる。 「梅艶芳(アニタ・ムイ)みたいに唇が厚くってさー」 香港映画の好きな先輩は香港女優に例えて言ったが本当の処俺はそれが誰だか分からない。ので愛想笑いを浮かべて誤魔化した。 今日の仕事先の打ち合わせを反芻する。経理システムと人事システムの統合と、 それから大きな会社にありがちな事に事業部毎に勝手に作っていた業務処理システムの統合。 経費処理システム導入が初めての会社だと言うのならともかくなまじコンピュータ系に強い会社だっただけに事業部毎に独自にシステムを作ってしまっていたのを業務の煩雑さ軽減の為単独システムに統一すると言う仕事だ。 その打ち合わせの席に現れたのがシステム統括部の人間一人と人事データ部(人事部では無いのだ)の人間二人。 システムからは如何にも理系っぽい青白い三十代位のヒト、人事の一人はバーコードハゲのおっさんで、もう一人が先輩ご執心の彼の君。 「私はコンピュータの事には疎くって全部この玄奘くんにやってもらったようなものですよ」 そう紹介されるのを照れ笑いを浮かべるような可愛い仕草の一つも無く流したその人に、 実の処俺も先輩も打ち合わせ用のブースに入った時から傍らのどう見ても上役のおっさんに目もくれる事無く釘付けだった。 色っぽいタレ目は長い睫に縁取られ、ぽってり厚い唇は女だったらAV女優になったって食っていけそうな程肉感的で。 長身の割に肉付きの薄い身体。腰なんかそこらの女よりも細いんじゃないかと思う位だった。 絹糸のように柔らかそうな金色の髪は、鉛筆が乗りそうな長い睫毛(そりゃ宴会芸だ) までもが金色でなければ染めたのだと思ってしまう処だがじっくり眺めてみればそれは自前なのだと分かった。 「でも、ま、男じゃな」 「あ、結構マジに残念がってます?」 大して美味くもないコーヒーをぐいと飲み干して言う先輩に揶揄うように言ってみる。 「んな訳ねえだろ」 そうは言うが歪めた口の辺りに未練が残っているのを見て小さく笑う。 「でもあのヒト人形っぽくないですか?」 「ああ、お人形さんみたいだったな」 思い出し笑いでもしているのかへらっと笑う先輩に成程『人形』と言うのは誉め言葉だったかと気付き言い直す。 「いや、そうじゃなくて。何かこう、全然表情変わらないし。 怒ってる訳じゃないみたいだけど喋り方も凄い冷静沈着で近寄り難いっつうか」 「そんな事言うなんて珍しいな。お前でも苦手な相手っているんだ」 話の合間に先輩の視線が時々俺の後ろに泳ぐのは水槽の中の熱帯魚の動きを追っているからだ。 「あー、見てる見てる」と思いながら返事をする。 「そりゃいますよ」 苦笑しながら言うと先輩は金魚から眼を離し、視線を俺に戻すとこう告げた。 「でも今回の仕事は多分お前の担当になるぞ」 ビルを出てすぐさま煙草を銜えた。 社に戻る前に何処かでコーヒーでも飲んで行こう。 スタバとかタリーズとかあんな小洒落た店じゃなくドトールの味も素っ気も無いコーヒーが飲みたいと思い店を探すがここら辺は滅多に来ないのでドトールがあるのかさえ分からない。 先輩の予言は当たり例の仕事の担当は俺に決まった。 勿論一人で丸抱えする訳ではないが窓口としてあの金髪さんと直に会う事2回。 メールと電話を数回ずつ。思った程やりにくい相手ではなかった、 と言うか寧ろ仕事はやり易い方だった。俺自身があのヒトを苦手としている事を除けば。 派手派手しい外見(人の事は言えないが)と裏腹に愛想笑いの一つもしない、 仏頂面と言う訳ではないがとにかく無表情な男。あんなんでよく人事系の部署に居るもんだと思う。 それに、あんな何処か空っぽのような表情をしているクセにふと顔を上げた時、 何もかも見透かしているような深い紫色の瞳と視線が合うのが正直言って落ち着かない。 絶対自分からは視線を逸らさない瞳は吸い込まれるようで真っ昼間のオフィスでお目に掛かるには心臓に悪過ぎる。 とにかく、存在感と言うモノはトークに依存してる訳ではないのだと言う事は良く分かった。 あまり自分の身で実感したくは無かったが。 「あれ?」 見付ける気は無かったが矢張り街中でもあの容姿は目立つんだなと脳裏で思う。 その日は久々に定時で上がれたのでCDショップでも覗きに行くかとふらふら街を歩いていた。 香港モノのDVDが、オークションで手に入れたVCDがと毎日ハイテンションな先輩に乗せられたとでも言うか。 昼休みにバ○チックカレーをかっこみながら連日見せられるDVDの所為で俺も多少は香港映画に詳しくなった。 決して自分で望んだ訳ではないが。 ハンバーガーショップの新メニューを見るとはなしに見てから顔を上げ何となく道路の反対側を眺めると、 高架下近くの薄暗闇の中にそれでも埋もれる事の無い本物の金色の髪をした人物が立っていた。 声を掛けないでおこうかと思ったが何やら熱心に道端を眺めているので何だか妙に気になって信号に向かい歩き始めた。 チェーンの居酒屋の前を通り過ぎ英会話スクールのチラシ撒きの手を通り抜け虚ろな目で信号が変わるのを待つ人達と一緒に道路の端に立つ。 こんな処では死んだような目をして道端にぼけっと突っ立っていたって誰も気に止めやしない。 何故あの人だけ視界に映ったのだろうと考えるがあの明るい金色の髪の所為だと結論付ける。 赤信号が青に変わって道路を渡りきってもまだその人は其処にいた。 立ち止まった侭のそのヒトに道行く幾人かは振り返ってみるけれど。 「何か落とし物ですか?」 後ろに立って覗き込んでみると大袈裟に肩を震わせてこちらを振り返った。 走り過ぎる車のヘッドライトにその顔が照らし出される。 あ、なんだちゃんと驚いたカオも出来るんだ。 感情を表に出していると流石に人形ではなく生きた人間に見える。何だか安心して軽口を続けた。 「どしたんですか?こんな処で」 「社用で届け物があって・・・そちらは」 不意打ちだけあって最初は驚いた顔をしていたがすぐにその人は落ち着きを取り戻した。 「俺、アパートこの近所なんですよ。これから会社戻るんですか?」 「いや、直帰だ」 不意打ちが有効らしいと分かったので今度はいきなり自分の事を告げてみるとつられたように言葉を返した。 「家はここら辺ですか?」 「ああ・・・」 告げられたのは隣の駅名だった。 「なんだ近所じゃん。今度一緒に飲みに行きましょうか」 そう言うとぎょっとしたように目を見開いた。どうやら住んでる処を教えてしまったのは本人にとっては不本意だったらしい。 まあそれも警戒心の強そうなこの人らしいかも、と思う。 こっそりその人が先程まで見ていた辺りを窺ってみると街路樹の根本に乗り捨てられた盗難自転車(推定)があるばかり。 カゴの中にはゴミの山。 「・・・もしかしてあんたの自転車?」 「・・・いや」 此処まで会社の自転車に乗ってやって来て帰ろうとした処カゴのゴミに気付き呆然、 と言う訳でも盗難に遭った自分のチャリとこんな形で再会した、と言う訳でもないらしい。 「コンタクトでも落とした?」 「・・・いや。・・・まあ落とし物みたいなものかもな」 そう答えてその人は再び視線を先程まで見ていた辺り(としか言いようがない。凝視している割に何を見ているんだか分からないからだ)に走らせた。 「え、何?探すけど」 「落としたのは俺じゃない」 何が何だか分からない。面食らっているとその人は挨拶も抜きにいきなり踵を返して歩き出した。 すると。 風も無いのに突如街路樹の枝が折れる程にたわみその葉を降らし始めた。まるで悪戯っ子が枝に登って揺らしてでもいるかのように。 金色の髪の上にも黄金色の銀杏の葉がとめどなく降り注ぐ。 面食らっている俺の目の前でその人は驚く様子もなく白く細い頸をしならせ枝を見上げ、何事かを呟いた。 ばさばさと雨のように降り注ぐ黄金色の嵐の隙間からその人が小さく口を動かしているのが見えた。 何と、言っていたのかは分からなかったが。 途端、降り始めた時と同じ位唐突にはらはらと舞い散るのを止めた枝葉。 「凄い・・・風だったな」 呆気にとられて呟く。風なんか吹いていなかったが。しかもなんかアンタの立ってた処だけ落ち葉まみれだし。 「じゃあな」 それには答えず唐突に、然し今度は一応挨拶らしき言葉を掛けた後その人は駅に向かって歩き出した。 帰ると言うのを引き留める程の仲じゃない。しかも俺はもう駅には用が無い。 引き留める必要も追いかける必要も無い筈だが。 追いかける代わりにその背中に声を掛けた。 「あ、えっと、三蔵!」 あ、立ち止まった。 「・・・・・・何だ」 あ、振り返った。 思わず名前で呼び止めてしまったので眉間に皺を寄せて思いっきりイヤそうな顔をしている。 今日は一日で随分色々なモノを見た気がする。 さて呼び止めてみたものの用があった訳じゃなかった。 「えと・・・あんたのコト三蔵って呼んでも良い?」 「ああ?」 「俺の事は悟浄って呼んでくれれば良いから」 「何でだ」 物凄く不審そうなカオ。 「そんで行きつけの店あるからメシ喰いに行こっ!」 三蔵、は何か言いかけて口を開くが言葉が出て来るより前に腕をひっ掴んだ。 その場を取り繕うようにつらつらと言葉を重ねてみたがここまで来るともうこっちも引っ込みがつかない。 「触るな!」 強い口調で言われ瞬時に激しく手を払いのけられた。 強い、拒絶の意思。 何でこんなヒトを今まで人形のようだなんて思っていたのだろう。 駅へ向かう人達と駅から出てきた人達の作り出す雑踏の中立ち止まった侭の俺達は人の流れを阻害している。 時折人にぶつかられながらも三蔵は頑なにその場から動こうとしない。 「あ、帰ったら誰かメシ用意してるとか」 「・・・んなヤツいねえよ」 警戒心も露わに視線を逸らす事無く言葉が返って来る。 「和食平気?」 「・・・それがどうした」 「んじゃ決定」 こっちな、と示してから先に立って歩き始める。 本当だったら肩でも抱えてつれて行きたい処だがそーゆーのは嫌いらしいので触れる事なく。 本当に連いてきてくれるかは半ば賭けだったがちらりと振り返って余裕のフリして笑ってみせる。 頸だけ回して確認した視線の先、心底イヤそうに舌打ちするとその人はゆっくり歩き出した。 暗い高架下で殆ど闇色に見える濃い紫色の瞳が挑むようにこちらを見据えている。 その、光の強さに。 眼が逸らせなくなる。 666の続き。 外注する程でもないような然し社内でしっちゃかめっちゃかになってしまったものは一度外部の人に見て貰った方が良いと言うか。 金魚のいる店は今はなき会社の近所の店がモデル。 熱海に続く。 100題 |